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漫画や小説をはじめるのに、練習はいらない(こともある)

オタクと言われる人達は、学年に何人かはいるはずなのですが、多くはありません。そういう人たちが自分で創作物を作り始めた時って、いつ頃なんでしょう? 人によってはもっとずっと幼く、反対に大人になって始める人もいます。年は関係ないんですね。

私が最初に漫画を描き始めたのは小学生の時です。中二病ではなく、小五病か小六病あたりでした。はっきりとは思い出せないんだ。
練習もなにもなく、いきなりストーリー漫画を描き始めていました。その前の段階は、落書きのようなイラストしか、描いていなかったのに。そもそも練習をするという発想がなかった。インターネットのない時代なので、やり方もよく知らないまま、ノートに鉛筆で描き始めました。

内容はいわゆる異世界ものです。地図付き。

大人になって思いかえしてみると、いきなりストーリー漫画かよ!と思わなくもないです。しかも続いているから、連載だわこれ。でもネームなんて知らなかったのだから、仕方がない。田舎の小学生で、まだ子供だったから行動範囲が狭く、画材屋も、もっというと本屋も近くにありませんでしたし。漫画は近所のスーパーで買っていたのです。画材といえば、鉛筆とノートしかなかった。筆ペンだのは、その当時なかったんです。それでも漫画を描いちゃったんだから、子供はこわい。

その後中学生の時に引っ越した先には、通学路の途中に本屋さんがあったんですね。なので、そこから小説を読み始めて(少女小説、ラノベ系)、すぐに小説を書き始めました。なんと、全ページイラスト付き。

漫画のスキルが小説に応用されています。人生、学んで無駄なものはないなぁ。漫画の世界がそのまま小説になったのがラノベですし、挿絵も漫画家さんが描いたものが多かったので、当然の結果のような気もします。

子供の頃は、なんでも影響されやすいというか、目から入ったものが、すぐに手から出てくる。

創作する人間は、口からは出てこなくて、絵や文字になって出てくるんですね。

たくさん見ると、たくさん出てくる。心の中に撮影機があって、見たものが自分のフィルターを通して表現として出てくる。自己表現というものは、周りの環境があってこそなのが、よくわかります。
何かを出そうと思ったら、入れないといけないんですね。

インプットあってのアウトプット。子供には、たくさんの経験をさせ、沢山の表現物を見せることが、本当に大事なのだと思います。

学校に通い始めると、テストがたくさんあって、それを通らないと道が開けないことあるわけで、だから年をとるごとに、とにかく練習しなきゃ、試験を受けなきゃって思うようになるんだけど、本当は何よりも、実体験をすることの方が、よほど大事だと思うんですね。本を作りたければ、実際に本を読み、作ること。
そういえば、小学生の時に、絵本を作る授業がありました。今思うと、その時の体験が影響しているように思います。
(*練習をしなくても絵が上手くなるとか、有名な漫画家になれるとか、売れる漫画を描けるとか、そういう話ではありません。有名作家の創作についての話は、たくさんあります。それも、とても面白いですよね。)

子供の頃は、お金や家族、将来について真剣に考えなくてもいいから、スタートを切るのが早いというのは、おそらくあるでしょう。考え過ぎはよくないんですよね…。お金はもちろん大切なんですけど、考えているだけだと、不安が大きくなる面もあるかなぁ。
私にとっての読者は、クラスの仲の良い友人1人か2人かくらいで多くはないけど、読んでもらって嬉しかったというのも、確かにあります。
自分の妄想を笑わないで、面白いって言ってくれた友人の顔は、名前は忘れてしまっても、今でも覚えています。

漫画にしても小説にしても、子供ながら長い話を作っていたので、定期更新、つまり連載という形で友達に見せていたわけです。本だと一冊という単位ですが、雑誌なら月刊か週刊、webなら基本的には毎日更新ですよね。ドラマも連載形式です。
長く愛されるというのは、長く見ているということと、無関係ではないはずなんだな。新聞の4コマ漫画とかも、普段見ているからというのがある。単発でも名作が愛されるのは、長く触れるところに置いてあるからだともいえます。図書館とかね。

コンテンツの持つ、エネルギーの総量が多ければ、愛も大きくなるのですが、重すぎると持ちきれなくなる…というのは、あるかもです。

この小学生の頃に描いた漫画をなぜ本に含めていないかというと、完結したものがないからです。それって寂しいよね。
つづきます。

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のぐちことよ
ここまで読んでくれてありがとう。