ひきこもっていた頃。電話線の向こうから怪獣の声が聞こえた。
ずっと家の中に、いや、布団の中にいたわたしを、引きずり出したのは意外な人物だった。
理由のない恐怖が
自殺未遂をしたことで、何もせず家にいることがなんとなく許されるような雰囲気になっていた。
とはいえ、家にいても近所の人が話す声が聞こえる度にビクビクしたり、電話がかかってきても出られなかったり、いつも不安だった。
苦しんでいるうちに、季節は冬から春に変わっていた。
電話線の向こうから
4月初旬に、電話がまた鳴り出した。相変わらず出ようかどうしようかと悩んでいた。
けれど、いくら悩んでいても切れることがない電話だった。
いい加減うるさいと思ったのもあって、わたしは電話に出た。
電話の向こうで怪獣の声がした。
久しぶりの怪獣で
「もしもし」と電話に出たわたしに
「どんくさか-」という声が聞こえた。
怪獣のような言語障害でも、今のわたしにはきれいに聞き取れる。
黙って受話器を持っていたわたしに怪獣は笑いながら言った。
「ぼちぼち、出てきたらどうやー」
怪獣に言われて、なんとなく出ていこうかと思った。
これはたぶん、自分が必要とされているということを感じたからだと思うのだけれど、なぜ出ていけたのかいまだにわからない。
きっかけには違いないけれど
この時、この電話がなければ、わたしは今も、あの時住んでいた家の中で、布団に潜っていたかもしれないと思う。
ひきこもりとして30年以上動けずにいたかもしれない。
でもこの電話がなくても、どのような状態であったとしても、この年齢のわたしは生きてはいたのだと思う。
これを寿命というのだと、ある人に教わった。「まだ寿命じゃないから生きているし、生きるしかない」という意味だと思う。
なぜだか思い出せないが
気づいたらわたしはBさんの家にいた。どうやってここまでたどり着いたのか。電車代をどうして持っていたのか。わからないことだらけだ。
相変わらず怪獣のような声のBさんは「どんくさは、いっつもどんくさいな」と言った。
「どんくさ」というのはBさんがつけたわたしのあだ名だった。
何をさせてもどんくさいから、「どんくさ」という名前になった。
「どんくさい」というのは素早く出来ないとか、うまくできないとか、鈍感だとか、何事もうまくできないわたしにぴったりな言葉だ。
馬が合うというやつだろうか、
どういうわけか、わたしたちは妙に仲が良かった。
これはたぶん、洗濯機事件のおかげだと思う。
洗濯機が動かなくて
まだわたしが介護初心者の頃、洗濯しろと言われたのだけれど、洗濯機が動かないということがあった。
洗濯機が動かないと言ったら、コンセント抜けてないか、と言われたので、さっき確かめたよ、と言って、もう一度確かめた。間違いなくプラグはつながっている。
何かが詰まっているのかと思ってあちこち探る。
結局1時間半が過ぎたころに原因を見つけた。
洗濯機の電源コードが家の中から引かれた延長コードにつながっていたのだけれど、延長コードの先が抜けかけていたのだ。
相手が誰でも
Bさんに洗濯機が動かなかった理由を話しに家に入ると、アホや、と言ってゲラゲラ笑われた。
腹が立ったわたしは、
一所懸命に原因が何か考えて必死になってやっとわかったのに、よかったとか言わずに笑うなんてひどすぎる、人間として最低や!
と叫んだ。いつの間にかわたしは泣いていた。
慣れない家事にBさんの生活介助、電車に乗ることに大学に通うことに、すべてに疲れていた頃だった。限界だった。
けれどこの事件のおかげでわたしはBさんに、相手が重度障害者であっても、言いたいことはハッキリというから信頼できると思ってもらえるようになった。
という話を後から聞いた。
また月に二度、Bさんの家に通う生活が始まった。Bさんからかかってくる電話をいつもは切ってしまう父も、ちゃんとわたしに取り次ぐようになった。
ある日、Bさんの家に一本の電話がかかってきた。
シリーズ
【坂道を上ると次も坂道だった】
でした。