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【ジョジョnote】第6部考察 その② プッチ神父とスタンドの進化

目次
ジョジョnote

前回
第6部考察 その① 第6部のテーマとストーン・フリー


◯起:まずは表層的部分の考察から

2-1. プッチの目的もまた「運命からの解放」なのだが…

前回述べたように、徐倫を始めとするジョースター家側には、
「DIOとの因縁という運命からの解放」が必要であった。

一方で、プッチ神父の求める「運命からの解放」とは何であろうか?
彼が背負ってしまった大きな業、
すなわち妹ペルラ、弟ウェスにまつわる過去こそが、彼にとっての運命なのだが…

この難問に向き合う前に、本項ではプッチ神父のキャラクター造形と、
なぜあのようなスタンドの進化が必要であったかを考察する。


2-2. プッチ神父のキャラクター造形:なぜ6部は「デザイナー縛り」なのか?

僕の以前の第5部考察では、
キャラクターの名前や造形について以下のように述べた。
・ジョルノ・ジョバァーナ:太陽の克服や女性性など多層的な意味合いがある
・ジョルノはアーティストであるプリンスを模したキャラクター
・ブローノ・ブチャラティ:Brown Sugar=麻薬につながる
・パンナコッタ・フーゴ:性格の二重性
・ヴィネガー・ドッピオ:ドレッシングを連想→人格の二重性
・ディアボロ:悪魔・調理法の2つの意味

このように、第5部のキャラクター名には食べ物縛りがあったが、
ところどころに裏の意図が読み取れるようになっており、
食べ物縛りは裏の意図を隠すカモフラージュのように機能していたといえよう。

…と考えるならば。
第6部のキャラクターがデザイナー縛りであることにも、
何か裏の意図があるように思われる。

結論からいえば、プッチ神父のキャラクター造形をもとに、
デザイナー縛りが生まれたのではないか?
そして、運命への向き合い方が異なるジョルノを描こうとしたのではないか?

(そんなに根拠はなく、あくまで僕の推測です)

こちらの元ネタ情報によれば、
エンリコ・プッチというキャラクターは「エミリオ・プッチ」と「エンリコ・コベリ」を合わせたものらしい。

このエミリオ・プッチという人が興味深いのだ。
・1914年生まれ。イタリアのナポリ出身
・「プリントの王子(Prince of Prints)」の異名を持つ。

これらは、まさしくジョルノの考察で述べた内容にそっくりである。
僕の推測としては、プッチ神父というキャラクターを構成する際に、
エミリオ・プッチとジョルノとの類似性から出発した。
そして、その意図をカモフラージュするために、
キャラクター名をデザイン縛りにした。

そして、その思惑通りに、
エルメェスやアナスイなどのインパクトの強い名前に皆の意識が向き、
出発点であるエミリオ・プッチが何を意味するのか、
という点まで皆の考察が至らなかった。

まぁ、あくまで推測なんですがね。


2-3. プッチ神父のキャラクター造形:ホワイトスネイク(白蛇)と蛇


https://www.youtube.com/watch?v=hDvonAjMFU0


プッチ神父のスタンドである「ホワイトスネイク」。
プッチ神父というキャラクターのスタンドに、これを選ぶセンスがとても良い。
(バンドについては門外漢なのでわかりません)

白蛇」といえば、日本では神様の使いとかなにかしらの吉兆と見なされる。
Wikipediaレベルの情報では、室町時代の1405年の公家・山科教言の日記にも
白蛇の記述があるらしい。
この時代には既に神聖なものである認識があったとうかがえる。

一方で、キリスト教における「」というと、
アダムとイブを唆して知恵の実を食べさせた「禁断の果実」、
それに続く楽園からの追放である「失楽園」のきっかけを作った張本人だ。

白蛇的ニュアンスで考えれば、プッチ神父=神(Dio)の使いだが、
蛇的ニュアンスで考えれば、「楽園≒天国」からの追放を招いた蛇に、
天国に至るための手伝いをさせる。

