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ブックレビュー ロバート・マッキー著『ストーリー』(3)第2部 ストーリーの諸要素 構成と設定

『ストーリー ロバート・マッキーが教える物語の基本と原則』のレビュー第三回を投稿します。
(各回をまとめたマガジンはこちらです。)

※ こちらのレビューは、非常に内容が濃い本書を私なりにまとめた「概要」です。
興味をお持ちになった方は、ご購入の上、本レビューを副読本的にお読みになることをお勧めします。

第2部 ストーリーの諸要素
3 構成と設定

【クリシェとの闘い】

「クリシェ」とは、フランス語で「使い古された陳腐な表現」といった意味です。
”ベタ”と言い換えても良いかもしれません。

現代に生きる観客と、数世紀前の観客を比べてみるといい。
ヴィクトリア時代の教養人が劇場に足を運ぶ機会は年に何回あっただろうか。
大家族で、全自動食器洗い機などなかった時代に、小説を読む時間はどれほどあっただろうか。(P86より引用)

ありとあらゆるストーリーがあふれる現代において、クリシェに陥らず、「誰も見たことがないもの」をどう作り出せばいいのだろうか?と著者は問いかけます。

無知によって蔓延する疫病のように、いまやあらゆる媒体でストーリーがクリシェに感染している。
はじめからわかりきっていた結末にうんざりしつつ、本を閉じたり劇場から出たりするのは珍しくない。
幾度となく目にしてきた陳腐な場面や登場人物には辟易する。
この世界規模の疫病の原因は単純かつ明快だ。
すべてのクリシェの源をたどれば、ただひとつのことに行きあたる。
作り手が自分のストーリーの世界を理解していないのだ。
(P86~87より引用)

作り手自身が「自分のストーリーの世界を理解していない」というのはどういうことかと言えば、自身が設定した世界についての考察、理解が足りていないということ。

書き手はつい「自分の頭のなかでつくった世界なのだから、誰よりも自分がわかっている」と思い込んでしまいがちですが、十分な考察をしないまま執筆に取りかかっても描くべきものは見つからない、と著者は言っているわけです。
そして、考察が足りない場合、書き手は過去に見たり読んだりした人の作品を頼りにし、クリシェに陥る。
その状態を著者は以下のように言い表しています。

ほかの作家の作品から、見たことがあるシーンを盗み、聞いたことがある台詞を言い換え、登場したことがある人物の外見を変えて、自分の作品として売り出す。
食べ残しをあたたためなおしたような、退屈という名の料理を並べるわけだ。(P87より引用)


【設定】

自分のストーリーの世界を深く理解するためにしっかりと考察すべき要素のひとつが「設定」。
その「設定」を、著者は以下のように定義しています。

ストーリーの設定を決めるのは、時代、期間、舞台、葛藤レベルという四つの要素である。(P87より引用)

四番目の「葛藤レベル」に関する説明は、以下の通りです。

あなたのストーリーは、登場人物の心に秘められた内的葛藤、意識下の葛藤に焦点をあてるのか。
それとも、ひとつ階層をあげて、個人的葛藤に焦点をあてるのか。
あるいは、もうひとつ上の階層で範囲を広げて、社会制度との闘いを描くのか。
さらに範囲をひろげて、環境との闘いを描くのか。
無意識の世界から宇宙まで、多層構造を成すすべての人生経験のなかで、ストーリーの設定は、どの階層を選ぶことも、複数の階層を選ぶこともできる。(P89より引用)

葛藤レベルとは、人生のどの階層にストーリーを設定するかということである。(P89より引用)


さらに著者は、設定を行うことによって、ストーリー内で「起こりそうなこと」「起こりうること」「起こるはずがないこと」が明確になっていくと言います。

フィクションの世界には、それぞれ独自の宇宙観があり、そのなかで物事がなぜ、どのように起こるのかについて独自のルールがある。
設定が現実的なものであれ、風変わりなものであれ、因果関係の法則が確立したら、それを変えることはできない。

