考えるんじゃなく、感じることを大切にしよう!
【MKニュース 2022.9.25より抜粋】
先日、ある高校のSDGsの授業をキッカケに『ジェンダー平等』をカタチにしようと行動に出た生徒会と学校との『わかり合えそうもない溝』を取材したドキュメンタリー番組を観た。
生徒会女子役員数名が、ある生徒はスカートでなくパンツを、ある生徒は男子の制服を着て職員室を訪れる。対応した教師は、頭ごなしに、事前に相談もなくこのような一方的なやり方はルール違反と押し返そうとする。
生徒達は、「私たちはただ、この姿を見て、先生方がどう感じるのか聞きたいだけなんです」と訴えても、生徒達の問いには答えない。教師の一人からは「校則を守れ」という声も。
これが現代の世の中の歪みそのものではないだろうか。
授業では、SDGs17の目標の中で自分たちができることを進めよう!などともっともらしく教えるのに、本気でやろうという人間が出てくると、やれ進め方が、それは規則がと、総論賛成各論反対、変わることのできない日本の縮図がココにある。
このやりとりの中で、生徒は、先生方がどう『感じる』のかを問う。
しかし『常に頭で考えて答えを出すことが正解』と錯覚している教師には、生徒達の想いも、目の前で起きている現象を『素直に感じる』こともできないであろう。
そんな教育を続けているから、なんでも答えを教えてください。解き方を教えてください。と。頭で考えれば何でもわかると錯覚する人間を創り出す。
「じゃあ、君は出産時の女性の痛みを頭で考えればわかるのかね?」
そんなんだから養老さんが今を嘆くわけだ。
現実としっかり向き合えば、この地球上に、頭で考えてもわからないことが無数にあることぐらいわかるでしょう?まずはそれを知ることから、地球・人類の未来のことを考え直した方がいいと思うんだけど。
まさにソクラテスの「無知の知」からの始まりなんです。
もうひとつ気づいたことに『これはそういうもんだ』がある。
例えば直角三角形の辺の比は1:2:√3とか円周率は3.141592…とか義務教育の中でたくさんの『これは、そういうもんだ』理論抜きの丸暗記をやってきた。
大人になってからも、世の中のいろんなこと、『そういうもんだから』で片づけてきた。
60歳を目の前にようやく気づき始めた。
日々の仕事や暮らしの中での『違和感』をほっとかず『そういうもんだ』で終わらせず自分自身に問い、『考えるのではなく、まず感じる』。ために自らが現場・現実・現物を目で見て、触れて、聴いていくことを心掛ける。
そうすると、世の中が歪みと偏見と嘘に満ち溢れていることが見えてくるし、自分の無知さと愚かさにも気づく。
自分がこれまで、どれだけ視野の狭い、偏見やゆがみの視点でものごとを捉え選択・決断を繰り返してきたことか愕然とする。
人生は、『自分で考えて行動して、結果を受入れ、またやってを繰り返して憶えていく、すなわち学習の毎日だ』。
いろんな本を読んで、多様な人たちと出会い、いろんな街を歩くことで、刺激を感じる毎日をつくり過ごしたいものだ。