アカウントのあっちの扉とこっちの扉で見える世界
ハウルの城の扉は、ドアノブの上のタブをぐるんと回すと別の場所に繋がる。SNSのアカウントも、なんだかそれに似ているなと思った。
ツイッターもインスタグラムも、複数のアカウントを持っている。という人、結構いるんじゃなかろうか。私も複数のアカウントを切り替えて、ネット上では別々の場所を行ったり来たりしながら生きている。
ハウルが港町のジェンキンスになったり、キングスベリーのペンドラゴンになったりするように。
それぞれフォローしている人も違えば同じ事柄に対して上がってくる意見も違う。これがなかなか面白い。あっちの町では話題になっていることが、こっちの町では全く話題になっていなかったりすることもよくある話。
同じ事象に対してでも、あっちの扉を開けば戦乱炎上の世界が広がっていて、こっちの扉を開けば"いろんな花が咲いているねぇ"とほのぼのしていたり。
本当に不思議なものだなぁと思う。
一つの世界だけじゃなく、扉を変えて複数の異なる世界を見るようにしないと、SNSは小さな世界でそれが全てかのように勘違いしてしまいそうになる。
そもそもSNS自体が大きいようで小さな世界なのだけれど。
ツイッターをやっている人だって、周りを見ればそんなに多くはない。私みたいに仕事の合間にもつい見てしまう人なんて、世界の全人口から見れば米粒どころかゴマくらいのもんだろう。
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違う世界をあれこれ見ることは自分の視野を広げてくれるし、目の前の言葉に不必要に左右されなくなるからいい。いろんな人がいるよね、と流せる心の余裕もできる。
アカウントの切り替えだけじゃない。
仕事でも趣味でもなんでも、一つの場所にしか属さない状態よりも、複数の居場所を持っているほうがいいと思う。
似た者同士だけでつるむのも楽しいけれど、まったく違う環境で生きている人との交流は面白い発見もあってこれまた楽しい。
それに、職場が楽しくなくたって趣味の世界が楽しければ、職場は借りぐらしみたいなものだから楽しくなくたってまぁいっかと我慢できたりもするし。
学生の時は特に学校しか生きる世界がなくて息苦しいと嘆くかもしれないけれど、学校の外にだって世界はたくさん広がっていて、楽しい場所へと続く扉は溢れているものだ。
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私は今noteとTwitterで"サカエコウ。"のアカウントを使ってみなさんとお会いしているけれど、"サカエコウ。"ではない別の私がこの世界のどこかにいて、もしかしたらすれ違ったりしているかもしれなくて、もしかしたら別の顔をしたみなさんともすれ違っているかもしれなくて。
そんなことを考えるとSNSって面白いなぁと思うし、人間って面白いなぁと思うのであります。