A thousand miles
「俺が面倒みるから、なんも心配するな」
私がお腹の中にいた時に私の母親に言った言葉
おばあちゃんがなぜか子どもは2人までと私の母親に言っていたそうだ
そんな中、3人目がお腹に宿っていることを報告しに言った時におじいちゃんが帰り際に言ってくれたらしい
もちろんおばあちゃんもおじいちゃんも現在までの23年間平等に無償の愛を注いでくれた
おじいちゃんとの思い出は幼稚園の頃からたっくさんある
夏はプール、花火、釣り、冬はかまくらを作ってもらい、かまくらの中でおばあちゃんが作ったおにぎりを食べ、私が疲れ果てるまで一緒に遊んでくれる、そんなおじいちゃん
毎週末は電話して「今から遊びに行っても良いですか〜」がお決まりの言葉
もちろん答えはYES
葬儀の時に聞いた話だが、毎週孫3人をどこに遊びに行こうかおばあちゃんと作戦会議することがおじいちゃんの楽しみでもあったそう(筆者には姉が2人いる)
おじいちゃんとおばあちゃんはアパート経営していて、私が高校卒業と同時に
おじいちゃんおばあちゃんのアパートの一室に住まわせてくれることになった
私が1人暮らしを経験してみたいのと同時に母も高齢になった自分の両親の近くに誰かに居てくれると安心するからと始まった1人暮らし
短大に通っていた頃はおじいちゃんおばあちゃんと仲良く、
たまに顔を出すような程度で、同時に高校でやり切れなかった青春を謳歌していた時期でもあった
一つだけすごい記憶にあるのが、部屋で寝ていたら早朝におじいちゃんが私のベットの隣で立っていた
私はすごくびっくりして、どうしたのか尋ねるとおばあちゃんがいないと言ってきた
おばあちゃんにすぐ電話すると少し10分程外に出ていただけとのこと
おじいちゃんに伝えると安心したように自分の部屋に帰って行った(アパートの管理人のため、スペアキーを使って勝手に開けて入ってきていた(笑))
この頃に既に認知症は始まっていたと思う
短大を卒業して職場が1人暮らしの場所から近かったため、そのまま1人暮らしを続行することになった
しばらくして、おじいちゃんとおばあちゃんがよく喧嘩するようになった
喧嘩の理由を聞くと「おばあちゃんが俺の金を盗んでる」とのこと
もちろんおばあちゃんがそんなことするはずもなく、私も母もこれはおかしいと思いつつ、おばあちゃんが次の日はいつも通りのおじいちゃんだから何もしなくていいと言われた
今思えば、おばあちゃんも自分の夫が認知症になるなんて認めたくない一心だったと思う
この頃から頻繁に喧嘩が起き、おじいちゃんがおばあちゃんの姿が見えなくなると不安に駆られるようになっていた
そして徘徊するようになってしまい、2回警察にお世話になった
(本当に事故がなくてよかった、もし車と接触事故があっても車側に申し訳ない)
鍵を厳重なものに変えたため、徘徊することは無くなったが、その分歩かなくなってしまい、身体の筋力が衰え始めた
次第にトイレにも間に合わないことが増え、おばあちゃんもその度に怒り狂ってた
なんだかんだで1年後くらいには寝たきりになり、おばあちゃんのつきっきりの介護が始まった
おじいちゃんと意思疎通の会話も少しずつ難しくなり、その代わりにおばあちゃんとの喧嘩も減った
でもおじいちゃんにもプライドがあり、私や母にトイレの姿を見られたくなさそうに必死に抵抗していた(それに気づいてたから処理はおばあちゃんに任せていた)
おじいちゃんも自分でしたいのにうまく身体が動かなくてもどかしく、行き場のない怒りがあったと思う
おばあちゃんの精神的、肉体的な負担も考えて施設に力を借りようと何度も母と母の兄は相談したが、おばあちゃんは「絶対に入れたくない、私が見る」の一点張り
おばあちゃんがここまで言うならと、せめてでの訪問リハビリだけすることになった
リハビリの方に手足のマッサージ、運動をしてもらったが、おじいちゃんはあまり自分の意思がないまましてるように見えた
とうとうおじいちゃんが全く自分で起き上がれなくなってしまい、お風呂はみんなで協力して風呂場まで運んでおじいちゃんを洗った
昔からおじいちゃんはお風呂が大好きだから、週1回でもスッキリさせてあげたかった
お風呂から上がってタオルで拭いているとおじいちゃんはなんだか嬉しそうに見えた
全身にクリームを塗ってパジャマを着させて、水分補給、1回のお風呂工程で1時間くらいかかっていた
次第に飲み物も食べ物も自分の口から入れることが難しくなってきたが、辛うじてできていたため、訪問診療してもらい栄養があるゼリー状のドリンクに切り替わった
ある日、痰が喉に絡まって呼吸がしずらそうだったので救急車を呼んだ
病院ではよく高齢者にある肺炎なので、1週間くらいで退院できますよと言われた
私はおじいちゃんに「また、1週間後ね〜!1週間会えないから写真撮ろっと」
そのまま肺炎が長引き、医者に在宅介護は厳しいと判断され、違う病院に移った
そのままコロナで会うことができず6ヶ月
久しぶりに会ったおじいちゃんはただ眠っているようで、身体もすごく温かくて
いつもの様に「おじいちゃーん!」って言ったら「はいっ!よう来てくれたな」って言ってくれそうだった
あっという間に葬儀が終わって、思い出を振り返りながら
このnoteを書いていると、涙が溢れて書くのやめてを繰り返したら、ここまで書き終えるのに9ヶ月かかっちゃったよ(笑)もっと他にもあるけど、書き終わるのに数年かかりそうなのでここら辺でやめておくね
バスケ沢山見に来てくれてありがとう
おじいちゃんのアパートに住まわせてくれてありがとう
毎日仕事に行くとき、外まで見送りしてくれてありがとう
介護関わらせてくれてありがとう
おじいちゃんのように強く優しく生きていきます
A thousand milesを聴きながら