【プラハのB級ドイツ語文学 読書ノート】ブルーノ・ブレーム『笑う神』
ブルーノ・ブレーム『笑う神』
今回紹介するブルーノ・ブレーム Bruno Brehm『笑う神 Der lachende Gott』は、ハプスブルク帝国時代のボヘミアの田舎町で起こった一週間の騒動を描いた長編小説である。タイトルとなっている「笑う神」とは、ギリシア神話に登場するプリアーポスの像を指しており、物語はこの像をめぐって展開してゆく。デュオニッソス(一説にはゼウス)とアフロディーテの息子として生まれたプリアーポス、実はとんでもない外見をしている。
そう、ペニスが異様に大きいのである。プリアーポスは、この異様な姿ゆえにアフロディーテに捨てられ羊飼いに育てられる。
プリアーポスは、ギリシア・ローマ時代には果樹園の守護神、生殖と豊饒の神として崇められ、赤く塗った木彫のプリアーポス像を畑に飾るしきたりもあったと言われている。
そんなプリアーポス像の発見から始まる『笑う神』は、登場人物の描写が生き生きとしていて面白く、後半はサスペンス仕立てにもなっており、なかなかよくできた作品だった。作品の紹介に入る前に、まずはいつもの通り、作者ブルーノ・ブレームの紹介から始めることにしよう。
作者ブルーノ・ブレームBruno Brehm(1892-1974)について
1892年、ズデーテンドイツ人の軍人家庭に生まれる。プラハ、イフラヴァIhlava(ドイツ語ではイグラウ Iglau)、ズノイモZnojmo(ドイツ語ではZnaim)のギムナジウムに通い、1912年に軍人になる。1914年、第一次世界大戦従軍中に大怪我を負ってロシア軍の捕虜になり、1916年に捕虜交換で帰郷する。
戦後は美術史および古代史を研究し、1922年にウィーン大学で博士号を取得。1924年から1926年までウィーン大学古代史研究所の助手を務め、1927年以降はフリーライターとしてハプスブルク帝国の崩壊や第一次世界大戦を扱った作品を多く執筆した。
1938年にはナチス党員となり、1942年まで雑誌『忠実なる友 Der getreue Eckert』を刊行。1939年から1945年までウィーン市議会の議員を務め、第二次世界大戦中はギリシア、北アフリカ、ロシアに従軍した。
終戦後は逮捕収監されたが、まもなく釈放される。戦後は第二次世界大戦期を題材にした小説三部作を執筆するが、評価は決して高くはなかった。1974年、オーストリアのアルトアウゼーにて逝去。
ブルーノ・ブレームBruno Brehm『笑う神 Der lachende Gott』あらすじ
ある月曜日の朝、ホラースブルクという町の外れで畑を耕していた農夫パッハマイアーが金貨をいくつも掘り当てた。畑をさらに掘り返していくと、大きな陰茎を持った緑色の笑う男の像が現れた。息子レオポルトは、それが千年以上前の物かもしれないと思い、ラテン語を教えるヴェンツリク校長に見せようとギムナジウムに持って行く。彼は授業中に隠していた像を教壇の上に置いて袋を取る。ヴェンツリクは像の姿に戸惑いを感じながらも、それがプリアーポス像だと見抜き、レオポルトから像を奪って校長室に持ち去る。
この話は翌日には町中で噂になっていた。町のならず者ニーデーレと庭師のクヴァピル、金貸し女シェンベラのヒモのネブリンスキーは、このことについて町のご婦人や名士をからかおうと思っている。この時ネブリンスキーはクヴァピルの娘フィフィにぞっこんで、クヴァピルに彼女を抱かせてほしいと頼んでいた。
学校をさぼって野原を散歩していたレオポルトは、自分が家庭教師としてアルバイトしているコウカル家の母で、ホラースブルクの検事の妻が、ポーランド軽騎兵中尉の密会現場を目撃する。コウカル検事の妻は、レオポルトに口止めするために、ヴェンツリクにプリアーポス像を返してやるよう話しておくと告げる。
水曜日には、ホラースブルクの名士が駅に集い、新たに町に配備されることになったハンガリー連隊を歓迎した。ニーデーレたちはハンガリー連隊の中に一緒に悪ふざけができそうな人がいないか探りに来る。
翌日、クヴァピルは朝早くにシェンベラとネブリンスキーの家にやって来て、シェンベラの前でネブリンスキーに金を払うよう言う。クヴァピルが帰った後シェンベラは、何に金が要るのかネブリンスキーを問い詰める。ネブリンスキーが答えようとしないので、シェンベラは彼を家から追い出す。
