【ジョジョnote】第5部考察 構成編 ブチャラティ・チーム その⑤ ミスタとアバッキオ
2-3. グイード・ミスタ
A. グイード・ミスタという名前
[信頼度: B (それっぽい! 推測)]
前回のナランチャの項目でも触れたが、
ナランチャのキャラクター設定には、
聖フランチェスコや聖クララのエピソードが盛り込まれていると推測される。
この聖フランチェスコのエピソードに、
司祭グイードと修道士レオーネが登場する。
これらはミスタやアバッキオのファーストネームのもとになった可能性がある。
(あくまで僕の推測です)
一方で、ミスタとはなんだろうか?
まず、この言葉にも性別があり、
男性形容詞が「misto」、女性形容詞が「mista」だ。
(第5部のキャラクターには女性形のものが多い)
続いて、第5部のキャラクターは「食べ物」にまつわる名前がつけられている。
この点から考えると、
Pasta mista(いろんな種類のパスタが混ざった料理)
Insalata mista(いわゆるミックスサラダ)
Antipasto Misto(前菜の盛り合わせ)
というように、
mistoやmistaは「混ぜた料理・盛り合わせ」という意味で使われる。
この、「混ざったもの」というポイントが極めて重要なのだが、
ここではあえて触れないでおく。
おそらく、「混ざったもの」というニュアンスが、
ミスタの「裏表のない直情的な性格」に反映されていると思う。
そして、「混ざっていない者」がどこかにいる、ということが示唆される…。
B. 「ピストルズ」はなぜ6体なのか?
[信頼度: A (確からしい! 出典あり)]
ミスタのスタンド、「セックス・ピストルズ」の由来は、
文字通り「セックス・ピストルズ」というバンドである。
この点について、JOJOVELLERのSTANDという冊子に
荒木先生の興味深いコメントがある。
弾丸6発とバンド名がちょうどいい語呂合わせだった、というわけだ。
あと、ベースのシド・ヴィシャスは
現在でも伝説的な人物として語り継がれているが、
さまざまなトラブルも抱えており、麻薬の過剰摂取で亡くなっている。
この点はブチャラティチーム=麻薬に関連している、という点ともつながる。
C. チーム内での特殊な生い立ち
[信頼度: B (それっぽい! 推測)]
ブチャラティチームの面々は、過去にさまざまな挫折や絶望を抱えている。
しかし、ミスタだけは違う、ということをご存知だろうか?
彼の場合、
①たまたま通りかかった暴行現場で、無傷でゴロツキを銃殺する。
②正当防衛が認められず、禁錮15〜30年の判決を受ける。
③事件を耳にしたブチャラティとの取り引きにより、
組織への忠誠と引き換えに即刻無罪判決となり釈放される。
つまり、彼の「単純に生きる」という人生観は、
挫折するどころかいよいよ肯定され、物語を通してずっと続いているのだ。
ここが、「混ざったもの(ミスタ)」という名前と響き合うのだ。
大きな挫折や絶望により「心が解離・分離」せずに、
「しっかりと調和が取れている」=「混ざっている」
ここにミスタというキャラクターの本質があるように思う。
2-4. レオーネ・アバッキオ
A. レオーネ・アバッキオという名前
[信頼度: B (それっぽい! 推測)]
先程のミスタの項目でも触れたように、
グイードやレオーネという名前は、
聖フランチェスコのエピソードに由来することが推測される。
(あくまで推測です)
この「レオーネ」という名前には、さらに面白い側面がある。
これは「オスのライオン」を意味する言葉なのだ。
日本語だと、オスもメスも同じ「ライオン」という言葉で表現するが、
イタリア語ではオスのライオンは「Leone(レオーネ)」
メスのライオンは「Leonessa(レオネッサ)」という。
※元女子プロレスラーのライオネス飛鳥のライオネスは、
英語のライオンの女性形なので、イタリア語の語感に近い
ここまで考察してきたジョルノ、ナランチャ、ミスタは女性形の名前だったが、
アバッキオは男性形の名前という点はとても興味深い。
(荒木先生は女性形・男性形を気にせず、
語感とか目にした資料から選んだ可能性も大いにありますが…)
一方、アバッキオとはなんだろうか?
