ハッピーバースデーを歌う
物心ついたときから、実家の家族の誕生日は例のあの歌を歌いローソクを吹き消しケーキを食べている。
誰かの誕生日がやってくるたび、なぜこれをやっているのだろうなどと考え、祝う気持ちがあったら形式なんて…と言いかけ、なんでもいいならこれでいいのではと思う。なんて面倒な。
誕生日に限らず、こういう決まりごとっぽいものは結構あって、とにかくやらねばならない雰囲気にもやもやしながら、ここまできてしまった。
たとえ喧嘩した直後でも、ケーキとローソクは準備され、場が整ってしまったら歌う。
相手も自分も微妙な顔してるのも分かる。
でも歌う。
なんというか、「うちの家族」らしさ、というのか、イメージが何かしらあって、そこから外れないために定期的に決まりごとをやる。
決まりごとをこなすことが「うちの家族」である条件。
そういう感じ。
それが不思議で、納得いかなくて、でもやらないとそういうものだからと怒られつつ、ずっと続けてきたわけだけど、
振り返ってみれば、今まで揉めながらもなんとかやってこれたのは、決まりごとのおかげなのかもしれない。喧嘩も若干緩和していたかもしれない…。
お互いに関係性を作ろう、うまくやっていこうって意欲があるかどうかを確認する時間というのかな。
気恥ずかしい気持ちはなくならないけど、次は少しだけ軽やかに歌えそうです。