#20 古藤田博澄の【伊豆むあん】|幸せな人間関係を築くために(20話 話し合ってみる)
生存に対する欲求が強い人は、例えば健康を維持するためにお金を使う。
そのことにお金を使うことは、この人にとって当然のことで、使うなと言われれば反発となる。
一方では、これはお金の使いすぎと感じていれば、この二人の関係は、お金を使うたびに喧嘩になる。
まずは、話し合ってみる。互いのどこが違うのか確認し合う。
使う金額が問題であれば、いくらまでなら・・・という妥協点をお互いが探し、決着していく。
ここは譲れないという場合は、相手がそれを受け入れられるかどうかだ。
愛に対する欲求の場合は、まずはどれほどの愛を与えられるかである。
決してどれほどの愛を受入られるかではない。
ここで、生じる問題は、与えた分の愛と同等のお返しがないと満足できない。ところである。
二人の関係がうまくいってない場合
お互い愛せないわけがあるのであり、そのことが話し合うことで、互いが変わることで、愛することができるようになるのなら・・・
いずれにしても、相手に何をして欲しい・・・のではなく、自分が何をする気持ちがあるのか・・・を互いに伝え合うことが大切である。
愛は、与えるだけ、受け取るだけのもではないことを学ぶこともまた大事なことだ。
力の欲求が強すぎる人は、妥協も、歩み寄りも難しい。
力は支配するために使うものではなく、周りの力を引き出し、集団の力として一つにまとめ上げることに使うものだ。
ということに本人が気がつくしかない。
自由の欲求。これも厄介である。
自由の欲求が強い人は、誰からも所有されていない。
ということだから、長期的に誰かと親しい関係を続けていくことが困難である。
自分勝手でわがままという印象をもたれがち。
でも本人は、束縛や拘束や制限を嫌う・・・
この場合も、自由の欲求の強い側が、自分ひとりで生きているわけではない、自由を維持するにも、そこそこ制限はしかたがない。ことに気づく必要がある。
そこから、歩み寄りが始まる。
楽しみの欲求は、互いに共通の趣味や学習を持つことが最善であるが、必ずしも一致する必要はない。
但し、一方が共通の楽しみへの求めが強い場合は、話し合いが必要となる。この求めは楽しみに対するものではなく愛への求めではあるが・・・要はいつでも一緒じゃなければいやといったものか。
こうして、欲求の強さによる問題を見てきましたが
生存は平均、愛は高く、力と自由は低く、楽しみは高くといったバランスが人間関係を築くポイントか・・・
とにかく、人はそれぞれ違うものであることを「認め合い」、次に「話し合い」「歩み寄る」ということがどのような場合でも必要と言うことです。
二人で話し合うときは、椅子を向かい合わせに置き、互いが座り、両手をつないで、二人で円をつくって話をすると効果があるようです。