これらはあくまで解釈の1つにすぎないのだが、
このような奥深さがあるスタンド名であることは間違いないだろう。

※キリスト教における天国やエデンの園(楽園)などの違いについては、
こんな情報もありましたが、奥が深そうなので深入りしないでおく。


2-4. プッチ神父のキャラクター造形:
螺旋階段(DNA)と継承


ホワイトスネイクの特徴的な模様は、
DNAの4つの塩基、アデニン・グアニン・シトシン・チミンを表している。
(△がアデニンのAなのだろう)
こちらは、僕の「14の言葉考察」でも触れているが、
らせん階段、というからせん構造は、どこまでも無限に続く性質を持っており、
永続的な継承を象徴している。
また、DNAという物質は、
構造的にらせんである=継承の性質を持っていることに加えて、
機能的にも遺伝情報を次世代に伝える=継承の性質を持っている。

では、DNAが伝えている遺伝情報というものを、
もう少し抽象的に表現するとどうなるか?
それは、「生命の記憶」だ。
生命の誕生に始まり、現在を生きるヒト、動物、植物、バクテリアに至るまで、
さまざまな生物の進化の歩みが、DNAには刻まれている。

このように考えれば、
記憶を扱うスタンドであるホワイトスネイクのデザインとして、
DNAの塩基配列はもってこいなのだ。

ここからは、考察の内容をより一段深くして、
「記憶」というキーワードから掘り下げていく。

・徐倫とらせん階段
ストーンオーシャン考察その①の徐倫の項目でも述べたが、
ストーンフリーにも継承のニュアンスが込められている。
また、糸をくるくる回せばらせん構造が生まれるわけで、
プッチ神父だけでなく徐倫にも「らせん階段」がある。
・ウェザー・リポートとらせん階段
記憶を取り戻したウェザー・リポート(ウェス)が操る、「ヘビー・ウェザー」。
なんでカタツムリなんだよ?と思ってしまうが、
「らせん階段」から着想を広げたと考えれば、多少は納得感がある。
つまり、兄・プッチと弟・ウェスは、
ともに「らせん階段」のニュアンスを含んだ能力を発現したのだろう。
(あくまで推測ですが)
・14の言葉の「らせん階段」は詠唱者も表しているのかも
僕の「14の言葉考察」では、
14の言葉はDIOの人生を表していて、
ジョナサンの出会いから承太郎への敗北、
そして緑色の赤ん坊として復活する「復活の呪文」だと論じた。
この中で、らせん階段とは「継承」を表すとともに、
14の言葉の終着点としての「新たならせん構造」、
すなわち「複数のパラレルワールドで構成される世界軸」を表している、
と考えた。
しかしながら、プッチ神父と徐倫がともに「らせん階段」のニュアンスを含んでいることを考えれば、「らせん階段=14の言葉を唱える者」という見方もできる。
物語では結果的にプッチ神父が14の言葉を詠唱したが、
もしかしたら徐倫や記憶が戻ったウェザーにもその資格があったのかもしれない。

◯承:記憶を巡る物語

2-5. 第6部のスタンドのテーマ:「記憶」


第6部には、3つの「記憶にまつわるスタンド」が登場する。
第3部〜第5部までの記憶にまつわるスタンドは、
せいぜい露伴先生の「ヘブンズ・ドアー」くらいだから、
明らかに多いといえる。

1つ目は先程から述べている「ホワイトスネイク」。
2つ目は、刑務所を脱獄するときに戦う、「ジェイル・ハウス・ロック」。
3つ目は、DIOの息子の一人、ヴェルサスが操る「アンダー・ワールド」。

また、エンポリオ少年の操る建物の幽霊のスタンド。
(スタンド名はバーニング・ダウン・ザ・ハウスという)
これは、「幽霊」と表現されているが、
実質的には過去に存在した建物の「記憶」を活用するスタンドなので、
これも広い意味で「記憶にまつわるスタンド」といえるだろう。
(↑こう考えると、ラストのプッチ神父 vs. エンポリオで、
ウェザー・リポートの能力を偶然操るようになる展開の納得感も増す)

