児童養護施設入所児童の当事者心理を学ぶ(その2)

忘れがたい物語

私には16年間の施設生活でこの「家庭引取り」をめぐってある忘れがたい物語があります。私は自分の親の名前も顔も知らずに施設で成長しました。小学校3~4年生までは重症の夜尿児童でした。どんなに注意をしていても夜尿が治らず困っていました。同じ夜尿児童にT君がいて当時は「おねしょ組」といって一つ布団で寝ることになっていました。冬の冷たい布団にビニールシートを敷き、「今日こそがんばろう!」と励まし合うのですが、翌朝になると二人とも失敗します。

すると二人とも寒い中、汚れ物の洗濯が課され、廊下を裸で立たされたこともありました。そのT君にある日「面会日」がやってきました。たまたま私が応接間の前を通りかかった時、見てはいけないものを見てしまいました。それはT君と母親の面会場面でした。私は16年間の施設暮らしで一度も家族からの面会・外出・外泊の経験がありませんした。

ところがその日の夜、T君は施設を脱走したのです。当時の脱走事件はみんなで探し出すことになっていました。しかし誰ひとりT君の行先を知っているものはいませんでした。

だが私にはピンとくるものがありました。それは冬の淡雪の降る夜でした。一目散で駆け出して目当ての場所に行きました。踏切の警報機の音がカンカンと鳴っていました。T君は駅前にぽつんと立って電車を見つめていました。私は連れ戻そうと声をかけました。T君と目があった時「タローには親がいなかったよな」とT君がつぶやいた後、二人で施設に戻ったのです。

夜道は暗く寒く淡雪のが降り落ちる空模様でしたが、踏切の信号機の音が耳にいつまでも残りました。その後T君は「家庭引取り」になり私は「がんばれよ!」と声をかけ彼を見送りました。

数日後、T君から1枚のはがきが届きました。そこには「タロー!くじけるな!」と書かれていたのです。私の夜尿はしばらくは治らず、T君とはそれっきり消息は分かりませんでした。

ところが私はある担任の先生の計らいで学校の成績が急激に伸び、その結果5年生になった時には夜尿がピタリと治ったのです。だがそれは施設生活での苦難の始まりでもありました。
(つづく)

和光大学講師  市川太郎

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