見出し画像

♯49 レジ打ちの担当者を推していました

先日、友人と話をしていたとき。友人が言った。

「もう私の年齢になると、スーパーのレジみたいな、誰でもできる仕事しか採用してもらえないわ」

スーパーのレジ打ちの仕事が好きな方は、これを読んだらムッとされるかもしれないが、実際、こんなふうに考えている人は多いと思う。

レジ打ちの仕事は、確かに誰でもできるかもしれない。マニュアルがきちんとあるだろうし、レジの扱いやすさは昔と比べて格段にアップしているだろう。

最近は、レジを通すのはレジ打ちの担当者がやるけれど、支払いは機械がやるというパターンもあるから、レジ打ちの担当者にかかる負荷は軽減しているように映る。もちろん、どんなレジシステムを採用しているのかで大きく違うと思うけれど。

でも、「思わず並びたくなるレジ打ち担当者」には、そうなれないと私は思う。というのも、私には、思わず並んでしまう「推しのレジ打ち担当者」がいるのだ。


もうすぐコスモスの季節

私がその人を見たとき、最初に抱いたのは「このレジの人、遅いな」という感想だった。せっかちな私は、遅いのが好きではない。

が、あるとき、気づいたのだ。その人は、私が買おうとしている食品をとても丁寧に扱ってくれる。壊れてしまいそうなものに触れるように、そっと手で持ち、そっとレジを通して、違うカゴに入れてくれているのに気づいたとき、じわっと嬉しさが込み上げた。

まるで、「私」を大切に取り扱ってもらっているような感覚になったのだ。

なぜそう思ったのかといわれると、正直なところよくわからない。一つ言えるのは、当時の私はとても疲れていた。仕事でかなりのストレスを抱えていたからか、よく眠れない日が続いて、耳にイヤホンをして生活音を遮断しないと外を歩けない状態に陥っていたのだ。だからうれしかったのかもしれない。

「大切にしてもらえた」と感じることが、心に染み渡って喜びに変わるなんて、予想外だったのだ。

この日以降、私はこのレジ担当者の列に並ぶようになった。他の人と比べて確かにゆっくりだけど、ていねいな対応に毎回密かに感動した。

また、顔をしっかり見て「ありがとうございました」と優しく伝えてくれることや、エコバッグに食材を入れやすいようにしてくれていることがなんとなくわかって、余計にうれしくなった。そして、いつのまにか、この人にレジを通してもらうのが楽しみになったのだ。

レジ打ち以外にも、誰でもできる仕事と呼ばれるものはたくさんある。でも、誰でもできる仕事であっても、専門の資格がいるような仕事であっても、「自分がそれをやる価値」をプラスできるかどうかは、その人にかかっていると私は思う。

「自分がそれをやる価値」を上乗せできたら、それは、その人しかできない仕事に変わるのだ。そうなると、必ず評価されるはず。

自分にしかできない仕事にできるかどうかは、その人次第。そこからキャリアが生まれると私は考えている。


☆仕事などに関するお問い合わせは、こちらにお願いいたします
(☆を@にご変更ください)
Mail:kotozute333masuda@gmail.com

いいなと思ったら応援しよう!