ソシオニクス タイピング用質問 回答: F
https://casual-typology.blogspot.com/2023/12/socionics-test-list.html
Fe
1: (500字)
自分の感情を見せることは、社会的に見て許されることだと思いますか?
感情を見せることが誰かの負担にならないのなら、許されることなんじゃないかと思う。
自分の感情を誰かと共有することで、楽しさや嬉しさがトータルで増えたり、悲しさが減ることもあるので、許されるか許されないかという質問なら、許されやすいこともあると思う。
ただ、許されない、正確には "あんまり受け入れてもらえない" 場合もあると思うので自分は気をつけたいなと思っている。
感情を見せることで、人を傷つけることもネガティブにすることもあると思うので。
社会的、というのがミソで、個々人は受け手でかなり個人差があると思うけど、通念的なものは念頭においといた方が良いように考えている。
不適切な感情表現の例として、どのようなものが考えられますか?
相手の気持ちを蔑ろにした一方的な好意。
相手のことを蔑ろにした怒り。
人のことを下に見た感情全般。
常に自分は何様なんだよと思っていたい。
感情を見せる場合、相手の感情にどういう影響があるかを想定することが大切なんじゃないかと思う。
同じ「怒り」を見せるにしても、「相手の将来を見通した怒り」であり、かつ「相手がその意図を理解できる形の怒り」であり、「相手がその怒りをポジティブに捉え得るか」をしっかり考えておく必要があるように思う。
2: (750字)
悲しみ、落胆、憂鬱などのネガティブな感情状態を想像してから、次の質問に答えてください。
① あなたは自分の意志で、こういった感情状態に入り込むことはできますか?それができない出来ない場合の追加質問として、あなたはどういう時にこうした感情状態に陥りますか?
入り込むことはできると思う。大切な人に裏切られる想定をすれば、悲しみ、落胆、憂鬱の状態を想像することができる。
大事にしてる物が無くなったりすることを想定すれば、悲しみ、落胆は想像できる。
② 一度こうした感情状態に入った後、いつまでその状態が続きますか?
自ら能動的にそうした感情に入り込んだだけなら、割とすぐ抜け出せると思う。そういう意味では、もしかすると本当の意味で入り込めてないのかもしれない。
③ そうしたネガティブな感情状態から抜け出したいと思った場合、あなたはどうやってそこから抜け出しますか?
能動的ではなく、そういう状況に陥ったのなら、確立した抜け出し方なんかもっていない。
ただ一つ、1番自分の方法的に近いのは、「明らかにして、あきらめる」というもの。
ただ、やっぱりすべてをあきらめるのって難しい部分はあると思う。
だから確立したものをもっていれば、そんな生きやすい人生はないんじゃないかな?と思う。
能動的に入り込んだ場合は簡単だ。これは妄想だからと思えれば良い。
それを現実に適用することはできない。
自分の捉える世界の中で、自分を騙すことは苦手だ。
ネガティブな感情状態を克服できる術を確立できてたら、いいよなぁ...。
④ 悲しみや落胆、憂鬱という感情に、心地よさや安心感といった何かを感じることはありますか?
あーこれはちょっと面白い質問かもしれないと思いました。
確かに、悲しみや落胆、憂鬱な感情にある種の安心感みたいなものを感じる時はあるかもしれない。
それは私の場合、自分を卑下することで安心するみたいな感覚を持つことが、確かにある。
自分なんてこんなもんでしょ?何か期待でもしてたの?馬鹿だよね、みたいな感覚。
ちょっと歪んだ部分かもしれない。
⑤ この感情状態になった後はどう感じますか?
心地よさや安心感を感じた後ですか?
ちょっと悲しみや落胆はマシになってるかもしれない。
でもそれは長くは続かない。
この卑下する感覚は、別に長続きするものではなく、心のクッションみたいなもので、一時的なネガティブの緩和でしかないからだと思う。
その後は普通に恒常的な解決を目指してもやもやしていると思う。
3: (301字)
あなたは感情状態をどれくらい素早く切り替えることができますか?
そんなに素早くできていないと思います。
例えば負の感情状態が生じたら、生活上フタをすることはあっても、ずっとあり続ける。
具体的に言うのは難しいけど、遅いと思います。
「感情状態Aから感情状態Bに切り替えるのは得意だけど、その逆は苦手だ」といった、得意な切り替えと不得意な切り替えはありますか?
