知らない街での日曜日

いつもは行かない方面の街に出かける。
日曜日のお昼時、電車に乗って乗換駅まで。
いつも思うけれど、日曜日のこの時間帯の電車は空いている気がする。でもそれはいつも混みすぎているからそう感じるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。だって、乗換をするその大きな駅の構内には辟易するほど、歩くのにとても注意しなければいけないほど人で溢れていたから。電車を降りて、階段を登って、お店がいっぱい入っている人で溢れている構内を歩くとき、私はそこにいなくなった。

心ここにあらず、状態。
それがなんとなく意図的にできるようになったのは努力の賜物なのだろうか。人がいっぱいいるところ、興味がないこと、そんなところに行かなくてはいけないときがある。できれば避けたいけれど、どうしても1回は行っておいた方がいい、みたいなとき。
憂鬱で、逃げ出したくなる。その日がやってくるまでの数日間、沈む。
当日になって、その場にいる私は上の空。
その場に必要な最低限の行動は何も考えなくてもできる。けれど、それ以上の事柄をすることはない。歩いたり、食べたり、聞かれたことに答えたり、自分の中に蓄積されたオートマチックマニュアルから参照して反射で出す。そんな感じでやりすごすこともできる。もっとこうしたらいいのかも、そんな向上心や親切心、このときだけは捨てる。もしかしたらこれが東京の秘密なのかもしれないと思った。

知らない街は東京の自動車免許試験場。
私は東京で免許を取得していないから初めての場所。
でも東京でもこの街は小さな街で、やはり免許試験場の街として存在しているようだった。小さな駅を出ると、試験場までの標識が目につくところにある。しばらくあるくとまた、また、また。おかげで地図を見なくても着くことができた。

免許の更新は流れ作業。
最初の受付、それから次は◯番の受付に行ってください、そう言われてまた列に並び、それが終わればまた次の受付に、なにも考えなくていい、言われるがままに列に並び、窓口で書類を出していく。わかりやすくて親切で、驚くくらいに誰にでもわかるように設定されているように感じるのはどうして。

講習を受ける。
教室にずらっと大人が座っている。久しぶりの風景。
内容はつまらない、もらった書類を読めばわかるものだけれど、その状況が面白く感じられて仕方がなかった。

あっというまに新しい免許を受け取り、試験場を出た。

知らない街を歩く。
ずっとこの街にあるだろう佇まいのラーメン屋に入り、ラーメンを食べる。
ちょっと歩こうと思ってあるき出した商店街は延々と続いていて、結局電車で来た乗換駅まで歩いてしまう。途中の公園で猫が3匹等間隔でくつろいでいた、スーツを着た男性がその中の1匹をなでている。日曜日でもスーツ。
この人は何を売る人なんだろう。想像しながら私はもう1匹の猫の前にしゃがんで、撫で始める。

駅につく。私の心はまたどこかに行ってしまって、電車に乗る。


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