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ツイッターで金縛りにあいツイッターで救われたから進めるはじめの一歩。

知れば知るほど、考えれば考えるほど、書けなくなった。書く上でのルールとは?読んでもらうための計算とは?気軽に書いていた時の好きという気持ちは、重い鎖でどこかに幽閉されたような気がした。
こうすればいいというようなアドバイス記事を読んでは動けなくなっていった。フォロワーを増やすには…と考えては呟きたいことも手が止まる。

【真面目な自分と厨二病の自分】

30歳になり、以前の自分とは少し違うことに気付く。私はどちらかというと考えるより行動派だ。むしろ後先考えず見切り発車で熱意のままに突き進んできた。熱意こそ成功の源であるかのように、輝かしい未来を信じていたのだ。ロジカルシンキングよりも、情熱が何かを変えるのだと。
謎の全能感。これが厨二病ってやつか。
情熱だけでまかり通るのは若いうちだけだと悟ったのは、自分がいい年の大人なのだと気付いてからだった。いや、実際にはまかり通ってはいなかった。結局は情熱よりもロジカルに考えてしっかり語れる事が大事だぞと10年前の自分に言ってやりたい。
とは言え今もロジカルに語れる人間にはなれていない。私は昔から感覚でなんとなくが多かった。例えば好きな理由を聞かれても、好きなものは好きなんだよ!と思っていたし、理由をわざわざ考えるなんてナンセンスだ!くらいに思っていた。考えるな!感じろ!という言葉が好きだった。
実際のところ突き詰めて考えていないだけじゃないのか、と今はそう思う。

接客業をしていた頃、心理術にハマった。
身振り手振りを交え掌をみせて話すといいとか、相手の心を開きやすい方から話しかけるとか、ちょっとした心理テクニックで反応が変わる事が面白かった。人は知らず知らずのうちに誘導されているのか。VMDやPOPの書き方を学ぶようになってからは特に思った。なんとなくで選んだつもりが、しっかり心理術に踊らされていたわけである。
感覚で生きるのサイコー!だった私が、この頃になってやっと自分は考える事が弱いのだと気付いた。
考える力をつける本なるものを読んでは実行した。昔から本が好きで、何かを得たい時はすぐ本を読み漁っていた。この時考える事から逃げていたら、今も私はおバカな厨二病の人だったに違いない。恐ろしい限りである。

考えるという事にも向き合うようになれたが、そもそも学がない というコンプレックスがある。私は専門学校卒。大学を出ている人への羨望のようなものがあった。高校も中の下くらいのレベルのところだし(私の主観で)、成績も下の方。国語や古典、英語は成績が良いのに、理数系が致命的にダメな完全なる文系タイプだった。いやもうこれ脳が考えるより感じろタイプなんじゃないの⁉︎駆け引きとか計算とかできないし!素直さが唯一の取り柄だし!というのは正直今でも思う。その反面、この10年で色んな仕事を経て、学生の頃よりは考える事が上手くなったと思う。ここで言う考えるというのは、周りの空気を読むとか気持ちを汲むとかそういう事ではなくて、ロジカルな面で。

私の中には昔ながらの日本人真面目タイプの自分と、とりあえずやってみりゃいいじゃん!な行動派タイプの相反する自分がいる。割合は3:7くらい。だったはずなのに、ここにきて真面目ちゃんが急に存在を主張してくるのである。まず学ばなくちゃ。知らなくちゃ。話はそれからだと。

そして、書くにあたってのルール等を考えると急に手が止まった。書きたい事は次から次へと出てくるのに、上手く書かなきゃと思うと急に目の前が真っ暗になった。
そもそも初めから上手くなくていいじゃないか。むしろ今のレベルを残しておいて、あの頃の文章恥ずかしー!って言えるくらいまで頑張り抜いたらいい。そう思えたので、やっと始めの一歩を踏み出せた。
というのも、Twitterでフォローしている タイラシンノスケ@Webライター(@S_Taylor1991)さんのツイートがきっかけで服部タカユキさんのnoteを読み、思いっきり背中を押されたからだ。
https://note.mu/thattori/n/n2941d08011e1

そしてもう一つ書きたいことができて、もうこれでnoteにあげちゃえ!と。いつどこでどんな出会いがあってスイッチが入るかわからないものだと改めて思う。きっかけをくださった方々に深く感謝*



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サカエ コウ🌙.+
サポートとても嬉しいです。凹んだ時や、人の幸せを素直に喜べない”ひねくれ期”に、心を丸くしてくれるようなものにあてさせていただきます。先日、ティラミスと珈琲を頂きました。なんだか少し、心が優しくなれた気がします。