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適応障害になった話

はじめまして。コツメです。
今回は適応障害になったときのことについて
書いていきたいと思います。


経歴/自己紹介

商業高校の情報システム科→専門学校2年制卒業→大手ユーザー系SIer就職→4年目終わりに適応障害→休職(休職期間:1年)
2023年10月~転職活動中

新人研修もしっかりしていて、同期という仲間もたくさんいていい刺激を受けて社会人になってる!!という実感がありました(笑)
効果音をつけるならキラキラ!(私はキラキラって感じではないんですが…汗)
充実していたんだと思います。

コロナ化でテレワークで配属されても、喰らいついて何とかやってました。
大変なことがあっても「できねーーー」と言いながら仕事をして
同じ案件で仲良くなった先輩と
「クリスマスになんで終電で帰らにゃあかんねん!!」
とか言いつつ仕事をして笑ってました。

徐々に仕事を任されて、知識/技術が身についている実感がありました。
困ったことがあっても、同じ温度感で一緒に悩んでくれる仲間がいて、頼れる先輩がいる。
心理的安全性抜群でした。

今思うと職場の離職率は高かったと思います。
課長がやめてった頃から配置転換が相次ぎ、雲行きが怪しくなっていきます。。。

適応障害になった背景

私が適応障害になった時の状況や気持ちを書き出してみました。
※体調が芳しくない方はフラッシュバックする可能性があるので飛ばしてください!

<背景>
①体制の変更
②業務範囲・仕事量の増加
③頼れる先輩社員の離職
④大規模プロジェクト
⑤チームメンバーになめられる
などなど。。。

詳しく書いていきます。
①体制の変更/②業務範囲・業務量の増加
年度初めに体制の変更がありました。
指示をされて動く側から、自分主導で仕事を分担したり教えたりする立場になりました。
このあたりから小規模プロジェクトのリーダーも担当するようになります。
チームが二分され、今まで一緒に仕事をしていた気の合う先輩も別チームになりました。

③頼れる先輩社員の離職/④案件追加
体制変更から半年たった頃、同じシステムを担当していた先輩社員が離職となりました。
ちょうどそのタイミングで上位のシステムを一新する案件があり、引継ぎを受けました。

これが、金額規模や影響度が今までとは桁違い、スキル不足、ほかに詳しい人がいない…などなどでプレッシャーがすごかったです。
さらに、だれもやる人がいないからと1件重ためのプロジェクトが追加されます。
そして完全にキャパオーバーになります。

⑤チームメンバーになめられる
チームメンバーの1人が仕事をやらずにさぼっていました。
各チームに同じ仕事量が割り当てられ、さらに分担して進めるもそのメンバーがの進捗が芳しくない状況が続きました。
後続の作業に遅れが出てしまうので、私も手伝って何とか納期に間に合わせていました。
年上の方ということもあってうまく対処できず、ストレスも業務も抱え込むようになります。

他にも色々ありますが、①~⑤のことが重なってしまったことが大きな要因でした。もちろんスキル不足もあります。。
いろんな機材があって、幅広く経験させてもらったものの、
じゃあ全体像がつかめたか?と言われるとそんなこともなく…
得意分野もないので自信もないまま、ずっともやもやしていました。

同じ温度感で悩んでくれていた先輩はチームもやる仕事も変わって、お互いに忙しくなりました。
仲が悪くなったというよりは、双方の温度感が変わってしまったことも大きな要因でした。

実際の症状/心境

※休職当初から現在で改善した症状を記載しています。ご参考までに。

<初診時の症状>
・頭痛
・不眠(徐々に悪化)
・甘いものをたくさん食べるようになる
・耳鳴り
・休日も仕事のことを考える
・焦燥感
・ネガティブ思考
・仕事中に涙がでる
・気分の落ち込み
・朝起きたときの絶望感/疲労感
・文章が頭に入ってこない
・仕事が手につかなくなる

<後から出た症状>
・寝起きの動悸
・夢で上司が迎えに来る
・罪悪感
・謎のイライラ
・希死念慮(休職半年すぎたあたりから)

<心境>
・これもあれもやらなきゃ
・みんな忙しいし頑張ってるから自分もこれくらい
・できないと思われたくない
・迷惑かけたくない
・先輩ならもっとできる、自分もできるようにならないと
・他の先輩もやめたらどうしよう
・これからもっと辛くなる
・無能だ…消えたい
・なんで生きてるんだっけ…?

症状について思うこと

一番最初に出ていたのは頭痛です。
頭痛持ちではあったけど、社会人になってから頻度が爆上がりしていました。
予防でも飲んでしまうくらい薬に頼っていたのに、全然気づいてませんでした。
リモート会議中に鼓動のようなドクンドクンという耳鳴りがありました。
今思うとストレスによるものだったと思います。

このころから平日は甘いものが必須になっていました。
休職に入る3か月前くらいからガッツだけで、泣きながら仕事をしていました。
心境も見てもらえばわかる通り、自己肯定感は地を這っています。

私は要領がいい方ではありません。
いつもなら出来ないことが悔しくて
必死で勉強したり練習して不足を補うのですが...

今回は違いました。
仕事を裁いても仕事がどんどん自分のところに来て、仕事が自分の気持ちを超えていくのを感じました。
気分の落ち込みがひどく、PCに向かえる時間が少なくなっていました。
メールがすらすら読めなくなって
「この状態で今までと同じ給料をもらっていいのか」と思うようになり
やっと休むことにしました。

休んでからしばらくは罪悪感にさいなまれていました。
やっと眠れても「仕事!!」と思って目が覚める。
動悸がするので治まるまでしのぐ。
ひたすらに動画を見て昼過ぎまでずっと布団で過ごしてました。

上司が「戻ってきてくれへん?」と家まで言いに来る夢も見ました。
睡眠薬を変えたら夢を見ることはなくなりましたが(笑)

半年を過ぎても余りにもよくならなかったので、許可を得て実家に戻ってきました。
テレワークで家で仕事をしていたのもあり、「家=オフ」ではなくなっていたからだと思います。
実家に帰って徐々に仕事を忘れられるようになっていきます。

両親は理解があったのですが、なぜか希死念慮が出てきます。
何よりもしんどかった。。。ただただしのぎました。
治らないんじゃないかと不安だったけど、3か月ほどして急速に良くなりました。
今の私がいるのは家族や友人のサポートのおかげです。
現職のことが私の中で過去のことになったのも大きかったと思います。

最後に

今回は適応障害になった当時のことをまとめました。
私自身、どれが適応障害による症状なのかわからず
「私の症状は普通なのかな…」と不安でした。
結論、症状は多岐にわたるので人それぞれ異なると思います。
仕事を忘れられる時間を増やしていくことが回復に繋がると思います。

私と同様、一般的な期間よりも休職期間が長くなってしまい
焦ってしまっている方もいるのではないでしょうか。

同じような方の参考になれば幸いです。
休職に入るまでの流れや、個人的に回復につながったことなどは別の記事にまとめようと思います。

では、また。


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