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@3 日本と韓国(2)

1868年(明治元年) 日本は朝鮮に使節を送って新政府の樹立を告げる。新たな国交と通商を求めた「皇政維新の書契」を朝鮮側の官吏は、受け取らない。

受け取らない理由
・印鑑がいけない
・「天皇」の「皇」の字がいけない
・「天朝」など使ってはいけない
・「天朝・皇朝・朝臣」という文字を使っていたと言
  うと朝鮮の外交官は急に「病気」になったりする

話し合いが引き延ばされる。

日本側は書き直しにつぐ書き直し。印章を作り直す。同じような文章を何度も書かされる。
朝鮮側は明治元年から7年経っても受け取らない。明治以降は、徳川の日本国王から、天皇に変わった。皇の字が気に入らない。オレらより上だと?

対馬との貿易を制限する。
公館の門には次のような文書が貼り付ける。

「無法の国、恥知らず、衣服容貌とも日本人にあらず
天下の笑うところなるを平然としている恥知らずである」

日本へ宣戦布告か?
西郷隆盛が、自分が単身朝鮮に渡って直談判して説き伏せる。それがかなわねば戦争だ。と言い出す。これが征韓論。

官僚の態度はたいへん不誠実。嘘・ごまかし・公私混同の弁明・仮病・突然の前言翻し。それに対して、日本側はひたすら辛抱強く粘り強く正論をもって交渉する。

1875年(明治8年)「書契」は受理することになった。江華島事件(1875)で、やっと動く。

朝鮮側は、「旧格」を厳守しろと主張する。日本側は、国の内政問題に属することまで立ち入るのは侮辱であるとして拒む。応対の形式を日朝で話し合うという約束を遵守せよと迫る。

どこかで見たことある風景。
日韓関係は最悪と言われているが、この関係は100年前から何も変わっていない。不誠実な国と馬鹿正直に交渉する国。普通に話すことすらできない関係がそこにはあった。


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中岡 興
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