まぁ、こんな風に羅列しなくても、
第6部のテーマが「記憶」であることは直感的に理解していただけるだろう。

問題は、これをどう読み解いていくか、であり、
その読み解きから「プッチ神父のスタンドの進化のメカニズム」が解けるか?、
ということだ。

どんどん掘り下げていこう。


2-6. ホワイトスネイクは「過去を形で残してしまう」


プッチ神父の能力が発現したきっかけは、
妹・ペルラの遺体を抱えて嘆いている時に、
以前にDIOからもらった矢に貫かれたことだ。

この時のDIOの説明にもあるように、
若き日のプッチが妹の「記憶」だけでも残したい、
という願いがホワイトスネイクの能力発現に繋がった
、と理解できる。

しかし、見方を変えれば、妹・ペルラの一件により、
プッチ神父は「記憶=過去を形で残せる」ようになってしまった。
さらに踏み込んだ表現をすれば、
「能力の発現により、プッチ神父は明確に過去に囚われつづけるようになってしまった。」
といえる。
人々の記憶やスタンド能力を、
冷凍食品のように固定して管理する能力は「過去の具現化」といえる。
また、彼の目論見である「天国に行く」ということも、
彼が強烈に過去というものに囚われていて、
それをどうにか解決したいという一心のものだ。

こういったプッチ神父の状態を、
過去からの『重力』に囚われている」、
と表現することで、第6部で何が描かれているのかがより理解できる。


2-7. ミューミューが扱う記憶:
「現在」の短期的な記憶


続いて、2人目の記憶のスタンド「ジェイル・ハウス・ロック」を考えてみる。

端的に言えば、「現在」の短期的な記憶を操作するスタンドだ。
「過去」の記憶の長期的な保存ができるホワイトスネイクとは対照的である。

また、これは僕自身の考察ではなく、Twitterか何かで見かけたものなのだが…
(アイデアの情報源は失念しました、申し訳ない)
ミューミュー戦の際に、徐倫が「エンポリオに会え」と腕に縫い付ける。
これは、DIOのノートの中で、14の言葉を説明する際の、
わたし自身を忘れないように
この言葉をわたしのスタンド
そのものに傷として刻みつけておこう

と対比になっていると思われる。
(気づいた人の洞察力が素晴らしい!)

2-8. 「記憶の牢獄からの脱獄」:
記憶からの解放を暗示

第6部の構成を考えると、
前半はグリーン・ドルフィン・ストリート内で展開され、
後半は脱獄してプッチ神父を追跡する形でストーリーが進む。

ここで、徐倫視点、そして物語を追う読者の視点で考えてみる。
まず、徐倫が刑務所に収監されてしまうのは、
プッチ神父の策略である。
つまり、刑務所への物語的入口には、
過去との因縁・過去の記憶」というものがある、といえる。

そして、刑務所の脱獄の際=刑務所からの物語的出口には、
現在の記憶」を操るミューミューと戦う。

こうして考えると、
グリーン・ドルフィン・ストリート刑務所というのは、
入口と出口が記憶で塞がれた「記憶の牢獄」

と捉えることができる。
しかもそれは、徐倫ではなく、プッチ神父にとっての牢獄だ。
(徐倫が収監されるずっと昔から、
刑務所内での人脈を築き、どの設備で何ができるかを把握し、
承太郎の記憶が手に入るその日まで、ずっと待っていたのだから…)

つまり、刑務所での目的を終えてプッチ神父が外の世界へ出る時。
そして、その神父を追って徐倫たちが脱獄する時。
これらはまさに、「記憶の牢獄からの脱獄」。
すなわち、「記憶からの解放」を暗示しているといえる。

では、実際どうやって「記憶からの解放」を実現するのか?
ここからは難解な第6部後半に入っていこう。


◯転:ヴェルサスが鍵を握る

2-9. DIOの3人の息子:神父が求めた「天地人」


刑務所を出た後のプッチ神父が求めたもの

1つは、北緯28度24分 西経80度36分という「場所」
1つは、次の新月という「時」

これら2つは、DIOのノートに記されていた内容だが、
いかんせん難解な内容であり、具体的な方法が書かれていない。
(この2つについても、後ほど解説する)

そのため、プッチ神父はこの謎を解くために、
プッチ神父を天国に押し上げる『人間的な力』」を求めた。

これらを一言で言えば、
「天の時、地の利、人の和」=天地人
重要なことをなすための3要素、などと言われるものだ。
※天地人の正確な語源や用法は、各自調べてください。

…って、ジョジョの話なのに、いきなり漢文かよ?
と思われるかもしれない。

しかし、この視点で「DIOの3人の息子」を眺めると、
驚くほど一致する。

天の時:リキエルの「スカイ・ハイ
文字通り「空高く」。

地の利:ヴェルサスの「アンダー・ワールド
文字通り「地下の世界」

人の和:ウンガロの「ボヘミアン・ラプソディ
一見すると、「人?」と思うかもしれないが、
なぜかこのスタンドにだけ付けられてる、
自由人の狂想曲」という邦題を見れば一目瞭然。
ラプソディというのは正確には狂詩曲(自由な形式の曲調)というらしく、
狂想曲はカプリッチョというらしいけど、細かいことは気にしない。

