外からMBTIを "決めつける" ということは甚だナンセンスなのではないか?

久々のnoteです。

最近twitter (現X) に生息してぴよぴよ呟いているのですが

久々のnoteです。


MBTIというペルソナを被ったBig5的な16personalitiesという診断サイトが大変流行っている昨今ですが(おそらくMBTI以上に16personalitiesが流行しているように感じていますが)

個人的に、

「良いね」

という点と

「ここは問題だろう」

という点があるので、その点を整理してみました。


その前に…

前提として、
現在私は "MBTIというものに有用性を感じている素人である"
という背景があることを記しておきます。


※ 追記:
エンタメとして個々人が楽しむことに
「良い」とか「悪い」はないと思うので、
その点は問題にしていないです。



個人的に良いと思う点
・16personalitiesというBig5ベースの診断が流行すること。
・16personalitiesが誤解なくさまざまな解析や活用がなされること。

個人的にやや引っ掛かりを覚える点
・"MBTI" とgoogle検索すると、トップに表示されるのが16personalitiesのサイトであること 笑
・これと関連して、"16personalities" を "MBTI" と呼称されている場合が多いように感じること。

個人的に問題だと思うこと点
① 外 (他者) から、MBTIについて「あなたは〇〇〇〇のはずない、△△△△だと思うよ?」と指摘すること。
② 「〇〇〇〇は〜〜だからダメだ」「〇〇〇〇は〜〜だからウザい」みたいな特定タイプ下げ。

今日話したいのは、最後に列挙した「個人的に問題だと思うこと」についてです
(話した過ぎて①, ②と番号を振っています)

同じような違和感とか不快感を感じてる方もいらっしゃるんじゃないかなと思うのですが…

声として出すこと、数が上がることも大切じゃないかなと思うので

noteとして書いてみることにしました。


① 『外 (他者) から、MBTIについて「あなたは〇〇〇〇のはずない、△△△△だと思うよ?」と指摘すること』  について


MBTIはそんなものじゃない!

(と思う)


まずこれを…声を大にして言いたい。

MBTIは、4つの指標 (E/I, S/N, F/T, J/P) における、それぞれの心の利き手から分類する類型論である…と私は解釈しています。

この「心の利き手」の概念は、少し抽象的で

私の場合は、公式セッションを受講することで

ようやく「腑に落ちる」という感覚が得られました
(あ、noteの皆さん、こっとんは公式セッションを受講いたしました)。


この「心の利き手」

つまり…
私が、外界刺激に対して、まずぐっと認識する、体感する、
内向的な心の動きが自然なことも、

物事を捉える時に、いろんなものを関連付ける癖も、

議論の際に皆ができるだけ納得した形を目指したくなることも、

ゴールを決めておきたいけど、そこまでのステップは柔軟であることが心地よいことも…

完璧に外から理解することは不可能です。

(これは断言できる)

私は今、MBTIでいうところのINFJでしかあり得ない
と思っています

それは良いとか悪いとか、

想像力豊かになりたいからそう振る舞ってるとか

外向的な性格の方が仕事が速そうだから良いんじゃない?とか

そういう後付けの理念とは無縁のものです。

私は右手が使いやすいから「右利き」です。

でも、もう少し突っ込むと…

歯磨きする時は必ず左手でするんですよ。


歯磨きの時に出会う人がいたら、

きっとその人は

私のことを左利きだと思うはず

です。


そのぐらい、自分の中で利き手は決まっているけど

外からその利き手はわからない。


そう思います。

私だって、
人の顔を見ずに論理性だけで決断することだってある。
考えることを止めて、瞬間的に動くこともある。

ただ、そのためにちょっと考えたり、
いつもより "は"  「意識して使ってる感」が出るだけ。

ある意味、INFJというタイプに利き手ではない
TeやSeを意識して使うことで
割と自然に使えるようになったり、
なんとか使えるようになってきている…のかもしれません。


この時、結果として外に表出する行動からは
私がTeやSeを好んで使っているように見えるかもしれませんね。

でも、私の物事の捉え方
判断基準は
頭をかち割ったって見えないでしょ。

本当に知りたければ、
いつか、どうにかこうにか人の思考が共有できるその日が来ることを楽しみにしておいてください
(私は楽しみにしてますが…難しい)

それがMBTIの言ってる所であり、
心の利き手なんじゃないかなと思います。


だから、例えば「〇〇〇〇タイプになりたかった」
みたいなものも、そんな悲観的になる必要はないかもです。

もちろん、得手不得手からそう思うことはありますが。

生得的ではないだけで、利き手じゃない方も使えるようになるんだと思いますから。
何も悲観することはない。
なりたい自分になれると思う。

MBTIとは…そういうものでは?



②『 「〇〇〇〇は〜〜だからダメだ」「〇〇〇〇は〜〜だからウザい」みたいな特定タイプ下げ』 について


MBTIはそんなものじゃない!

(と思う / 2回目)


これも、①と共通する部分があると思っています。

MBTIは心の利き手

その点について、

人の物事の捉え方と判断の仕方から
「16のタイプに分けられるんじゃない?」

を考えている理論 だと感じています。

それはあくまで4つの指標から見ただけのもので

"人の性格" "個性" は

それでは表しきれないものを含んでいます。


この4つの指標の中ですら、

利き手、なのであって、

利き手じゃない側の手ですらもちろん使えるのに…

そもそも、

「自分の利き手を知って、長所や苦手な部分を伸ばしたりしながらより素敵に生きれたらいいよね」

みたいな考えが、MBTIの目指す所だと思うのに

「〇〇〇〇は〜〜だからダメだ」「〇〇〇〇は〜〜だからウザい」

って

言ってること、おかしいよ?

話が噛み合ってない。


だから、それはMBTIじゃない
私は思います。



最後にもう一つだけ

私が言っているのは

MBTIが良くて、16personalitiesがダメということでは 全くない ので。

もしそう感じるのなら

もう一度最初から読んで欲しいです。

議論なら、時間の許す限り付き合います。


私はMBTIの科学的じゃない部分に価値を見出しているけど、

そんな類型論 (MBTIを含む) も、
より統計学的 "に" 有用だと考えられる特性論 (16personalities, Big5含む) も、
どちらも非常に有用であり、でも間違った捉え方は危険な事象につながるんじゃないか

という危惧ももっています。


人を蔑むみたいなものじゃなく、
自分にとって良い使い方が広まると良いですね。





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