あります。
喜び→悲しみ、は比較的簡単。
これが簡単なのって、自分に「おごるなよ?」って言い続けてるからかもしれない。
そんな君は喜びがずっと続く人間じゃないんだよ?みたいな感覚があるのかもしれない。
素直に喜べない。ジェットコースターが落ちるのが怖いから、ほら落ちると思うよ?落ちるでしょ?はい、落ちたーみたいな感覚に近いかも。
やっぱ歪んでるって! なんか再認識しました、ありがとうございます。
逆は難しい。それはここまでの回答の通りです。
4: (507字)
あなたの「最も普通な状態の感情」(デフォルト状態の感情)とは、どのようなものですか?
何か面白いものはないかな?
観たいな、知りたいな。
それを自分の中に取り入れたい。そして反芻していたい。
それによって自分は何を考えるだろう。
今までの価値基準からどう判断するだろう。
取り入れることで何か新たな知見が得られるかもしれない。
こんな感じが1番デフォルトの状態だと思います。
感情とは少し違うか...感情で言うとなんだろう。
好奇心から来る、何か得られることに期待してる感情、かなぁ。
調子が悪い時でなければ、基本的には「うっすらポジティブ」くらいの感情をもっていると思います。
喜怒哀楽、で言うなればもしかすると、「楽」よりは「喜」に近いかもしれない。
調子が悪い時は「怒」の時も「哀の」時もあると思う。
「怒」の時もなくはないけど、少ないとは思う。
あなたの内面の感情状態は、外側に現れる感情表現と一致していますか?
一致していることもあるけど、一致してないことの方が若干多いかもしれない。
でも顔には出てる気もする。そんなに器用ではない気もする。
わかりやすいと言われることと、わかりにくいと言われることがある。
あの違いはなんだろう。
多分IN的な気質の人かそうでないかの違いな気がしている。
でも、多分「感情を表出すること」自体は、とても苦手だと思う。
この辺、解像度が低いかもしれない。
5: (336字)
過去1日のあなたの気分について教えてください。
今日も一日がんばろか...(憂鬱&奮起)
より詳細に見ていくと、本当はゆっくり寝てたいけど仕事行かなあかんな、という憂鬱をまず感じて、でも頑張ろうと奮い立たせる。
仕事中は、上手くできたかなというプチ喜びと、なんか上手く行かんなぁという悩み、悲しみみたいなものが、仕事の結果から波のようにある。
合間にTwitterを見たりしてホクホクする。
今の職場の人間関係は、基本は良好なので、話していて楽しい感情が多いと思う。
でも、やっぱり言葉を反芻してしまったり、裏の意図などを考えてしまって、勝手にもやもやとすることはある。
仕事後は回復の時間。
食後、甘いものとコーヒーを頂くのが至福の時間。
慌ただしいこともあるけども、お風呂にゆっくり入れたなら、それも至福の時間。
おやすみなさい。
Fi
1: (102字)
過去1日の間に、他の人との関係にどのような変化があったのかを教えてください。
変化...1日では、そんなにないように思う。
でも強いて言うなら、平穏な1日を積み重ねたことで、少し人となりの解像度が上がって、信頼関係的なものは少しは進展しているかもしれない。
こ、これ以上書くことある…?
2: (570字)
「同情」という言葉の意味を解説してください。
相手の感情を慮って、自分なりに解釈して労りをかけること。
「同情」という言葉自体には、私はネガティブなイメージ…例えば、「一方的に相手の感情を決めつけて、可哀想に思う」みたいなものを指すことも多いように思う。
でも、それは自分の良しとする「同情」ではない。「良くない同情」であると考えている。
それは、最初に述べた、私の中の同情の定義に示しされているように思う。
「同情」はどのようにして表現すべきだと思いますか?また、その逆にどのような表現は避けるべきだと思いますか?
同情として表現すべきか避けるべきかというのは難しい。
私は同情はそもそもして良い場合とダメな場合があると思っている。
同情自体に良いと悪いがあると思っているのだ。
自分は、同情の際に、「自分の中での良いと思える "思いやり"」をもっていたい。
それは相手がもしも「悲しみを共有したい」と思ってくれるのなら、出来る限り相手の抱える悲しみを自分なりに理解しようとして、突き放すことなく、寄り添うような形で辛かったねと言えること。相手の悲しみが少し軽くなるような同情。
それは別に一時的な逃げ場だったとしても良いと思う。
これが自分の中の良い同情。
逆にダメなのは、相手が求めていないのにする同情。
でもね!この判断はすごく難しくて、実際の所正解かはわからない。
だから話しつつ、自分の中で調整している。
上手くできてるとは全然思わんけど。
あなた自身は「同情」をどのように表現することが多いですか?
もう上に書いちゃったので、参照して下さい。
3: (546字)
社会には、人としての行動規範や人間関係に関する規範があると思いますか?