レオポルトは、今後のプリアーポス像の扱いをめぐる会議に呼び出され、ヴェンツリクからプリアーポスを取り返そうとした理由を尋ねられる。彼は、自分がギムナジウムに像を持ってきたのは、像の価値を知っていて、それを先生に確かめてもらおうとしたからなのに、悪ふざけをしようとしたと誤解されたように感じたから、像を取り返そうとしたのだと答える。生徒の話に聞く耳を持たないヴェンツリクはレオポルトに立ち去るよう告げる。レオポルトはプリアーポス像を返してほしいと言い残して会議室を去る。
ヴェンツリクは、学者である自分はプリアーポス像に文化的価値しか見出していないにもかかわらず、町中の人から妙な目で見られるようになったと嘆き、像を公の場から隠してしまわなければならないと言い張る。宗教の教師ピヒラーだけはレオポルトに同情し、プリアーポス像を隠すのではなく、像の意味を生徒たちにしっかり説明するべきだと主張する。
ニーデーレは、ヴェンツリクがプリアーポス像を他所へ送ろうとしているのを知り、その前に像を一目見ようとギムナジウムへ向かう。彼はギムナジウムの前でレオポルトの父に出会う。プリアーポス像の発見者であるパッハマイアーは、像を取り返すか、像の対価を支払ってもらいたいと思っていた。しかし彼はヴェンツリクに、今度ウィーンから専門家が来て価値を判断するのだと言われて追い出されてしまう。ニーデーレも、像の在り処こそ分かったものの、像を見ること自体はできずにギムナジウムを去る。
退学処分になったレオポルトが草原で眠っていると、クヴァピルの二人娘で娼婦のフィフィとニニがネブリンスキーから身を隠しているところに出くわす。フィフィはレオポルトに、土曜の晩に家にネブリンスキーがやって来ることになっているので助けてほしいと頼む。レオポルトはフィフィを助けると約束し、彼女を家まで送っていく。その後レオポルトはコウカル家に行くが、退学になった彼はこれ以上家庭教師を続けることができなくなり、コウカル夫人からからこれまでの月謝と口止め料を渡される。彼はコウカル検事の家を出たところで父に出くわす。父は息子に、シェンベラのところでプリアーポス像がいくらか尋ねに行っていたのだと告げたが、彼女に金貨を売ったことについては口をつぐんだ。
ホラースブルクでは万聖節からイースターまでの夕方に街中でパレードが行われる。町に新しくやって来たハンガリー兵たちは、ホラースブルクでの慣習を知らずに女性を口説こうとして失敗を重ね、終いには町の飲んだくれたちと乱闘騒ぎを起こす。
土曜日の朝、ネブリンスキーは再びシェンベラのもとに向かう。彼はシェンベラをナイフで脅すがシェンベラも負けじと対抗する。そうするうちにネブリンスキーはフィフィを買うために金が要ることを漏らし、シェンベラはショック死する。ネブリンスキーはシェンベラの金や宝石や、パッハマイアーが持ってきた金貨の一部を盗んでクヴァピルのもとへ行く。
広場ではハンガリー軍がパレードを行っていた。彼らが広場からいなくなったところで、ネブリンスキーがクヴァピルを見つけて金を渡そうとする。しかしクヴァピルは最初からネブリンスキーにフィフィを引き渡すつもりはなく、また、ネブリンスキーの金がシェンベラから盗んだものだと気づき、ネブリンスキーが持っている金を全て奪い取ろうとする。そこにニーデーレがやって来る。彼はヴェンツリクの部屋からプリアーポス像を盗んできたのだった。
同じころヴェンツリクは友人たちと歓談していた。明日ウィーンの美術史美術館から専門家がやって来てプリアーポス像を持ち去ると聞いて、友人たちは像を一目見たかったと残念がる。そこでヴェンツリクは友人たちだけに特別に像を見せようと、彼らをギムナジウムに連れてゆく。そこでヴェンツリクはプリアーポス像が盗まれていることに気付く。彼は犯人はレオポルトだと思い込む。プリアーポス像はもともとレオポルトのものだったのだから、彼を罪に問うことはできない。ヴェンツリクは、明日美術史美術館の専門家の前で恥をかくことになると思って絶望する。