前回の投稿でも、この「独自のルール」に関する引用をした部分がありましたので、再度載せておきます。

『ロジャー・ラビット』で、人間がアニメーションのキャラクターであるロジャーを、鍵のかかったドアに向かって追いつめるとしよう。
急に体が平べったくなったロジャーはドアの下を通り抜けて逃げ、人間はドアに激突する。めでたし、めでたし。
だが、こんどはこれがストーリーのルールになる。
つまり、ロジャーは体が平たくなって逃げられるのだから、どんな人間も捕まえることができないというルールである。
この先のシーンでロジャーを捕まえたくなったら、脚本家は人間以外の存在を考え出すか、さっきの追跡シーンにもどって書きなおすしかない。
(P70より引用)

分かりやすいと思うので『ロジャー・ラビット』の例を取り上げましたが、ストーリーの「独自のルール」は、ファンタジー作品特有のものではありません。
例えば、現実的な離婚問題を題材にしたストーリーであっても、「設定」の四要素のひとつである「舞台」が、ルイジアナなのか、ニューヨークなのか、アイダホなのかによって、「起きそうなこと」「起きるはずがないこと」は自ずと変わってきます。

どこにでもあてはめれられるストーリーなどありはしない。
本物のストーリーが存在できるのは、たったひとつの場所と時間なのだ。

……ということは、「2019年、東京のどこかに暮らす、ごく普通のサラリーマンの物語」ということでは、「ストーリーの設定をした」とは言えないということになります。
自分が描こうとしていることに最も適しているのは、東京のどこに暮らす人物なのか? サラリーマンならばどんな会社に勤めているのか?
役職は? 勤続年数は?
これらの問いに、たったひとつの答えがあるはずだと著者は述べているわけです。
「私が描きたいのは、主人公の恋愛であって、サラリーマンとしての生活ではないから、『東京に暮らす、ごく普通のサラリーマン』ということで十分」と、つい考えてしまう人もいると思いますが、それが著者の言う「作り手が自分のストーリーの世界を理解していない」状態ということなのでしょう。

【創造的な制約の原則】

上記の通り、描きたいストーリーに適した「設定」を作ると、その世界独自のルール、いわば「制約」が生まれます。

制約は不可欠なものだ。
すぐれたストーリーを書くための最初のステップは、小さくて理解可能な世界を作り出すことからはじまる。
芸術家とは本質的に自由を求めるものであるから、構成と設定の関係によって創作上の選択が制限されるという原則には反発を覚えるかもしれない。
だが、よく考えれば、この関係はこの上なく有益だ。
設定によってストーリーが制限されることで、創造性は妨げられるどころか、むしろ刺激される。(P91より引用)

例えば、「東京のどこかに暮らす普通のサラリーマン」よりも、「台東区合羽橋あたりに暮らす食器メーカーのサラリーマン」と具体化した方が、この登場人物の日常が思い浮かびやすく、描きやすくなる、ということですね。

ストーリーの世界は、創造主である作家の心のなかにおさまるほどの小さいものでなくてはならない。
神が自分で創りあげた世界の隅々までを深く知るのと同じだ。
(P91~92より引用)

「小さい」世界とは、とるに足りない世界という意味ではない。
芸術は、広い世界から、小片を切りとって、この瞬間に最も貴重で魅力豊かなものへと高めることができる。
ここで言う「小さい」とは、理解できる範囲ということだ。
(P92より引用)

無闇に風呂敷を広げても、作り手自身の手に負えないものになっては仕方がない、ということですね。


【調査】

クリシェとの闘いに勝つための鍵は調査をすることである。
言い換えれば、知識を得るために時間と労力をかけることだ。
くわしく言うと、記憶の調査、想像力の調査、事実の調査がある。
ほとんどの場合、ストーリーにはこの三つがすべて必要だ。
(P93より引用)

記憶、想像力、事実の三種類の調査については、以下のように解説されています。

・「記憶の調査」に関して

デスクから顔をあげて、自問しよう。
「これまで自分が個人的に経験したことで、作品の登場人物の人生とかかわりがあるものはないだろうか」と。(中略)
書き記すまでは、わかっているかどうかすらわからないものだ。
調査とは白昼夢を見ることではない。
自分の過去を語り、追体験して、書き記すことだ。
頭のなかではただの記憶だが、文章にすれば実用的な知識になる。
(P93より引用)

・「想像力の調査」に関して

ふたたび自問しよう。
「登場人物の人生を自分が生きてみたら、どんな毎日になるだろうか」と。(中略)
記憶は人生の一部を塊として見せてくれるが、想像がもたらすのは、一見無関係に思える人生の断片や、夢のかけらや、経験の切れ端だ。
それらの隠された関係を見つけ出し、ひとつのものにまとめていく。
つながりを見つけて、シーンを思い描くことができたら、それを書き記そう。
活用できる想像も調査だと言える。(P93~94より引用)