一方、ボヘミアンって何?と思う人が多いと思う。
そもそも「ボヘミア」とは、
ドイツの南東に位置するチェコ共和国の西部地域を指す言葉だ。
(ボヘミア地方という)
「ボヘミアン」という言葉が意味するのは移動型民族のことで、
長い歴史の中でさすらいながら生活してきた。
そういった「さすらいの民」が、中世のフランスから見た時に、
チェコのボヘミア地方から流れてくるように見えたので、
そういった人びとを「ボヘミアン」と呼ぶようになったらしい。
(Wikipediaの「ボヘミアニズム」を参照)
(現在ではこのような人びとは「ロマ」と呼ばれているそうだ。)

こういった歴史的背景も含め、
流浪の民の良い面=自由奔放という部分に重きを置き、
そういった生き方を望むような考えをボヘミアニズムというらしい。
つまりボヘミアン・ラプソディとは、「思うがままに生きたい人の自由な歌」
的なニュアンスになりそう。

数あるスタンドの中で、邦題のようなものが付けられているのは少ない。
バイツァ・ダスト(負けて死ね)
ゴールド・エクスペリエンス(黄金体験)
くらい?
しかし、この「天地人」につなげたい、という意図があったと考えれば、
わざわざ「自由人の狂想曲」というものを付けた理由に納得できる。


2-10. プッチが求めるもの:
「『過去からの重力』からの解放」

先程、"2-6."でも触れたように、
プッチ神父の状態は「過去に意識が引っ張られている」、
つまり「『過去からの重力』に囚われた状態」といえる。

僕の推測としては、
プッチ神父は『天国に至る方法の答え』を知らなかった」。
しかし、刑務所を出た後、DIOの3人の息子と出会い、
ケネディ・スペース・センターで能力が変化していく中で、
だんだんとその方法・道筋を見出していった」、
と考えるべきだと思う。

その鍵を握るのは、ヴェルサスが操る「アンダー・ワールド」だ。


2-11. アンダー・ワールド:
「地面」と「記憶」が結びつく


先程の項目"2-9"では、DIOの3人の息子の能力は、
プッチ神父が求める「天地人」に対応している、と考察した。

その中でも、プッチ神父が天国に至るために重要だったのが、
ヴェルサスが操る「アンダー・ワールド」だ。

ヴェルサスの能力は、
地面を1つの『記憶媒体』として捉え、
地面に記憶されたあらゆる記憶を活用・再現できる

という、やや反則級のものだ。

重要なポイントが何かというと…
時間的な概念である『記憶』と、
空間的な概念である『地面』が、結びつくこと。

つまり、
記憶によって引き起こされる「過去からの重力」と、
地球によって引き起こされる「物理現象としての重力」

これが繋がってしまうのだ!



2-12. 地球の重力から解放されれば、
過去からの重力からも解放される…?


ここが繋がってしまえば、あとは解決策はわかりやすい。
地球の重力から解放されれば、
それに連動して過去からの重力からも解放されるかも…!

Q. 地球の重力から解放されるには?
A. ロケットに乗って宇宙に行こう!

地球からの重力からは、宇宙空間に出てしまえばかなり解放される。
しかし、時間的な重力というものは、
同じ要領で距離を取れば解決されるのだろうか?
むしろ、どれだけ時間を経ても色褪せないからこそ、
強烈に囚われてしまうものではないだろうか?
つまり、プッチ神父の目指す「過去からの重力の解放」のためには、
物理現象としての重力からの解放を駆動力としつつも、
同時に時間的な重力を反転させる必要がある、と考えられる。


2-13. DIOのノートの言葉:
なぜ「この場所」と「この時」が必要なのか?

ここまで読んでくると、
難解な第6部の構造も、だんだんと読み解けてきているのではないだろうか?

とにかく、「地球上で最も宇宙空間に近い場所」と、
「宇宙空間に出るのに最も良いタイミング」に合わせて、
DIOから生まれた新たなもの(緑色の赤ん坊)を連れていけば、
そこですごいことが起きて天国にいける!

