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なぜ生きているのかではなく、どう生きていくかを考える。

こんにちは。
山田です。

今回は「なぜ生きているのかを考えるのではなく、どう生きていくかを考えようよ」というお話しです。

生きている理由を考えすぎると病みます。

なぜ生きているのだろうとか、何のために生きているのだろうとか、誰でも一度は考えたことがあるこの疑問は答えがありません。

なぜこの疑問は病むのかというと、答えが無いからではなく、生きている理由を考えていくと全てがムダに思えるからです。

どうせ最後は死んでしまうのに、勉強や仕事をなぜ頑張るのか。別に頑張っても頑張らなくてもどうせ死んでしまうなら、何もしなくてもいいという思考にどんどんなります。

また、生きている理由は、承認欲求にもつながっています。誰かの役に立っているから生きていてもいい、誰かに必要とされているから生きていてもいいと、他人に承認されているから生きていてもいいとなっていきます。

果たして、この「なぜ生きているのか」という疑問は考えないといけないのでしょうか。

それよりも、どう生きていくかを考える方が必要なのではないでしょうか。

谷川俊太郎さんの「生きる」という詩があります。その中で「それは、ミニスカート それはプラネタリウム ~ すべての美しいものに出会うということ そしてかくされた悪を注意深くこばむこと」と描写があります。

私は「それはミニスカートという言葉を見た時に鳥肌がたちました。

日々に落ちている何気ない幸せを感じていくことが生きていくことなのだとこの言葉から教えてもらったからです。

何のために生きているかなんて考えることは、それこそ意味がありません。そうではなく、日々の幸せを感じて生きていくこと、それを見つけていくことが大切なのではないかと思います。

なぜ生きているのかを考えて、すべてがムダに見えて、何もしないのは楽です。でも、楽なのと幸せなのは違います。

どう生きていくのかだけは自分で決めることが出来ます。
どう生きていくかに集中して生きていきたいと思います。

読んでいただきありがとうございました。


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はむやん
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