・「事実の調査」に関して

才能を殺すことはできないが、知識不足ゆえに昏睡させることはありうる。
どんなに才能があっても、何も知らなければ書けない。
才能は事実とアイディアで刺激してやる必要がある。
調査をしよう。才能に題材を与えよう。(P94より引用)

これらの地道な調査を続けていくと、「堰を切ったようにストーリーがあふれ出すという現象が起こる」と、多くの書き手が述べています。
ですが著者は、以下のような警告もしています。

注意すべきことがある。調査によって題材は得られるが、それは創造力の代わりにはならない。(中略)
ストーリーとは、単に集めた情報をつなぎ合わせたものではなく、数々の出来事をうまく設計して意味のあるクライマックスへと観客を導くものだ。(中略)
調査とはあくまで想像力や発想という荒々しい獣の餌であり、それ自体が目的ではない。(P95~96より引用)

また、調査が完璧に終わらなければ、創作に取り組んではいけないというわけではなく、創作と調査を交互に進めて行けばよい、とも著者は述べています。

新しいアイディアが種を撒き、ストーリーと登場人物が育っていく。
ストーリーが育つにつれて、新たな疑問が生じ、さらに調査が求められる。
創造と調査を必要に応じて行き来しながら、あれこれとまわり道をしたすえに、ついにストーリーが完全な形となって生き生きとその姿を現す。
(P96より引用)


【創造的選択】

すぐれた作品を書くとは、ひとつの問いに対してひとつの答えをあてはめることではない。
ストーリーを埋めるのに必要な出来事を必要なだけ考え出して、そこに台詞を書きこんでいくのではない。
独創性とは、ひとつの問いに五つ、いや、十か二十の答えを用意することだ。
作品を書き上げるには、実際に使うよりもはるかに多くの題材を考えることが必要であり、登場人物とその世界にふさわしい独創的な場面や出来事を数多くそろえて、そこから的確な選択をしなくてはならない。
(P97より引用)

たいていの場合、ひらめきとは頭のなかでいちばん上にあったものを摘み取っただけのもので、そこにあるのは、これまでたくさん見た映画、たくさん読んだ小説から残っているクリシェにほかならない。
(P98より引用)

例えばラブストーリーの出会いのシーンを描こうという場合、最初に思いついた「男女がシングルズバーで出会う」という案を即採用するのではなく、十、二十とシーンを思い浮かべ、ざっとアイデアを書き出していく。
アイデアが尽きたら、次のように自分に問いかけてみるのだ、と著者は言います。

この登場人物にいちばん合っているのはどのシーンか。
彼らの世界にふさわしいのはどれか。
これまでの映画に登場したことがないのはどれか。
そのシーンこそ、脚本に書くべきものだ。(P98~99より引用)

『構成と設定』に関するこの章の最後も、著者らしい辛口の言葉で締めくくられています。

愚にもつかないことを見栄えだけ整えて並べても、失敗作となるのは当然だ。
天才とは、力強いシーンやビートを作り出す力だけではなく、陳腐なもの、こじつけたもの、調子はずれのもの、偽りのものを排除できる審美眼と判断力と強い意志を持つ人間だ。(P99~100より引用)


☆「第2部ストーリーの諸要素 4 構成とジャンル」に続く

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※このブックレビュー全体の目次は以下の通りです。
第1部 脚本家とストーリーの技術
(1)ストーリーの問題

第2部 ストーリーの諸要素
(2)構成の概略
(3)構成と設定
(4)構成とジャンル
(5)構成と登場人物
(6)構成と意味

第3部 ストーリー設計の原則
(7)前半 ストーリーの本質
(7)後半 ストーリーの本質
(8)契機事件
(9)幕の設計
(10)シーンの設計
(11)シーンの分析
(12)編成
(13)重大局面、クライマックス、解決

第4部 脚本の執筆
(14)敵対する力の原則
(15)明瞭化
(16)前半 問題と解決策
(16)後半 問題と解決策
(17)登場人物
(18)ことばの選択
(19)脚本家の創作術

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中川千英子(脚本家)
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