大山の歴史と王仁三郎の経綸
大山の歴史と王仁三郎の経綸
――大神山神社と大山寺――
大樹生茂る、伯耆大山の伝統的信仰の中心地とも言うべき大神山神社奥宮及び大山寺界隈は、良く言えば神さびた雰囲気の聖地であるが、何となく霊的に荒れた、寂しげな印象を受ける場所でもある。
これは明治期の神仏分離・廃仏毀釈の傷痕が、いまも癒えていないからだろう。
明治政府の政策に便乗して、当時の神道派は大山寺の信仰の核である大智明権現(地蔵菩薩)社を、大神山神社(大山山麓に鎮座)の“奥宮”として奪い取ることに成功した。
神道派の言い分としては、かの地は大神山神社の旧社地で、仏教派の圧迫によって大神山神社は山麓へと遷座せざるを得なかった、ということらしい。
しかし、その証拠となり得る、確たる資料は見当たらぬ。
あまりにも強引な、神道派による寺院乗っ取りであった。
仮に古代はかの地が真に大神山神社の鎮座地であったとしても、すでに千年もの長きにわたり、大山寺は地蔵=大智明権現を祀る仏教及び修験の聖地として発展し、維持されてきたのである。
それを返還せよとは、あまりにも乱暴過ぎるとしか言い様がない。
これにより、独立した宗教都市と言ってよいほどかつて繁栄した大山寺は一気に縮小・衰退し、現代に至る。
沼田頼輔著『大山雑考』等、先人達の研究の示すところに拠れば、大神山神社の真の旧社地は、丸山の大神谷である。
そしてその場所は、終戦直後に王仁三郎の指示により大山に入植した泉田瑞顕が開拓して開いた下槇原の農場の、すぐ近くでもある。
あるいは、旧社地と農場は一部、重なりあっている可能性も高い。
泉田は、伯耆國二宮・大神山神社の旧社地という歴史的因縁のある霊地を、わざわざ意図的に選んで開拓したのだろうか?
否、ただでさえ戦後の大変な時期に、そのようなことを調査して開拓地を選んでいる余裕はなかったと思う。
おそらく、惟神的にかの地へと導かれたのだろう。
ではその場所には、いかなる意味があるのか?
思うに、かの地こそは古事記に記されたるヒノカワカミ、即ち、大蛇退治ゆかりの場所ではなかっただろうか。
そのことを証明するかの如く、大山山麓に遷座した大神山神社(本社)では今も、主祭神であるオオナムチのみならず、オオヤマツミ・スサノオ・テナヅチ・アシナヅチといった、大蛇退治神話に関係する神々を祀っているのだ。
大神山神社の旧社地であり、泉田が入植・開拓したその場所こそが、神代の昔にテナヅチ・アシナヅチ・イナダヒメらが住まいしていた場所だったのかも知れない。
王仁三郎昇天後、喪が明けてすぐに出口すみ愛善苑二代苑主は大山の開拓地に駆付け、『今回はクシナダヒメの神格で来た』と告げ、神歌を多数詠んで大山の神業の重要性を強調し、開拓に奉仕する信徒らを激励したのである。
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それでは王仁三郎の神業にとって、泉田の開拓した下槇原の農場のみが重要で、大神山神社奥宮及び大山寺界隈の地域は無関係なのかと言えば、そうではないと思う。
泉田によると、大神山神社奥宮(旧・大智明権現社)の鎮座するかの地は、吉備津彦(桃太郎のモデルでもある)が賊徒平定のために参籠・祈願した場所だと言う。
ちなみに吉備津彦とは、泉田が奉仕した裏神業の神示によると、スサノオの分霊であり、王仁三郎の過去世の一つでもあるという。
吉備津彦のお膝元である岡山及びその周辺で、黒住や金光等の新宗教が発祥し、出口日出麿や岡本天明といった王仁三郎の関係者が生まれているのも、王仁三郎の過去世である吉備津彦の地理的・血統的因縁によるものではないか?
吉備津彦の血統は、中国・四国・九州北部地方へと拡散したといわれる。
泉田瑞顕も四国出身だが、これらの地域は王仁三郎に関わる重要人物を多数輩出している地域である。
話がずれたが、大神山神社奥宮には、奇しくも王仁三郎の父親である有栖川宮が揮毫した社号の額が掛かっている。
泉田もある時期、大神山神社奥宮に参籠して、言霊奏上の修行を行っていたようである。
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では、古代の吉備津彦因縁の霊地にその後創建された、大山寺の主祭神(本尊)、大智明権現(地蔵菩薩)とはいかなる霊的存在か。
一般的な解釈はさておき、王仁三郎によると地蔵尊の正体とは、豊雲野(トヨクモヌ)の大神=坤の金神であるという。
豊雲野とは、『天のみろく様』の分霊のような神であり、艮の金神の妻神にして、スサノオの霊的本体とでもいうべき女神。
大地の根源的な女神である豊雲野の、男神としての顕現がスサノオであるとも言える。
つまり、弥勒・豊雲野・地蔵・スサノオ・吉備津彦は、同一系統の神霊ということ。
もちろん、王仁三郎も同系統の魂の持ち主である。
日本大地の要である大山で、超古代においてはスサノオがヤマタノオロチを退治し、古代においては吉備津彦が賊徒を平定し、後には地蔵(釈迦入滅後から弥勒出世までの守護)信仰が栄え、今後、来たるべき世の大峠においては、救世主神・神素盞嗚大神が再臨するというのである。
他にもある。
霊界物語には、スサノオの分霊にして釈迦の前身である月照彦(つきてるひこ)の神が、ヤマタノオロチの元祖神であるタクシャカ竜王を封じ込めた話が記されてある。
その場所は現界的には、大山赤松池だと。
(タクシャカ竜王はすでに改心し、救世主神に仕えることを誓っている。また、泉田瑞顕はタクシャカ竜王の御霊だという。)
さらに一般的な伝承としては、大山近辺で吉備津彦の父である孝霊天皇が、鬼退治を行ったという話も残されている。
かくまでも同一系統の神々や人々によって、相似たパターンの歴史や伝説が繰り返されているというのが、ここ大山という地である。
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神仏分離や廃仏毀釈などは、すでに遠い過去の話である。
大山の神道派と仏教派、相和合して、明治維新以前のような、本来の霊山としての大山の活気を取り戻して欲しいものである。
大本教団の内部分裂も同様。
世の立替えが現実味を帯びてきた今、過去にとらわれていがみ合っている暇はない。
王仁三郎や二代すみが厳命した大山聖地の建設に取り組まずして、いったい何の信仰なのか?
大山神業のこれからのあり方こそが、来たるべき大峠の惨状を、少しでも軽減する鍵を握っているような気がしてならない。
(大山の)この仕事途中で消えて終いなば神のいかりを夢な忘れそ(出口すみ)
心だにまことの道にかなうとも行ないせずば神は守らじ(王仁三郎)
(文中敬称略)