これがDIOのノートの要約だ。
ノートの前半は14の言葉に従って、DIOを転生させるステップ。
ノートの後半は、転生したDIOによる天国への到達のステップ。

では、「地球上で最も宇宙空間に近い場所」とはどこだろうか?

小学校の理科でも習う事柄としては、
地球は自転しているので、重力とは逆向きの力である遠心力が働く。
よって、赤道上が最も重力が弱くなる

しかし、それ以上に宇宙空間に近い場所がある。
それは、「宇宙に行ける設備を備えた施設」だ。
手段がなければ、重力が弱くても宇宙に行けない。

そう考えれば、ケネディ・スペース・センターが、
最も宇宙空間に近い場所
になる。
DIOは北緯と西経で場所を表しているけど、
あのノートが書かれたタイミング(1986〜1988年あたり)では、
すでにこの施設は存在しているので、
わざとわかりにくく書いていると見るべきだろう。

また、「宇宙空間に出るのに最も良いタイミング」も、
重力の視点で考えればわかりやすい。
潮の満ち干きにおいては、
太陽からの引力と月からの引力の足し算により、
新月と満月のタイミングで満潮になる。
中でも、太陽と月が同じ方向に並び、
重力が最も小さくなるのは「新月の昼間」だ。

さて、次からはいよいよ、
プッチ神父の能力進化の核心部に迫っていく。

◯結:緑色の赤ん坊〜メイド・イン・ヘブンまで

2-14. 「緑色の赤ん坊」:特異点を超えてきた存在

僕の14の言葉考察では、次のように述べた。
DIOが転生するにあたり、
14の言葉の通りのステップを通過している。
この時、「特異点を2回通過することで、
生→死→生、という本来超えられない境界を超えている
」。

つまり、緑色の赤ん坊は、
特異点を超えてきた存在」であり、
本来は近づくことができない存在なのだ。

だからこそ、緑色の赤ん坊のスタンド能力により、
アキレスと亀のように永遠にたどり着くことのできないようになっている。

ここで登場するのが、14の言葉だ。
別のいくつかの14の言葉考察でも触れられているように、
このシーンの元ネタはスピルバーグ監督作品の「A.I.」だろう。

ストーンオーシャンの連載期間が、1999年12月7日〜2003年4月8日。
A.I.の日本公開が2001年6月30日。
単純に計算すると、
2000年が前半1/3(リンプ・ビズキットのあたりまで)
2001年が中間1/3(脱獄あたりまで)
2002年が後半1/3(ラストまで)
時期的には、そんなにずれていない。

では、荒木先生は「A.I.」を見たのだろうか?
ここでJOJOVELLERのHISTORY本を参照してみよう。
134ページから、ストーンオーシャン連載以降の、
週刊少年ジャンプ(WJ)の巻末コメントが一挙掲載されている。
この中の、2001年 WJ39号のコメントを見ると、
映画「A.I.」を見た。とても良かった。
手塚先生の「鉄腕アトム」に似てるなとも思った。

と書かれており、荒木先生がA.I.を見ているのはほぼ間違いないだろう。
また、この翌週のコメントで、単行本8巻が発売される、と書かれている。
14の言葉が登場するのは単行本11・12巻あたりなので、
やはり14の言葉の題材をA.I.に取った、と考えても矛盾しないと思われる。

話を戻して…
緑色の赤ん坊は、14の言葉ではなく、徐倫の星型のアザに関心を示した。
これにより徐倫は赤ん坊に接触できるようになったわけだが、
本来は14の言葉によってこちらに関心を示すはずだったのだろう。

映画「A.I.」では、ある会社から送られてきた少年型のロボットが、
まるで人間のように母親を愛するようになる起動スイッチが、
7つの言葉+愛する対象の名前だった。
(巻き雲、ソクラテス、分子、デシベル、ハリケーン、ドルフィン、チューリップ、モニカ、デイビッド、モニカ)
それと同様に、14の言葉は緑色の赤ん坊を「目醒めさせる」スイッチとして機能している。

では、緑色の赤ん坊とプッチ神父が融合することには、
どんな意味があるのだろうか?
僕の推測としては、それは「特異点を超えるための必須条件」だ。
仮に、緑色の赤ん坊との融合無しに、
メイド・イン・ヘブンのような能力によって世界が終焉を迎えたとしたら、
そこで本当に世界は終わっていた=死を迎えていただろう。

