クレイマー・クレイマーに見る愛着と日本人のこれからを読む方法

こんにちは

レッドベアです

ノートの更新をいたしますが

今回は映画と愛着障害の話をテーマに

評論…(おすぎさんや町山智浩さんのようにはとても及びませんが)

することとします。


今回のタイトルは

クレイマー・クレイマーです。

アメリカの自己実現欲求と家庭内の充実の両立の困難さなどを離婚調停や裁判の過程を軸としながらドラマティックに描いてみせた名作の一つとして、知られていますね。

当時のアメリカは離婚率が極めて高く50%近かったという話も聞きますね。

物語は夫役であるダスティンホフマンの視点で話は進行しますが、社会問題や経済という視野でも眺め直すと見えてくるものも変わってきます。


その前に、折角お話を聴いてくださる方々にとっても愛着障害についての基本的な知識やあらましを把握しておく必要性があるかと思います。

いきなり一つの記事に詰め込むのも得策ではありませんし

小出しにと、続きを利用しながら

作品の中のハイライトの解説を通じて

親切をモットーとする私、あかひげは徐々に読者さんらのゲシュタルトが構築しやすくなるように設計してゆければと思います。

この愛着障害を読み解くのに必須の書籍となるのが

岡田尊司先生の作品を抜きにするのは難しいでしょう。

また、愛着の問題を児童書で文学作品であることも相俟って、専門用語で説明される訳ではありませんがミヒャエル・エンデの「モモ」を読み込むことでも言わんとする事そのものの手触りが何となく掴めるはずです。

(既読者さん達なら、理解が早いかと思います。
そう…あの灰色のスーツをまとった時間泥棒達と、それに翻弄される主人公とその仲間達の紆余曲折に、現代を覆う愛着の問題やカラクリが視えてきます。

それはその児童書の中だけではなく、作り話の中に作者や読者を含んだ現実的で個人的な実感のある本当のことが綴られており、別な話である筈の映画クレイマー・クレイマー(作者は勿論別人のはずです)の作中にも同様のものが貫いている事に気づくことでしょう。)

端的に愛着とは、愛情が伴う情報のやりとりや自分自身を含む他者との関係性の構築に不具合をきたす事なのですが…

この問題は、様々な面での影響が縁起的に展開していきます。

部分の中に全体を見る(美や神は細部に宿るともいいますね)という哲学や伝統がありますが

フラクタル的に、部分に重要な情報が含まれておりこのことを皮切りに施術、ヒーリングがなされることもあります。

ですので、この問題と向き合うことは相当の克己を求められますし不甲斐なさ、情けなさは露出することになります。

根深いんです…

本当に…

(気づき、認知科学でいうところのRゆらぎですね。)

映画、クレイマー・クレイマーの作中では最終的には主人公の夫妻は人間的な成長と愛著の回復に伴い、大切な宝物である子供の幸せをしっかりと親として向き合い、受容出来るまでになりました。

映画自体は、救済の抱擁シーンでエンドロールを迎えます。

離婚調停中の二人や親と子としての関係性はずっと続きます。

お金の話や、性格の問題など弁護人とのやりとりや尋問といった脂っこいシーンが続いたあとのお口直しで

そんな未来を感じる、愛と知性についての物語を見事にパッケージ出来てしまう。

ほんの少し書き換わっただけで、愛着の問題は多方面で長足の進歩をもたらす伸びしろを含んでいる…とも言えますね。


今の日本はアメリカの後追いの構図なので、クレイマー・クレイマーで生じた出来事の相似的な現象が何かが見えてくれば

別な作品でも、読み解けるものがあるかと思います。

日本の事となれば、他人事ではおれないでしょう。

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