こちらのサイトによれば、
アバッキオ(abbacchio)とは「乳飲み仔羊の肉」を表す。
(しかも-ioで終わる男性名詞なのも興味深い)
このあたりまで来ると、
レオーネ・アバッキオとは非常に奇妙な名前であることに気づいてくる。
①(由来と推測される聖人のエピソードにしろ、第5部全体の宗教性にしろ)
「仔羊」という言葉から「生贄・迷えるもの・救いを求めるもの」
といった、キリスト教的意味合いを読み取れる。
②「オスのライオン」という言葉は、アバッキオの高圧的態度であったり、
彼の前職である警官という権力性と呼応する。
③一人の名前の中に、
「レオーネ=捕食者」と「アバッキオ=被捕食者」が並ぶ
→強権的に振る舞いつつ、心の奥底では絶望からの救いを求めている、
というキャラクター像を端的に表している。
このような、アバッキオが抱える葛藤や自己矛盾(威張るけど救われたい)
という屈折したキャラクター像が的確に表された名前だといえるだろう。
なお、僕の考察としては、
「眠れる奴隷のエピソードはストーリーの変更があった」
=当初の構想では死ぬキャラクターはブチャラティ1人だったが、
ブチャラティがゾンビ化するというストーリーに変わることで、
犠牲者がアバッキオ、ナランチャを加えた3人に変わった
という立場を取っている。
(ブチャラティ・チーム その② - 「眠れる奴隷 完全解釈」)
当初は想定されていなかったかもしれないが、
アバッキオ(仔羊)が犠牲になる、という点でも名前と呼応していて興味深い。
B. アバッキオは「過去」に囚われている
[信頼度: B (それっぽい! 推測)]
アバッキオのスタンド、ムーディー・ブルースは
60年代に活動を始めたバンドである。
僕の推測としては、1968年の3枚目のアルバム、
「失われたコードを求めて(In Search of the Lost Chord)」
が由来だと推測している。
というのも、このアルバムの5曲目
「ティモシー・リアリー(Legend of a Mind)」という曲は、
ドラッグカルチャーに影響を与えた、
ティモシー・リアリーという人物に言及した曲らしいのだ。
このあたりは、常々述べている麻薬との関連性とつながるポイントだ。
続いて、ムーディー・ブルースの「能力面」を考えてみたい。
僕の私見としては、
スタンドというものが登場した第3部、
さまざまなスタンドのアイディアを膨らませた第4部を経て、
第5部のスタンド観はとても成熟していると思う。
特に重要なことが、「なぜそのキャラクターがその能力を持つのか?」という、
キャラクターの思いや心理的葛藤が能力面に的確に反映されているからだ。
アバッキオの決定的な挫折は、
「自分のせいで同僚が殉職する」という、
たった1つの瞬間的な重罪だ。
ブチャラティやナランチャのような、
環境や人間関係が複雑に関連した結果としての挫折ではなく、
アバッキオの場合は「明らかにアバッキオの不手際による1度の過失」
という点で大きく異なる。
アバッキオにとっての絶望は、
「あれさえなければ…」という具体的で唯一なエピソードであるが故に、
アバッキオの決定的なトラウマとなっている。
(それは、彼が亡くなったときに、
あの警官から赦されることで魂が救われたことからも分かることである)
裏を返せば。
アバッキオの本当の願望は
「過去を改変すること=罪を無かったことにすること」
なのだが、能力的限界か、あるいは精神的未熟さ故に、
「過去をリプレイすること=罪をひたすら思い出し続ける」
という不完全な能力になった、と推測(というか妄想)できる。
次回はフーゴとトリッシュを考察します。
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