なぜなら、元の世界(生)→世界の終焉(死)→2周目の世界(生)、
という意味不明な現象を引き起こすためには、
「特異点を超える(しかも2回)」という性質が不可欠
である。
この難問をクリアするためにも、
プッチ神父は緑色の赤ん坊と融合し、
「特異点を超えることができる性質」を手に入れる必要があった

と考えられる。


2-15. 「C-MOON」:
プッチを「過去への重力」から解放し未来へと反転


ウェザー・リポートの死後、
ケネディ・スペース・センターにたどり着いたプッチ神父は、
突如「C-MOON」という新たな能力を身につける。

冷静に考えれば、意味がわからない。
なんで、記憶を操るスタンドが進化したら、重力反転能力なの??

だがしかし、ここまでの考察を読んだ方ならば、
すんなりと納得できるのではないだろうか?

あー、そうか。
まずケネディ・スペース・センターに到着して、
ロケットを発射する準備段階に入ったわけね。
発射するタイミングの、新月の時を待つわけだ。
そして、『過去からの重力』に解放されるためには、
ただ、物理的な重力から解放されるだけじゃなくて、
時間的な重力を『未来へと反転する能力』が必要だ。
だから、重力反転の『C-MOON』か。
C-MOONの状態で新月の時を迎えれば、
ホワイトスネイクの『過去からの重力=記憶の固定』が反転して、
メイド・イン・ヘブンの『未来からの重力=時の加速』となる。

しかし、実際には理想の形では進まなかった。
↑この理想形と、実際の物語の展開を比較してみよう。

2-16. 「新月の時」の前に能力が進化した理由


仮に徐倫たちによる攻撃がなく、
プッチ神父が何事もなく過ごしていれば、
新月の時をケネディ・スペース・センターで迎えるはずだった。

しかし、徐倫や承太郎の攻撃により、
プッチ神父の「天国に至る計画」は崩れ去った…かと思われた。

この時、プッチ神父は、
C-MOONの攻撃を受けて重力が反転した窓枠にはまりこみ、
宙に浮いていった。

それにより、
新月の日でなくても、C-MOONの力で宙に浮いて、
新月の日と同じ重力の効果が得られる高さを探せば良い!

とプッチ神父が気づいてしまった。

そして、承太郎の攻撃の影響でスペースシャトルに乗り換えた神父は、
さながらロケットに乗って宇宙に飛び出すかの如く、
新月の日と同じ重力の高さに到達し、
メイド・イン・ヘブンを発現するに至った。

それをまとめたのが下の図だ。

窓枠にはまった後の神父が、
「スタープラチナ・ザ・ワールド」の時間停止の世界に入れたのも、
メイド・イン・ヘブンの発現に近づいた影響といえるだろう。
(時間を操作することはできないが、
時間停止の世界を一瞬だけ認識できる)

こうして、イレギュラーな形ではあるが、
プッチ神父はメイド・イン・ヘブンの能力を手に入れることができた。



2-17. メイド・イン・ヘブンの能力:
「円環で閉じた世界」を目指す


この図は、プッチ神父の能力が進化した過程と、
それぞれにどのような意味があったのかをまとめている。

このようにして発現したメイド・イン・ヘブンの能力により、
プッチ神父は「円環で閉じた世界」を作り出すことに成功した。
(最終的にはエンポリオによって阻止されたが)

プッチ神父が目指した世界の内容、
そして彼の語る「覚悟」と、
ジョルノが語る「覚悟」の違いなどについては、
続く考察その③で述べたい。

2-18. メイド(冥土)・イン・ヘブン(天国):
「天国の中の地獄」

これは、僕の勝手な推測(妄想)なのだが、
言葉遊びが大好きな荒木先生は、
メイド・イン・ヘブンにも2つの意味を重ねたのではないだろうか?

それは、
メイド・イン・ヘブン:(天の配剤・理想的なもの)
というポジティブな意味と、
メイド(冥土)・イン・ヘブン(天国):天国の中の地獄
というネガティブな意味だ。

まぁ、その真偽については神のみぞ知る、といったところだが、
果たしてプッチ神父が目指した「天国」は、
万人にとっての「天国」だったのか?
はたまた、独りよがりな天国で、みんなにとっては「地獄」だったのか?

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第6部考察 その③ ジョルノとプッチ神父の運命観 (To Be Continued…)


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