#20 古藤田博澄の【伊豆むあん】|幸せな人間関係を築くために(20話 話し合ってみる)

【2010年6月9日(水)6:04 伊豆むあんブログより転載】
10年前の連載記事を転載しています。
情報や状況が古い可能性もありますが、当時の想いが今もなお価値のある情報としてお届けできることを願っています。

生存に対する欲求が強い人は、例えば健康を維持するためにお金を使う。

そのことにお金を使うことは、この人にとって当然のことで、使うなと言われれば反発となる。

一方では、これはお金の使いすぎと感じていれば、この二人の関係は、お金を使うたびに喧嘩になる。

まずは、話し合ってみる。互いのどこが違うのか確認し合う。

使う金額が問題であれば、いくらまでなら・・・という妥協点をお互いが探し、決着していく。

ここは譲れないという場合は、相手がそれを受け入れられるかどうかだ。


愛に対する欲求の場合は、まずはどれほどの愛を与えられるかである。

決してどれほどの愛を受入られるかではない。

ここで、生じる問題は、与えた分の愛と同等のお返しがないと満足できない。ところである。

二人の関係がうまくいってない場合

お互い愛せないわけがあるのであり、そのことが話し合うことで、互いが変わることで、愛することができるようになるのなら・・・

いずれにしても、相手に何をして欲しい・・・のではなく、自分が何をする気持ちがあるのか・・・を互いに伝え合うことが大切である。

愛は、与えるだけ、受け取るだけのもではないことを学ぶこともまた大事なことだ。


力の欲求が強すぎる人は、妥協も、歩み寄りも難しい。

力は支配するために使うものではなく、周りの力を引き出し、集団の力として一つにまとめ上げることに使うものだ。

ということに本人が気がつくしかない。


自由の欲求。これも厄介である。

自由の欲求が強い人は、誰からも所有されていない。

ということだから、長期的に誰かと親しい関係を続けていくことが困難である。

自分勝手でわがままという印象をもたれがち。

でも本人は、束縛や拘束や制限を嫌う・・・

この場合も、自由の欲求の強い側が、自分ひとりで生きているわけではない、自由を維持するにも、そこそこ制限はしかたがない。ことに気づく必要がある。

そこから、歩み寄りが始まる。


楽しみの欲求は、互いに共通の趣味や学習を持つことが最善であるが、必ずしも一致する必要はない。

但し、一方が共通の楽しみへの求めが強い場合は、話し合いが必要となる。この求めは楽しみに対するものではなく愛への求めではあるが・・・要はいつでも一緒じゃなければいやといったものか。


こうして、欲求の強さによる問題を見てきましたが

生存は平均、愛は高く、力と自由は低く、楽しみは高くといったバランスが人間関係を築くポイントか・・・


とにかく、人はそれぞれ違うものであることを「認め合い」、次に「話し合い」「歩み寄る」ということがどのような場合でも必要と言うことです。

二人で話し合うときは、椅子を向かい合わせに置き、互いが座り、両手をつないで、二人で円をつくって話をすると効果があるようです。


【 ↑ 伊豆を愛するコトウダ社長の1週間はコチラ ↑】


【 ↑ MKニュースバックナンバーはコチラ ↑ 】





いいなと思ったら応援しよう!