父から勇気をもらった話。2021.1.08
昨日、Twitterのフォロワーさんと七草がゆの話をしていて「そういえば毎年、お父さんが作ってくれていたなぁ」と、思い出したので、今日はそんな父の話をします。
父は、遅い結婚でした。
41歳の時に台湾人の母をお嫁にもらい、そこからKOU含めた3人の娘に恵まれて、とても勤勉に働く人でした。
将棋が得意で、市の大会に出てはトロフィーと景品をもらって帰ってくる。
娘が大好きで、夜勤明けの土曜日にも必ずお出かけにつれていってくれる。
母を大切にして、言葉が分からない母を守るために、泣き言一つ言わず、たった一人で会社勤めをしていました。
母は、言葉が分からないから友達を作ることができない、日本の文化を理解することもできないし、障害をもっているために食事を準備することもできない。働きに出ることもできない。
そんな母なので、父は一人で仕事をし、洗濯や掃除、料理にお金の管理など全て一人で背負っていました。
だから、KOUがまだ小学生の時の夏休みには、仕事の昼休みに一回帰宅して、家族全員の食事を作って、自分はおにぎり一つかじって、会社に戻る、という生活をしていました。
妹と喧嘩した時に話を聞いてもらうのも父。
母には日本語を話しても伝わらないから、聴いてほしくてもできなかったんです。
夜勤で仕事をしている父の会社にしょっちゅう泣きながら電話をかけては、「もう泣くなよ」と慰めてもらいました。(会社の人には笑われていたらしいですが、今考えると仕事中に子どもと長電話なんて考えられないです笑)
KOUがピアノを習い始めると、毎週送り迎えをしてくれました。欠かさず出ていた将棋の大会と時間が重なっていたのに、です。
KOUが中学生になるまで、その事実も伏せて、何も言わないんですよ。
娘たち3人が高校生になると、3人それぞれが違う高校に進学しました。
しかし、駅までは距離がある&KOUは7キロある楽器を毎日持ち運んで通っているので、父は仕事に行く前に駅まで送ってくれました。
「KOUだけ送り迎えしたら、妹たちがかわいそうだろ」と言って、3人全員を駅まで送り届けてくれました。
高校までの距離も違っていたので、
KOUは毎朝6時13分の電車に乗り
2番目の妹は6時48分の電車に乗り
3番目の妹は7時21分の電車に乗って通学しました。
「一緒の学校行ってくれたらよかったんだけどな、しゃーねぇ」と言って本当に3年間、文句も言わずに送ってくれました。
そんな父は、KOUが高校3年生の時に「人工透析」をすることになりました。
長年の無理が祟ったのか、腎臓が血液の中の老廃物をろ過することができなくなり、血管に直径5ミリほどの針を刺して、二日に一度、6時間かけて全身の血液をきれいにしていました。
定年間際の57歳のことでした。当時、お医者さんには「あと10年の命だよ」と言われました。
「退職したら、ゆっくり旅行に行けると思ったのに、体がついてこなくなっちまったなぁ」
その時ばかりは、父も暗い顔をしていました。
KOUは、そんな父を少しでも楽させたくて、教員になることを決めました。教員なら、お金が安定して入るから。
子どもは煩いしうっとおしいから大っっ嫌いだったけど(本当)、父の喜ぶ顔が見れるなら、とそれを克服して教員として合格しました。
父は、手ばたきをして喜んでくれ、親戚に会うたびに自慢してくれました。
KOUの一年目の赴任地は、実家から車で2時間かかるところでした。
父が気がかりでしたが、しっかり働くことが恩返しだと思って、離れた土地で、歯を食いしばって働きました。
初任校は、大規模中学校。KOUは、県内でも名を馳せた吹奏楽部の副顧問になりました。
そんな部活だから、毎朝6時30分に出勤し、朝練を指導。放課後は18時30分まで部活動指導。その後の授業準備。学年業務。
毎日23時まで職場に居るのが普通でした。0時を超えることも珍しいことでは無かったです。
「お父さんは、もっと頑張ってたんだ」
「だから、私も一人前の社会人になって、安心させてあげなきゃ」
そんな生活を4か月ほど過ごした時、KOUは自分の能力の無さと、孤独と、業務の多忙さに追い込まれ、部活の合宿中に抜け出して、車の中で父に大泣きして電話しました。
「お父さん、もう死にたい」
「頑張ってるけど、どうにも上手くいかない」
「自分にはできない」
真夏の暑い日、正午近くの電話に、
父は電話の向こうで戸惑っていたようでした。
わんわん泣き続けるKOUが少し落ち着くまで
静かに話を聞いてくれました。
そして、たった一言。
「辛かったら、辞めていいんだぞ」
その瞬間、KOUは目が覚めました。
父は、KOUが教員として働いているから喜んでくれたのではない
KOUが笑顔で働いていることが、嬉しかったのだ。と。
子どもの頃のように、父は
「もう泣くなよ」と声をかけてくれました。
それがすごく嬉しくて、電話を切った後は
「お父さんに心配かけないように、やりきって見せる!」と燃えていました。
そのおかげで、教員の仕事を続けることができました。
そして、その言葉があったおかげで
父が他界して6年が経った今、
教員の仕事を辞めることに迷いはありませんでした。
KOUが笑顔で働くことが、一番喜んでもらえることだから。
KOUのこの配信を欠かさず読んでくれているあなたにも
どうか大事なものを見失わないでほしいなって思っています。
本当に大事なことは、大切な人が健康で、笑顔でいてくれること。
ただお金を稼げばいい。
偉い人と知り合いになるのがすごい。
高価なもので着飾って
好きに遊び惚ける。
気の合う友人とお高いホテルに泊まって
映える写真で自分を見せびらかす。
ビジネスの世界には、そういった思考が溢れているように感じてしまいます。
でも、そうじゃなくて
大事なものは、既に自分の周りにあって
それをもっと大切にするためにビジネスをすることのが
本質的な幸せなんじゃないかな、と思うんです。
だからKOUは、家族を大事にするために
今日も発信を続けます。
稼ぎ方を知れば、自分で稼げるようになれば、
読者さんも、よりご自分の大切な人との時間をつくれるようになるとそういう想いで発信しています。
私は父の人生から
「人の幸せのために、行動することの尊さ」を学びました。
それがひいては、「自分の幸せになること」も
父から学んだので。
あなたがこうして、KOUの配信を読んでくれているのも
きっと何かご縁があったのだろうな、と本気で思っています。
だからこそ、そんなあなたのために、
今日は、この記事を書きました。
ぼろ泣きしながら、記事を書いたのは初めてです。笑
短くていいので、感想も送ってくださいね。
一週間お疲れさまでした。
土日はどうぞ、あなたの大切な人との時間を
ゆっくりお過ごしください。
謝謝、再見。
KOU
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