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【プラハのドイツ語文学 読書ノート】ヘルマン・ウンガー『少年と殺人犯』

ヘルマン・ウンガー『少年と殺人犯』

 今回紹介するヘルマン・ウンガーは、オスカー・バウムと同じくクオリティが高く、日本に紹介されてしかるべき作品だ。カフカやブロートが参加していたプラハ・サークルという文芸集団とも関係があった、モラヴィア出身のドイツ語作家である。『少年と殺人犯』はふたつの短編小説からなる短篇集だが、いずれの作品でも、やや異常な人物の内面が一人称の視点で語られっている。読者を強くひきつける生々しい心理描写が魅力的で、かのトーマス・マンにも高く評価されていたようだ。
 まずはウンガーの経歴から紹介していこう。

作者ヘルマン・ウンガーHermann Unger(1893-1928)について

 1893年、モラヴィアのボスコヴィツェBoskovice(ドイツ語ではボスコヴィッツBoskowitz)のユダヤ系ドイツ人家庭に生まれる。ベルリンで中東研究をしたのち、プラハ、ミュンヘンで法学を修める。ベルリンではシオニスト学生団体で活動してもいた。第一次世界大戦への従軍をきっかけに、創作ジャンルを詩と戯曲から散文に切り替える。戦中に負傷して帰国した後は弁護士試験を受け、法学で博士号を取得する。弁護士、劇場監督として勤務した後、1922年以降は在ベルリンチェコスロヴァキア大使館やプラハの外務省に勤務。
 1928年、盲腸の発見が遅れたことが原因で、36歳の若さで死去。

『少年と殺人犯 Knaben und der Mörder』あらすじ

 『少年と殺人犯』は、「ある男と女中 Ein Mann und eine Magd」と「ある殺人の物語Geschichte eines Mordes」という短編小説二編からなる短篇集である。

