夜7時に家を飛び出したわたしは気づいたら拳銃を握っていた。
二度目の躁状態のまっただ中に、親の目を盗んで裏窓から飛び降りて逃げ出したわたしです。近所の人がわたしの素足を見て、つっかけをくれました。
おかげでわたしは遠くまで行くことが出来たのです。
とりあえずミナミへ
何も持たずに家を飛び出したので、電車に乗るお金もなかったはずだ。ところがわたしはなぜかミナミの街を歩いていた。
かすかに記憶に残っているのは、ホームレスのおじさんと二人で肩を組んで歩き続けて、電車に乗るからと言って駅で別れたということだ。
ミナミまでどうやって行ったのかわからない。
歩いて行ける距離ではないことは明らかだ。
もう自動改札の時代だったから、自動改札機を蹴り倒して電車に乗ったとしか思えない。
ストーカーより恐ろしく
ミナミから電車に乗って行った先は、なんと、Sさんが住んでいるマンションだった。
もちろん住所も電話番号も知らない。
話に聞いたことがあるだけだった。
しかしわたしはSさんの名前がある部屋を訪ねることはなく、かわりに廊下で叫んでいた。
「こんなに外で騒いでいる人間がいるのに、誰も警察に通報しないのか!世の中に、他人に、無関心でいるから、この国はよくならないんだ!」
という具合なことを叫んでいたことをかすかに覚えている。
ものすごく迷惑な話だ。申し訳ない。
この次の記憶は警察官に保護された時に飛ぶ。
いやだというわたしにひとりの警官が言った。
「ほら、本物のおまわりさんやで。嘘ちゃうで。これ、本物やからな」
静かに言いながら、警官はわたしに自分の拳銃を渡したのだ。
初めて持った拳銃はとても重かった。手のひらがずっしりと沈む感触は今でも思い出せる。
これまた誰も信じないが
拳銃が重かったので、わたしは本物のおまわりさんだと納得しておとなしくなった。
という話は、あちこちでしているのだけれど、あまり信じてもらえない。
主治医は信じたが、おまわりさん無茶するなぁ、と頭を抱えていた。
警察に保護されたわたしは、応接室に入れられた。なにかと子ども扱いされていた。
テーブルの上にはたくさんのお菓子が並べられていた。しばらくはわたしもねらい通り、静かにおやつを食べていた。
けれど気分はノリノリなので、じっとしていられず署内を歩き回った。
何かしている人に「○○してるのん?」と話しかけると、
「あれ?こうりんちゃんは意外と頭がいいねぇ」と不思議そうに言われた。
別の誰かがわたしの頭をなでながら応接室に連れ戻した。
この辺りのことはなぜかよく覚えている。でもパトカーに乗った記憶がないのが残念だ。
子が子なら親も親で
しばらくしてレンタカーで親が迎えにきた。
どうして捜索願を出していないのかとこっぴどく叱られたらしい。
始末書のようなものも書かされたという。
捜索願を出さなかった理由として母は、
友達の家に電話したり、近所を探し回ったりしていたんです、
慌ててこんなことを言ったらしい。
ウソなのだが。
警察で叱られたのはさすがに効いたらしく、
30年近く経った今でも、親との会話に何度も出てくるネタとなる。
ゲラゲラ笑って話すネタだ。
なぜわたしがあの場所にいたのかということは、誰も知らない。
書いちゃったけど。
【シリーズ:坂道を上ると次も坂道だった】でした。