花様年華
DVDをレンタルしていたころ、好きな映画を見つけたらその監督は誰なのか、その監督はこれまで何本映画を撮っているのか調べて、またDVDをレンタルして、その監督の映画をどんどん知って好きになっていった。
サブスクサービスが当たり前になったいま、映画を見る行動も変わった。基本的に新しい映画がほとんどで、昔の映画はあまりない。まるでフィルターにかけられたかのように、世界の中でその層にしか焦点があたっていないように感じる。見つけて借りる、から、あるものから選ぶ、になった。
動画をレンタルすれば良いのだけれど、それで解決するのだけれど、あまりそれをしないまま新しい行動を見つけた。
東京に住んでいると名画座がたくさんある。
高田馬場の早稲田松竹、池袋の新文芸坐、目黒シネマなど。
そこで見たい映画がかかるのを待って、映画館に行くこと。
自分の中で映画館にかかる期待が大きくなった。
そんな行動をしながらこの監督の作品を全部見たいと思っているのが、ウォン・カーウァイで、この日はとうとう花様年華を見た。
ウォン・カーウァイの映画は映像が大好きだ。だったらクリストファー・ドイルが好きということなのではないだろうか、と思ったことが何度もある。それほどまでに魅力的で中毒性のある映像。この人たちが作った映画でしか見たことのない色彩が詰め込まれている。その色を、構図を見たくなって、まだ見ていない作品を探す。
もう一つ、私は行間が好きだと思った。
会話、映像、セリフ、セリフのない映像がしばらく続いて、新しいシーンに切り替わる。俳優の表情だけをしばらく移して、次のシーンになる。さっきまでの深刻さは引きずっていない。ストーリーは続く。場面から場面に移る際の行間、映画を見ながら頭の中でつなぎ合わせる思考が回る。そんな映像とセリフだけで完結しない奥行きの深さが私がウォン・カーウァイの映画がすきな理由だと思えた。
あまりにも美しいマギー・チャンとあまりにも渋く、哀愁を感じさせるトニー・レオンの2人が作り上げる物語が心の奥に突き刺さるほど、この映画を忘れられなくなった。