「ある男と女中」
 この物語は「わたし」によるひとり語りである。
 わたしは両親がおらず貧窮院で育った。わたしは、貧窮院で過ごした少年時代を貧しく陰鬱で窮屈なものとして記憶している。貧窮院には、院長と三人の老人とスタシンカという無口で肥った女中が暮らしていた。
 八歳くらいの頃、わたしは、老人の一人が、豊満な胸を揺らしながら歩くスタシンカを「淫売」と呼ぶのを耳にする。その時からわたしは、スタシンカに恋愛感情のようなものを抱くようになる。わたしは彼女のために庭の井戸で水を汲んだり、夜にスタシンカが寝起きしているキッチンに忍び込んで彼女と過ごしたりするようになる。救貧院を離れる十四歳になったとき、わたしは夜キッチンでスタシンカと過ごしているときに彼女の胸を触る。スタシンカは無言で抵抗し、わたしを自分の体から引き離す。以来わたしは貧窮院を去る日まで、スタシンカと距離を置くようになった。
 貧窮院を出たわたしは、近所の居酒屋で給仕見習いとして働き始めた。暫くは慣れない仕事に追われて眠るだけの日々だったが、ある時同僚の一人が、お金を貯めて大きな街に働きに出るつもりだと聞いて、自分も一緒に行きたいと名乗り出る。わたしは節約などしなかったが、お金の心配はあまりしていなかった。同僚と旅立つ日の前日、わたしは居酒屋の入口にある、タバコや酒を売るカウンターの金を盗む。そして、貧窮院に行ってスタシンカを呼ぶ。わたしは玄関に入り込んでスタシンカを押し倒す。と、その時貧窮院に住んでいる老人の一人が、窓の外から自分たちを見ていることに気づいた。わたしは外へ出て、老人が動かなくなるまで彼の首を締める。老人が倒れた頃にはスタシンカの姿は見えなくなっていた。わたしはキッチンに向かったが、ドアには鍵がかかっており、その向こうからスタシンカの呼吸が聞こえた。老人は手探りで自分の部屋に戻っていった。こうしてわたしは翌朝旅立ったのだった。
 わたしと同僚は、街の安宿に泊まりながら仕事を探した。贅沢を言わずに素早く仕事を物にして安宿を出ていった同僚と違い、わたしはいつまでも仕事を見つけられずに安宿に留まっていた。わたしは、同僚と入れ替わりに宿にやってきた男と意気投合する。彼はこれまでアメリカで過ごしていた。ヨーロッパに戻ってきたが、アメリカのほうが仕事が多いと言う。彼の紹介で、わたしは、移民を斡旋する男に一五〇ドル払ってアメリカへ渡る。
 わたしは、ニューヨークでバーのボーイとして働きはじめた。ある時閉店時間になっても眠り込んでいる客を見つけ、その客の鞄を盗む。鞄には大金が入っていた。わたしはこの金で一度ヨーロッパに帰り、故郷の貧窮院を訪れる。わたしは貧窮院の窓から再びスタシンカを呼び出し、自分がいかに金持ちになったかを示し、彼女を抱きしめてその胸を触る。彼女が無言でわたしを振り払って部屋に戻ろうとするので、わたしは、彼女をアメリカに連れていくために迎えに来たのだと告げる。こうしてわたしはスタシンカを連れて再びアメリカへと旅立った。
 しかし、いくら裕福さを見せびらかそうと、わたしに対するスタシンカの態度は変わることはなく、相変わらず無口で無感動なままだった。ある日わたしは、東欧出身のユダヤ人が集まるカフェでガリツィア出身の男に出会い、娼館にスタシンカを売る。スタシンカを苦しめれば自分の気持ちがすっきりするだろうと思っていたにもかかわらず、最初の客を取る彼女を見送りながら、わたしは自分がいかにスタシンカに対して無防備だったかを思い知る。
 翌日わたしはある男から油田の投機で稼ぐ方法を教えてもらい、それでひと財産築いた。その後スタシンカが働く娼館に行くと、スタシンカは姿を消していた。わたしはしばらく彼女を探したが、結局見つけ出すことができず、諦めてサン・フランシスコに移り住む。サン・フランシスコでは、オーブンの工場で働き始めた。工場の規模は年々拡大し、わたしは共同経営者を辞めさせてひとりで工場を取り仕切るようになった。この間もわたしはスタシンカを探していたが、彼女が見つかることはなかった。しかしある日、赤ん坊を抱いた老婆がわたしを訪ねてきた。老婆によると、スタシンカは、赤ん坊をわたしに預けるよう言い残して死んだという。赤ん坊を見ると、その目はスタシンカとそっくりだった。わたしは、この赤ん坊に自分が味わったのと同じ苦々しい子ども時代を経験させてやろうと思い、赤ん坊を自分が育った貧窮院に送る。そうすることでわたしは、その子とその子の中にいるスタシンカを苦しめようとしたのだ。
 労働者を酷使しながら巨万の富を築いたわたしは、五〇歳になり、故郷の貧窮院から届いた手紙を手にしている。それはスタシンカの子どもから送られてきたものだった。子どもはわたしの思惑と違い、貧窮院で満ち足りた子ども時代を送り、困っている人を助けるために教師になろうとしているようだ。手紙には、「あなたはわたしに素晴らしいことをしてくださいました。母も喜んでいることでしょう」と書かれていた。こうしてスタシンカとその子どもは、わたしの嫌悪感に満ちた計画から逃れていった。善良な愛が、悪に打ち勝ったのである。この時わたしははじめて涙を流した。そしてその涙は心の中の嫌悪感を洗い流し、わたしの心を光で満たしたのだった。

