見出し画像

緑内障発覚の経緯~10代で緑内障?片目はほぼ失明状態だった体験

こんにちは。
緑内障歴〇十年のかほこです。
障害者手帳2級、白杖持ち。
現在は息子2人の子育て奮闘中です

緑内障のこと、仕事のこと、子育てのことなどを書いてみようと思います。主に私が体験談や体験から感じたことなどを綴ってみます。
似たような経験をされた方、是非お話を聞かせてください。

今日は緑内障が発覚した時の話です。

眼鏡を作り替えようと眼科へ行き緑内障発覚

私の緑内障が発覚したのは高校生の時。
黒板が見えづらくなり眼科に行った。
使い始めてから1年くらいの眼鏡の度が合わなくなったのだと思っていた。

新しい眼鏡を作るために眼科へ行ったところ。。。

眼科で検査した結果、なんと眼圧が両眼とも40超えΣ(゚д゚lll)
(正常な眼圧は10 〜20まで。正常眼圧緑内障の方や緑内障で視神経が瀕死状態の人は眼圧を10以下に抑えることもあります。)

眼科の医師には驚かれました。
「なんでこんなになるまで放って置いたの‼︎」
と先生声が裏返ってました(^◇^;)

そしてなんとなんとその眼科では治療拒否!

「できる事は何もありません。紹介状書くのでもうここには来ないでください」

と言われた。
(実際にはもっと強い口調で心底嫌そうに言われた気がする)


拒否されたのと、言い方がとても感じ悪かったのとで、当時はとても頭にきた。

今冷静になって考えてみても
言い方はとても悪く追い払われるように感じたので怒って良いと思う。

治療出来ないことに関しては正直よく分からない。
『せめて紹介先の病院に行くまでの数日間だけでも、目薬とか飲み薬とか、何かできることはあるだろ‼︎』
と当時は思った。

今では仕方がなかったのかもしれないなと。
あまりにも高眼圧だと飲み薬や点眼液などは焼け石に水で効果はないのだろうか?
私は眼科医ではないので治療法については良くわからない。

もうひとつ当時の先生に対して思うのは
『出来ないことを出来ないと言ってくれてむしろ良かったな』と。

以前義父の胃に悪性腫瘍が見つかった時
「小さすぎて治療出来ないので様子を見ましょう」
と担当医に言われた。

『自分が治療出来ないからと言って患者の病状が進むのを待つのか???』

と頭の中がハテナでいっぱいになった。

結局、即転院して手術を受け、今でも義父は元気に過ごしている。
そんな医師がいることを考えると、できないことをできないと言い
すぐに大きな病院を紹介してくれた眼科の先生には少しだけ感謝しても良いかもしれない。

もっと早く緑内障を発見できるチャンスがあったのに

緑内障発覚は高校1年の時だったけれど
実はその1年前くらいに発見できたかもしれない機会があった。
緑内障と診断される1年ほど前に
視力が1.0から0.3まで一気に落ちて眼科に行った。

その時に眼鏡を作った病院で眼圧を測っていれば、おそらく高眼圧だっだろうなぁと思っている。
実際には測っていないのであくまでも想像の話だけど。
もしその時に発見できていれば、障害者手帳ももらうほどの症状にはならなかっただろうと思う。

過ぎたことは忘れる主義なので、私はあまり思い出すこともないけれど、
母は緑内障発覚後数年間は「あの時あの先生がちゃんと検査をしてみつけてくれれば。。。」と文句を言っていた。

緑内障が発覚した当時、母は子供の病気を発見できなかったと自分を責めていた。
私はそんな母が心配だったので
『自分を責めるよりは眼科を責める方が精神衛生上良いだろうな』
と少しほっとしたのを覚えている。
色々と責めたくなる気持ちは分かるけれど、緑内障患者本人にとっては今後この視力と視野でどうやって生きていくか?
過ぎたことよりも今後のことの方が大問題だった。

もしも急激に視力が落ちた時、メガネを作るだけでなくぜひ病院で眼圧も測ってみてください。
眼科に行くことがあったら
「緑内障が心配で。。。」
「親戚に緑内障の人がいるので不安で。。。」
と先生に言ってみて下さい。

緑内障発覚当時すでに片目がほぼ失明状態だった

緑内障発見当時どのくらい症状が進行していたかというと

右眼はほとんど見えていなかった。
右上の端の方に少しだけ、かすかに色が分かる部分があるだけで
それ以外の視神経は死んでいた。
右眼では字は読めないし、物の形も分からない。
目の前に人がいても右眼だけでは分からない。
不透明な霧で遮られた視界で右上にほんの少しだけ半透明の霧になっていて向こう側が透けて見える。
空が青ければ半透明の霧が青っぽい霧になり、
真っ暗なところでは半透明な霧は黒っぽい霧になる。

左眼は視野の1/3~半分くらいを失っていて中心をかすめていた。
見えないことを自覚すると
下半分を不透明な霧に覆われているような感じがする。
中心が少しやられているので、矯正しても(眼鏡を使っても)視力は0.3くらいしか見えなかった。

字が読みづらい理由が分かった。
乱視が酷くなった訳じゃなかった(ー ー;)


そんなに見えにくくなるまで全く気がつかなかった自分に驚きだが
少しだけ言い訳をさせてもらうと

見えにくいとは思っていたんだよ。
でも病気だなんて思わないじゃない?乱視かと思っってた…

バレーボールのボールが消える魔球になって不思議だったよ。
でも視野が欠ける病気があるなんて知らないし…

バトミントンのシャトルがラケットに当たらなくて自分は他の人と見えてるものが違うのかなって思ったよ。
でも、究極の運動音痴で目の動きも鈍いんだなって思ったんだよ(´・ω・`)

階段の下りでよくコケそうになるとは思っていたけど
ただの不注意だと思ったんだよ。

成長期の子供だよ。
急に見えなくなったらさすがに気づくけど
何年もかけて少しずつ少しずつ忍び寄ってくる変化に対して

コレが普通なんだ

この見え方が私の普通なんだ

って思っちゃうよ(´・ω・`)

なんかおかしいとは思っていたけれど、まさか病気だったなんてね〜

緑内障だと言われた時、驚いたのと同時に納得した。
今まで不思議に思っていた色々なことが全て納得できて、ストンと腑に落ちた感じがした。

私が鈍感だと言ってしまえばその通りなんだけど
緑内障は本当に自分では気づきにくい病気です。
おかしいなと思った時にはかなり進んでいることが多い。
少しでも見えているうちに発見できた私はラッキーだったかもしれない♪

今日はここまで。
次回は紹介された病院の担当医の暴言がひどかった話を書こうと思います。
担当医「また来たの?」
母「じゃあもう来ません!!」
で通うのをやめた話です( ̄▽ ̄;)



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?