【エッセイ?日記?随筆?コラム?】あなたのエッセイを本物の「エッセイ」にする方法(2016年11月号特集)
エッセイは日記とは違う!他人に読まれるもの
エッセイには「私」を書きます。私が思ったこと、私が感じたこと、私が考えたことを書きます。
しかし、書かれたものは他人が読みます。これが日記との違いです。日記なら、何をどう書いてもいいし、誰にも理解されなくてもいい。自分にだけわかれば、それで用は足ります。
一方、エッセイはと言うと、誰かに読まれます。ボツ原稿でも審査員は読みます。応募もせず、誰にも読ませるつもりがなくても、誰かに読まれることを前提に書くのがエッセイです。
誰かに読まれる(その可能性がある)ということが、エッセイを書くすべてのコツの源です。わかりやすい文章であろうとするのも、興味をひく題材であろうとするのも、「誰かに読まれる」からです。
1.自分を書く
エッセイに書くのは、自分のことです。客観的な事実や一般論を書いてもいいですが、それは持論を展開するためのものであって、それだけ書いても意味がありません。
「築地市場の移転問題で、食の安全性が問われている」なんて書いても、「そりゃまあそうだよね」という感想しか出ません。
エッセイに求められるのは、「あなたは何をどう見たか」という独自の見解です。それは一般論とズレていてもいいですし、真逆でもいい。ただし、説得力と共感は必須です。
2.相手は不特定多数
エッセイを書いているときは、たいてい一人です。だから、その文章が誰に読まれるのかを忘れてしまったりします。
実際にどこの誰が読むのかはわかりようがないですが、それでも全国津々浦々、老若男女が読む可能性はありますから、専門用語、難解な言葉、身内やごく一部の地域の人にしか通じない言葉は厳禁です。
ある落語家は新作ができると、公開前に隣のおばあちゃんに聞かせたそうです。それぐらい平易な言葉でないと伝わらないということです。
3.こちらは無名の一般人
有名人がエッセイを書いた場合、それだけで目をひきます。飲食店で言えば有名な店です。
一方、私たちはというと、全くの無名店。しかも目立たない。ですので、読んでもらうために看板を出して客を引き込みたい。それがタイトルであり、書き出しです。客を引き込んだら、早く料理を出しましょう。もたもたしていたら、お客さんは飽きて帰ってしまうかもしれません。
エッセイで読み手の心をつかむ要領は、サービス業のそれと同じです。
WHAT’s ESSAY? ZUIHITSU? COLUMN? SAKUBUN?
エッセイ:モンテーニュの『随想録』が起源。元は「試論」という意味で、海外でいうエッセイは小論文に近い。日本でのエッセイは、印象としては身近な題材を盛り込んだ軟らかい文章。
随筆:随筆は、「筆の進むまま」「筆が進むに従って」という意味。『枕草子』『徒然草』を想像すると、印象としては文語のイメージ。ただ、意味はエッセイに同じ。
コラム:新聞や雑誌の囲み記事。エッセイに似たスタイルのものもありますが、コラムは商業文で、文学性は薄い。
作文:書き下せば「文を作る」または「作った文」だから、すべての文章が作文ですが、一般的に作文と言った場合、芸術性、技巧性は薄い。
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※本記事は「公募ガイド2016年11月号」の記事を再掲載したものです。