ぼやき No.01
人生の中には、闘わなければならない瞬間というものがきっとある。
特に何があったわけでもなくそう思って、近所にあるムエタイジムでキックボクシングを習い始めた。
コロナ禍を経て数年、三十路になり体力も代謝も落ちてくるなかで、そろそろ動かなければという危機感がゼロだった訳ではない。市民センター的なところのプールにでも通ってみようかと思って、わざわざ利用方法を調べて、わざわざそれっぽい水着を買って、一度だけ行ってみたこともある。
いくつかに区分けされたレーンのうち、ガチ泳ぎ勢たちがグイグイ泳いでいる「上級者コース」は最初から視界になかったものの、「中級者コース」のレーンも、一度往復しただけで離脱してしまった。みんな当然のように25mを泳ぎきって、ほぼノンストップで折り返していく。え、中級者ってそんな感じ?と思った。もっと途中で足をついたり、ゆっくりしながら泳ぐ感じではなくて?
結果的にその日は「初級者コース」のレーンで、ほぼ泳がずに水の中を歩いた。おばあちゃんやおばちゃん、おそらく水泳が苦手なのであろう青少年に混ざって、水の中をぐいぐいふわふわ歩く数時間。なんとなく違う生き物になったような感じで、飛沫をあげる隣のレーンと比較するとかなりシュールで、それはそれで面白い経験だったのだけれど、もう一度行くぞ!とはならなかった。監視員がムキムキの超健康スポーツマンたちだというのも、陰の者としてはなんとなくきつかった。
今の家に住むより前に、ホットヨガに通っていた時期もあって、あれは運動量的にもちょうど良かったなと考えたりもした。体力の有無を問わずできるし、薄暗闇にしてくれるので周りの目なんかも気にならない。当時はシェアハウスに住んでいたこともあり、シャワーが使えるのも非常に大きなポイントだった。
ただ、当時も数駅電車に乗って通わないといけない距離感で、結局「今行ける」という時にはウェアを持って出ていなかったり、汗だくになるので前後の予定があると行けなかったりと、なかなかタイミングを作るのが難しかった。さらに、今の家の近所にはその施設も存在していない。あと勧誘がめっちゃすごかった。
そんなこんなで頭を悩ませている間に季節は秋になり、私は32歳になり、体力はさらに落ちて代謝も落ちた。徒歩圏にあるのは某大型チェーンのジムくらいだ。多分見学や体験に行ったらその場でめちゃくちゃ勧誘される。外から中の様子が垣間見えるので、いつも「健康」「健全」を背負っているような人たちが何人か中で走ったりしているのを知っていた。一度、ジムの前の道で休憩中らしい若い女性がiPhoneで何やらビデオ通話をしている様子も見た。オシャレなトレーニングウェア。明るい笑顔。伸びた背筋。ジムは無理だと思った。
そこで見つけたのがムエタイジムだった。所在地はビルの地下。同じフロアにはやっているのかいないのかわからないカラオケスナックと、シャッターが降りたままの謎の店。
なぜこんなところに…?という気持ち半分、面白そうだなという気持ち半分。薄暗い地下に響き渡る鎖の音と、バシィンッという打撃音。そこ以外は全てシャッターの降りている様相に、何度かビビって家に帰りつつも、なんとか見学まで漕ぎつけることができたのが先月のことだった。
見学だけ、と思っていたらその場で多少の体験をさせてもらい、初めて自分の拳で、何かを思い切りぶん殴る(打ち抜く)ということを経験した。重たいサンドバッグが揺れて、それを吊り下げているチェーンがぶつかる音がする。
教えてくれたのは中年の男性で、他にいたのも男性ばかり。真ん中にあるリングの中では、試合を控えているという方がスパーリングの準備を始めている。
なんとなく、こっちの方がいいな、と思った。何かを殴って蹴ってしばけるという自信は、人生においてプラスになる気がする。(そういう目的でやるものではないとは思うけれど)
普段からやっておけば、いざという時にファイティングポーズを取れる人間になれるかもしれないし。
ということで、先月末に入会をして、今日も少しだけやってきた。無意識に狭い場所に行って休憩していたら「そこが好きなんですか?変わってますねぇ、狭いのに」って言われて、習性が早速バレた。
マトモな運動なんて中学の体育くらいまでの初心者のお手本のような初心者で体力もゴミなので、毎回行った後はひどい眠気に襲われる。もう歴も長いのであろう方々がストレートやキックを繰り出す時の打撃音はめちゃくちゃ爽快で気持ちが良い。
足が攣りましたって言ったらバナナを食べるといいよと言われたので、今日はバナナを買ってみる。と書いたあと、スーパーからの帰り道で足を挫いたのが今日の締めです。