翌日、雪の中ウィーンの美術史美術館から専門家のブーバールがやって来た。彼は文房具店の姉妹から、プリアーポス像が盗まれたことを聞き知る。ブーバールはギムナジウムに行き、ヴェンツリクに、どうしてもプリアーポス像をこの目で見てウィーンに持ち帰りたいので、像を盗んだと思われるレオポルトのところに連れていくよう頼む。レオポルトの家に着いた二人はレオポルトを問い詰めるが、彼は犯人ではないことが明らかになる。ブーバールは像の発見者である父を呼び出し、像と一緒に金貨が埋まっていなかったか尋ねる。パッハマイアーは最初否定したが、ブーバールが賄賂をちらつかせると、シェンベラに売ったことを自白した。こうしてヴェンツリクとブーバールはシェンベラの家へ向かう。しかし、いくら呼んでも扉の向こうはひっそりしている。シェンベラに何かあったのではないかと思ったヴェンツリクは、同じ建物に住んでいるコウカル検事を呼びに行く。家には婦人しかいなかったが、ヴェンツリクは、玄関にポーランド軽騎兵中尉のコートが掛かっていることに気付く。七時半になってコウカル検事と錠前屋がやってきて玄関扉が開き、シェンベラの死亡が確認される。
ちょうどこの頃クヴァピルの家では、ニーデーレが乱行パーティーを開こうとしていた。彼は、部屋の中央にプリアーポス像を飾り、ハンガリー軍の兵士数人と美術教師ラーブルを含む町の名士数名と、フィフィやニニなど数人の娘たちを踊らせる。ネブリンスキーは宝石をちらつかせて必死でフィフィに近づこうとするが、フィフィは見向きもしない。と、そこにレオポルトが現れる。レオポルトは部屋にプリアーポス像があることに驚き、今すぐヴェンツリクのもとへ持っていくと主張する。フィフィに寄り添われるレオポルトに嫉妬してネブリンスキーが手持ちの金貨や宝石を全てフィフィに差し出すのを見て、その場の人々はどこでそれらを手に入れたのかと彼を問い詰める。
そこにコウカル検事がやって来る。ネブリンスキーは逃げ出すが、検事に足を撃たれて捕まる。ラーブルと町の名士たちはその隙に家を逃げ出し、散り散りに逃げていった。レオポルトはプリアーポス像を持ってラーブルの後に従う。途中で鉄橋の最中に立ち止まって進む気力をなくしたレオポルトに、ラーブルは、像を預かるから今日中にピヒラーのところに行くよう言う。レオポルトがピヒラーのもとへ向かった後、ラーブルはプリアーポス像を前に、自分がかつて若い娘に襲い掛かろうとしたこと、そして今日も幼さの残る娘に手を出そうとしたことを告白し、像を鉄橋から谷底に突き落とす。そして、疲れ切って雪原に倒れて眠りにつく。
レオポルトは夜中二時にピヒラーを訪ねる。ピヒラーはずぶ濡れで発熱しているレオポルトを自分のベッドに寝かせ、事情を尋ねる。レオポルトは、ニーデーレがプリアーポス像を盗んだこと、ネブリンスキーが検事に撃たれて捕まったこと、そして自分は鉄橋で列車にひかれてしまいたいと思ったことなどを告白して眠りに落ちる。
翌朝、ホラースブルクの名士二人が、ハンガリー連隊の兵士二人と決闘をしようと兵舎にやって来た。しかし、昨晩の事件について朝から電話対応にかかりきりになっているハンガリー連隊の大佐は、決闘を禁止した。名士二人は町に戻る途中に、ウィーンへ帰る途中のブーバールに出会い、彼を馬車に乗せる。ブーバールが語るところによると、昨晩の間に、ニーデーレとクヴァピルとネブリンスキーは警察に捕まり、乱交パーティーに参加していた町の名士は雪原の中で倒れ、病院で生死の境をさまよっているという。さらに、コウカル検事の妻が窓から身を投げて死んだところが発見されたらしい。ピヒラーのもとから病院に運ばれたレオポルトだけは、翌日には退院できるという。
感想
物語の展開の面白さもさることながら、細部に至るまで手の込んだ人物描写が魅力的な作品だった。登場人物が多いのに、誰もキャラが被ったりしていない。また、町のパレードの場面なども生き生きと描かれており、まるでブリューゲルの絵を見ているような印象を受けた。お芝居なんかにしたら映えそうな作品だ。どのキャラクターを演じるのも楽しそう。
本作品でわたしが最も引き込まれたのは、金貸しのシェンベラのヒモ、ネブリンスキーの描写だ。性欲に突き動かされ、それに付け込まれたネブリンスキーが、追い詰められた結果パートナーを殺し、金品を盗み、フィフィの言葉に耳を貸すこともなく一方的にプレゼントを贈って自分のものになってくれとせがむ様子には、怖いくらいにリアリティを感じる。相手がいる話なのに、「これだけ相手に尽くしたのだから振り向いてもらえるはずだ」「これだけの代償を支払ったのだからその分の見返りが与えられるはずだ」と信じて疑わず、一方通行のアピールをするネブリンスキー。しかも彼は、フィフィに恋する一方で、娼婦である彼女を見くびってもいる。「娼婦なんだから金を払えば抱かれるはずだ」と。こういった恋愛における男性の心理は、残念ながら現代社会でも大して変わっていないように感じる。そういう点では、『笑う神』は現代でも価値を失っていない作品だと言えるかもしれない。