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ぼやき No.03

前回のぼやきを読んでくれた友人から「できたらまた書いてほしい」と言ってもらえて、「え!思うことなんていっぱいあるよ!書く書く!」となった。ので、書いている。(※ずっと更新し忘れていたので、実際にこれを書いたのは2月だったと思う)
前回の記事を更新するまで、妊娠は身内と会社の関係者以外に伝えていなかったことだったのだけれど、お子さんのいる女性陣から「わかる」「共感した」という声や具体的な体験談もコメントをもらえて、私自身もとても心が楽になったし、聞きたいことが聞ける相手ができたと思えた。妊娠や出産関係のことは個々に色々な事情があると理解しているし、見聞きしたくないと感じる人もいると知っているから、noteに書くかどうかというのは結構悩んでいた。正直今も本当にいいのかなと思う部分もあるけれど、私自身の備えとしては、勇気を持って公開してよかったな、と思っている。(でもやっぱり見たくない人もいる話題だとは思うので、妊娠出産などの関係のぼやきには一旦「子を迎える編」という文字を入れてアイキャッチでわかるようにしてみることにした)

義母も実母もいるものの、二人とも子育ては30年以上前の経験で止まっているわけで、現代のセオリーやマナーがわかるわけではない。便利な道具や施設も色々増えている一方で、子どもが晒される危険もどんどん増えている。教育だって昔とは異なることが多いだろうし、昔はOKとされていたことが今はNGだったり、昔はNGだったことが今はOKになっていたりもする。
そうなるとやはり、同じ時代に子育てをしてきた先人たちの知見を頼るのが一番いいんだろうなと思っていた。だから、時期尚早であっても情報を公開することで、そうした人たちと繋がりやすくなれたのは本当に嬉しい。特に私は実母とは関係が良好ではなく頼りづらいし、義母はいい人だけれどやはり義母である以上は多少の距離があり、夫くらいしかこのことについてフラットに話せる人がいなかったから。夫は優しいし寄り添おうとしてくれるけれど、どうしたってやっぱり男性だし「他人」の身体なので、女性(というか私)の身体のことやホルモンバランスのことは分かりきらないし、自分の体で体験できない以上実感は伴わない。わかったつもりにしないのは彼の良いところだと思っているけれど、今回に関してはどうしても「私の不安は私にしかわからない」になっていくという状態が発生しやすいなと感じていた。

無論、先人たちといえど個人個人で体験の差はある。けれど、妊娠の体の変化や気持ちの変化、産後の過酷さを同じ時代/近い時代に実際に体験してきた人とは、どこかで理解し合える部分があるのではないかと思う。「社会的孤立がつらかった」「産後は心身ボロボロだった」「母子同室はやばかった」など、リアルなところを聞かせてもらえる方が覚悟が持てるし、実際にそうなっても「あぁこれが例のアレか」と思えてパニックにならずに済む。以前、出産時のことなどを調べて「怖いよね」と夫氏に話したときに「あまり調べて不安になりすぎない方がいい」と言われたことがあって、「最悪死ぬ可能性もある逃れられない痛み苦しみに対して覚悟を持つ」ということが必要ない人間と、必要に迫られる人間の違いを感じたことがある。彼はやさしさで言ってくれているのだと普段の態度や行動で理解しているからそれ以上の感情的な動きは無いし何も言ったりしないけれど、もし彼の普段の態度や行動が違っていたら「は??」となるか泣くか…みたいな、よくTwitter(X)で見るエッセイ漫画みたいなことになるんだろうな、と理解(想像)した。

少し前に二度ほど、夫氏が会社の飲み会でうっかり朝帰りをしたことがあった。一度目は忘年会だったので仕方がないかと思ったけれど、二度目の朝帰りは酔い潰れて連絡もなく…というものだった。まずは無事かどうか心配するのが一番大きかったけれど、無事だったとわかった後は彼が帰ってくるまで一人で少し泣いてしまった。悲しくてとか虚しくてとか理由はハッキリしなくても涙が出てくるという状況で、ホルモンバランスが〜みたいな話が現実になるとこうなるのか、と頭の隅で理解をしていた。
多分その時は唐突に、「私だけどうして」が強烈に襲ってきたのだと思う。普段別にそんなことを意識しているわけではなかったけれど、何も変わらず生活ができている夫氏が羨ましくて妬ましくて、色んな制限がある自分の状況が悔しくて仕方なくて、一人の家で唐突に虚しくなった。
彼の前で泣いたりはしていないし、取り乱したり感情的に何かを言ったりもしなかったけれど、短い会話のなかで伝えたことを受け取って、彼はそれから自主的に禁酒している。その時の酔い方があまりにも酷かったのもあるらしい。

不安を口にして伝えるということは、誰かを責めることとは違うはずなのにそんな風になってしまいやすい。
自分と相手の間に生まれた不安を相手に伝える時というのは特にそうだろう。

結婚当初、本当に色々な価値観のズレで私たちは揉めた。スライド資料を作って議論を整理したこともあるし、結婚したばかりなのに離婚届を印刷したこともある。

それでも少しずつお互いに変化して理解して許容しあって、この数年はようやく穏やかに過ごせるようになっていた。私はストレスで円形脱毛症になったこともあるし、ここまでくるのも相当辛抱強く努力したと思う。向こうは禿げなかったけど(笑)、それは多分お互いにそうだったんだと思う。

そんな風にして手に入れた平穏を、多分子どもという存在はまた揺さぶってくるだろう。お互いに余裕がなくなっていけば、許せていたことも許せなくなるかもしれない。

Twitter(X)で「子なし夫婦の方が幸せ」「子どもができてから仲が悪くなった」というような声を見かけるたびにほんの少し不安が増える。それでも、私たちは親になる。

「子どもを産むのは親のエゴだ(生きるのがしんどい、生まれてきたくなかった)」ということや、優生思想的な議論が最近目立つ。私も生きるのがしんどくて「勝手に産んだのはそっちだろ」と思っている子どもだったので、親のエゴだという気持ちはとてもよくわかるし、親になる以上、私もその言葉を差し向けられる覚悟を持たなければと思う。生きづらいと感じることの多い気質や特性の子どもだったとすれば尚更、その痛みや苦しみに対して親がどう向き合うのかは考えておく必要がある。
私たちは勝手に子どもを産む。生存競争を勝ち抜いた上に胎内で十月十日無事に育ったから産む。本来そこには本人や大元の生命力も関係せざるを得ないと思うのだけれど、その無意識の段階を「自分」と捉える立場は少ないだろう。そうなった場合、自分は勝手に産み落とされたという認識にならざるを得ないのだろうけれど、これは何となく神話の類とかそうしたものに似ていると思う。神々が彷徨わずに済むのはそれぞれに司どるものがあるからか。
世界への突然の表出、出現。
まだ自分の役割がわからない若者が、よるべなく彷徨う感覚になるのは当然のことなのかもしれない。そうだとするなら、あなたの役割の一つ目はただここに存在しているということだと実感を含めて伝えてやることが親にできること、だろうか。

不安を適切に伝えるのは難しい。
子どもと親である以上に、人と人としての対話や交わりができればいいなと思う。


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なかにし(nia)
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