養育里親の歩み (その4)
4)東京都養育家庭制度
昭和40年代の高度成長とともに生活スタイルが変わり、当時の大都市圏では革新系の知事が誕生し、新しい歩みが感じられる時代になっていました。東京都も美濃部都政が誕生し、福祉に新しい流れが見えはじめました。
一方では経済の拡大に伴って、格差の広がりも目立ち出し、社会問題ともなっていきました。若い夫婦の共働きが出始め、合わせるように乳幼児の施設保護が増えていきました。マスコミではコインロッカー棄児事件や出稼ぎ夫婦の「出稼ぎ孤児」も話題となりました。
また、集団養育の児童養護施設ではホスピタリズム論議が起こり、個別処遇の一環として家庭での養育の必要性が提唱されてはじめたのもこの頃です。多くの子どもに家庭生活を経験させるために、家庭で短期間幼児を預かる制度が話題となっていきました。昭和48年東京都においては、委託期間2年を目途に「縁組みを目的としない養育家庭制度」をスタートさせています。
当時の里親制度といえば縁組を目的とすることが主流で、養護施設と同じように子育てを請け負うものではなかったので、当時にあっては養育家庭制度は画期的な制度でもありました。
「養育家庭制度10年のあゆみ」誌上で、福祉局長の挨拶に「当初、自分の子どもを育てることすら大変な時代に、他人の子どもを育てるという制度が、果たして日本の風土に育つであろうかという一抹の不安がありました。」と述べさせています。その後間もなくして出稼ぎ孤児問題も影を潜め、預かった子どもの引き取りがずるずると先延ばしになっていきました。加えて、社会の要請として中高生も養育家庭に籍を置ようになり、現在の制度の原型が出来上がったようです。
国も東京都の動きに合わせて、昭和49年に短期里親を制度として取り入れることになりました。東京の養育家庭は統計上「短期里親」と位置付けられたが、養育里親は全国的に広まることはなく、統計で確認できるのは僅かの自治体に留まっていました。
(参考)
東京都の養育家庭制度10年の歩み:昭和58年10月(東京都福祉局編)
短期里親の運用について:昭和49年9月(厚生省児童家庭局長通知)
青葉紘宇
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