「ある殺人の物語 Geschichte eines Mordes」
 この物語は獄中にいる殺人犯の「わたし」によるひとり語りである。
 幼くして母を亡くしたわたしは、元軍医の父と二人で父の故郷に移り住み、教会の横にある小さな家で暮らし始めた。身なりに気を遣う父は、背の曲がった床屋のハシェクのところで髭を剃ってもらい、元将軍だと思われる。以来父は町で将軍と呼ばれるようになり、父は毎朝ハシェクの店で髭を剃り、夜には居酒屋でハシェクにせがまれて、みんなの前で戦場での武勇伝をでっち上げて語り聞かせた。しかしこうした行為を、父は内心恥じているようだった。
 わたしは身体が小さく病弱だったが、軍人になるのが夢だった。小さいときから気位が高く友達もいなかったので、同級生からからかわれていた。わたしは一四歳の時に陸軍幼年士官学校に入るが、数か月で病気になって家に帰ってくる。その後はハシェクのもとで床屋の見習いとして働いていた。ハシェクのもとには姪のミラダが暮らしており、ハシェクから性行為を強いられているらしかった。ある時、ミラダが泣いているのを見つけて声をかけたわたしは、ミラダに抱きつかれる。わたしは思わず彼女を振り払った。以後、ミラダはハシェクを大事にするようになり、その分わたしにきつく当たるようになる。
 ある日、町によそ者がやって来た。髭を剃ってもらいに来た彼を将校だと思ったハシェクは、その旨をわたしの父に伝える。父はこのよそ者を避ける続けた。わたしはよそ者のあとをつけ、彼が恋人のためにこの町に滞在していることを知る。わたしは陸軍幼年士官学校を去って以来、日常的に猫を殺していた。ある時わたしは将校にその様子を見られ、殴られる。しかしその後わたしのもとに将校から手紙が届いた。手紙の中で彼は、わたしに手を挙げたことを謝り、ひどい家庭環境にあるわたしを憐れんでいた。わたしはこれを喜び、よそ者が手紙に書いて来た通り手紙を誰にも見せず、猫を殺すことをやめた。
 父は毎日、よそ者がハシェクの店を去ってから店に来て、ハシェクがよそ者から聞いたことをこっそり教えてもらっていた。わたしが思うに、ハシェクはわざと秘密めいた態度をとって父を不安がらせようとしていたのだ。よそ者に対する父の不安は日に日に募っていく。
 ある日父は居酒屋ではなく、よそ者が滞在している居酒屋の上階に駆け込んでいった。それを見たわたしは、これ以上よそ者の前で恥をかくまいと、父の後を追った。酔っぱらった父は、寝間着を着たよそ者の前で許しを乞い、跪いた。わたしは父を引っ張り上げ、思わず彼の頬を叩いた。父は我に返ってわたしを家に連れて帰る。父は、家に帰って親を殴った息子を銃殺するつもりだった。しかし、家にはハシェクと妊娠中のミラダが酒を飲んでいた。二人は父が手にしたピストルを見て驚き、父を落ち着かせると、わたしをドアに縛って、三人で酒を飲み始めた。ミラダはわたしの服を脱がせてわたしを辱めた。と、突然ミラダが産気づいた。ハシェクがわたしの束縛を解いて、医者を呼びに行っている間に、わたしは父のピストルを手に取った。一瞬、眠り込んでいる父を殺すことが頭によぎったが、その間にミラダが赤ん坊を産み落とし、外から階段を駆け上ってくる音が響いた。ドアを開いたのはハシェクではなくよそ者だった。酔いつぶれた父、意識を失ったミラダ、その足の間に転がっている新生児、そして半裸で血だらけになった自分の姿を見られたわたしは、思わずよそ者を銃で撃ってしまう。こうしてわたしは警察に捕まり、二十年の禁固刑を受けたのだった。

感想

 いずれも幸せな子ども時代を送ることができず、一般的に共有されている倫理観からずれた価値観を持つことになった男の内面を非常に生々しく描いている。いずれも一般的には異常と見做される感覚が、一人称視点から、主人公がその時々に抱いた率直な気持ちや印象を交えて説明されるので、読者は妙に納得させられてしまう。それどころか主人公に少し共感してしまいそうになる。その感覚が読んでいて非常に面白い。時々ニュースで取り上げられる残忍な殺人犯を、「怪物」としてではなく一人の人間として読み解いていくような感覚だ。ウンガーが活躍した時期は、ヨーロッパでフロイトの精神分析がもてはやされていた頃で、その影響をもろに受けていることが見て取れる。とはいえウンガーの作品の魅力は現代でも色褪せてはいない。心理描写のリアルさ、ドラマティックな展開、社会で共有されているモラルを揺さぶるテーマは、現代の読者も魅了するだろう。いずれ紹介されてほしい作家・作品だ。

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