あると思います。
それはあるから上手くいっている部分も、足枷になっている部分もあると思います。
例えば、「1日3食食べることを目標にする」のような行動規範があることで、「とりあえずこれをやれば良い」といった最低限の指針となったり、「自分がされて嫌なことを人にしないでおく」と規範を流布しておくことで「これさえ守れば最低限の人間関係の障害を減らせる」みたいなことを担保しやすい。
逆に、規範があれば、それから逸脱する際にエネルギーが必要となるので、フレキシブルな対応が必要な際に、余分な労力がかかることも危惧される。
上記の質問に「はい」と答えた場合の追加質問ですが、あなた自身はそれを遵守していますか?
できるだけ遵守しています。
やっぱり規範ありきに考えている人がいて、その1つの理由として、集団を形成するということは、規範が無いと想定した行動が取れないことなどからストレスを被る人がいるからだと思っています (昔の自分はそういう面があったと思うので、そう解釈せています)。
常に人間関係の規範に従うべきだと思いますか?また、そう思うのはなぜですか?
常にとは思いません。
昔は常にそう思っていたかもしれません。規範から外れる人に対して、どうなんやと思っていたこともありました。
でも今はもう少しフレキシブルである方が良いのではないかと、個人的には思っています。
規範によって制限されるものがあって、時々それがすごく大切なものであることがあると感じるからです。
4: (543字)
「モラル」と「インモラル」という言葉がありますが、何を持って「これはモラルを守っている」「これはインモラルである」という判断の違いが生じるのだと思いますか?
モラルを守っている→人の尊厳を尊重している状態。
インモラル→人の尊厳を害する可能性がある状態。
かなぁ。
社会的行動を取る時に、道徳的かどうかって、社会を構成している他者に配慮できる状態か、または実際実害が出ているかを置いといて、他者の尊厳を脅かす可能性のある状態かどうか...な気がしています。
あなた自身は「モラル」と「インモラル」をどのように理解していますか?また、あなたの理解は、他の人々の理解と同じだと思いますか?
どのように理解? 上記の回答の理解ですが...
例えるならバイキンマンはインモラルなとこが多々あって、モラルでそれをやっつけてるのがアンパンマンじゃないかな。
他者との理解の比較になると、やはり被ってる部分は多いと思うけど、差異はあると思うという答えになります。
いや、もしかしたら、「モラル」「インモラル」については、自分の定義はフレキシブルすぎるかもしれないですね。。。
あなたは自分の「モラル」と「インモラル」の理解が正しいかどうかを評価できますか?
正しいとはなんでしょうか...
広辞苑の定義と合致しているか? それとも社会通念的なものを具現化した時に、その全体の共通認識と、私の理解してるものが一致しているかを見ればいいのか...
前者は一応ある程度評価は出来るかも知れないけど、私の考えを矯正すべきがどうか、自分がフィットしようとするかはわからない。
後者を定義できたなら、もっと平和な世の中になっているような気もする。
こういう諸々から、正しいかどうかは中々評価できないんじゃないかなぁ。
5: (570字)
誰かがあなたに対して明らかにネガティブな態度を示しています。あなたはこういう時、どのような反応をすることが多いですか?
悲しい、ただただ悲しい。
でもそれはもう仕方ないからと割り切ろうと頑張る。
でも悲しみは拭えない...はあ辛い。
と思いつつ、態度は平静を装っている。
平然と見えるように取り繕ってはいると思う、取り繕えてるかは知らないです。
上記のような場合、あなたは「あなた自身が抱いた、相手に対するネガティブな態度」を、言葉や振る舞いを通して、相手に伝わる形で表現することはできますか?
ん? 逆に、自分が抱いた場合、ということで良いのかな?
だと「上記のような場合」が邪魔なんだけど。
→自分が抱いた場合、の仮定で考えます。
表現しないことが多いと思う。
自分が勝手に抱いてしまった場合もあると思うから。それならこちらに原因がある。
でも明らかに自分を含めて周りを害しているなと思ったら、表現すると思う。
その辺は、できる限り客観的に「起こっていること」を見つめようとした中で、判断したいと考えている。
上記の質問に「はい」と答えた場合の追加質問です。あなたはどのようにして、相手に対するネガティブな態度を表現しますか?また、それを長時間続けることはできますか?
「なんでそんな事をするの?」と言うと思う。
相手の答えから、本当は何か理由があるんじゃ無いかを考えてみる。
長時間は無理。投げかけて、分かり合えなければ、改善がない限り出来るだけ距離を置く (ドアスラム的)
誰かに一度ネガティブな感情を抱いても、それを許すことはできますか?
変わればこちらも変わります。
これは経験がある。
でも逆説的に、自分は結構頑固なのかも知れないと、再認識してしまった。