第2話 山梨県・甲府市編|あつかんオン・ザ・ロード|DJ Yudetaro
夏至も近付いた6月の下旬、夕方になってもまだ陽が沈む気配はない。
山沿いは涼しかったのが、甲府盆地に入ったら一気に蒸し暑く感じられてきた。
甲府の街に着き、今晩の店「発酵酒場 かえるのより道」のすぐ傍にとった宿に着いてチェックインを済ませると、荷物だけ置いて急いで外に出た。
車で家を出たのは昼ごろであったが、あえて遠回りしてきたため、到着がやや遅くなってしまったのだ。
私はむかし(約15年前)静岡県の富士宮に住んでおり、週末になるとそこから富士川沿いを山梨方面によくドライブして遊んだ。
遊んだといっても、独りでだ。
当時は20代の終わりで、富士宮は良い街で人々も温かかったが、どうしても健全な人付き合いには溶け込めず、休日の気の紛らわし方は孤独なドライブしかなかった。振り返るとなかなか惨めな思い出しかない。
それを懐かしみ、今日は静岡の清水から国道52号を経由しつつ、途中道の駅にも2ヵ所ばかり寄ってから甲府に来た。
かえるのより道に行く前に、すでに色々と寄り道してきたというわけだ。
この日、店では熱燗DJつけたろう(※1) が燗をつけるイベント「ケロケーロケロケーロ 」が開かれており、そのスタート時間まで僅かだった。銀行でお金をおろしつつ、できる範囲で中心街を散歩して回ることにする。
甲府は駅の南側エリアに県庁、市役所などの官公庁が集中しており、その周囲に商店街が伸び、歓楽街も広がっている。繁華街は徒歩15分くらいで一周できる非常にコンパクトな街で、私の経験上こういう土地には当たりの飲食店が多い。
歩いてみた印象としては、思ったよりも夜の街だ、ということ。「グルメ横丁」「オリンピック通り」「1番街」……ところどころに点在して小さな飲み屋が密集する狭いレトロな路地、横丁がなんともそそられる。やはり中央線沿線なのか、高円寺や中野に通じるディープな雰囲気があった。
さて、まだ空は明るいが熱燗を楽しむことにしよう。
中心街の目抜き通りに面したかえるのより道は外見も内装も明るく綺麗で清潔感があり、カフェのような雰囲気だ。
入り口の軒先には「発酵」の提灯が光り、大きなかえるの人形がお出迎えしてくれた。
メニューにも書いてあるが、ここは発酵酒場の名の通りすべての料理に発酵調味料または発酵食品が使われている。それもできる限り自家製で化学調味料無添加だ。発酵料理に対して山梨の地酒ほか全国の純米酒を合わせて飲める店で、私が座ったカウンターの前には燗床も置かれている。寺田本家の自然酒の瓶もみえた。
ただ、今日お燗番を担当するのはつけたろうで、彼が自宅から大量に持参した日本酒を楽しむイベントとなっている。つけたろうの熱燗はお店のドリンクや料理と別会計だが、一杯毎の値段はついておらず、最後まとめて投げ銭方式で任意の額を払うというのが、いかにも彼らしいシステムだった。
最初はハートランドビールを頼んで喉を潤す。まずは軽いものから一品注文しよう。黒板に書いてあった「焼きヤングコーン塩麹バルサミコマリネ」を選択した。
出てきた小皿には、こんがりと焼けたヤングコーンにバルサミコがかかっており、傍らにはマヨネーズが添えられていた。
コーンの香ばしさにマリネの酸味、それにマヨネーズの甘味が三位一体となって口の中の好奇心を満たす逸品で、早くも脳内のアドレナリンがステップを踏み始めるのがわかる。
塩麹バルサミコ酢も絶妙ながら、とりわけマヨネーズが最高だった。
ベジタリアンでも食べられる自家製ということだが、植物性とは思えぬほどの、まるでチーズのようなコクがある。それでいて上品でさっぱりしており、このマヨ単体で何杯でもお酒が飲めそうだ。あまりの美味しさに、はしたない妄想であるが、お皿に残った残滓までかえるのような長い舌で舐めとりたい欲望にかられてしまう。いや、実際やってしまったかもしれない。
とにかく、私はこの最初の一品ですっかりかえるのより道が織りなす発酵料理の虜になってしまった。
マヨネーズに感動したあまり、勢いで「ウフマヨ」も頼む。各店で個性が出る料理であるが、もちろんかえるのより道のウフマヨが極上だったのは言うまでもない。うっかり日本酒のことを忘れて一口で食べそうになってしまった。そろそろ熱燗を頼んで合わせなければ。
つけたろうと相談しながら、最初の一本は山形のお酒「尾浦城 純米」をつけてもらった。
5年程度寝かせたそうで、まろやかな旨みに熟成香が乗っている。熱燗は食べ物に思いがけないエフェクトをかけることがあるが、ウフマヨを口に含んだ状態で追いかけると、尾浦城のものか、それともマヨネーズのものか、酸味がにわかに湧き上がってきて、不思議なジューシーさが口内に充満した。
桑ちゃんの名前で親しまれている店主の桑本さん(いただいた名刺の肩書は「代表戸締り役」であった)にマヨネーズの感動を伝えると、満面の笑みで感謝してくれた。ワンオペで忙しそうに調理に奔走しているが、それでも合間をみてはお客さんと気さくに会話するのを忘れない。桑ちゃんに店名の由来も聞いてみた。
もともと「かえる商店」という屋号で活動しており、お店は甲府の横丁内の一角に出していたそうだ。メイン通りから寄り道して横丁の中を覗いてみてほしい、という意味で「かえるのより道」にしたということ。先ほど散歩した際に見かけた数多くの横丁に心を惹かれた私としては、往年のお店もどんな感じだったのか気になってしまう。
さて、次は何にしよう。まだ前菜的な料理しか頼んでいないが、とにかく発酵調味料が美味しすぎるし、量も一人で食べるには丁度いいサイズである。大皿料理を頼むより、このまま前菜だけで突っ走るのもありなのではないか?と思ってしまった。
ということで、3品目も「アスパラのバーニャカウダ」という小品を頼む。つけたろうが供した酒は「出羽桜」の純米酒で、個性が強い酒が多いなかにおいては珍しく、普段よく飲む系というか、オーソドックスで比較的スッキリした味わいであった。
品がよくナチュラルなコクとほのかな塩味が織りなすバーニャカウダソース、美味しくないわけがない。さらにアスパラは甘味も苦みもあるので、口の中で様々な味覚が交錯しているような状態だ。というわけで、味の邪魔をしないペアリングをしたという。さすがである。
それにしてもこの店、実に和気藹々としている。お店のインテリアや、気取らない桑ちゃんの人柄によるところも大きいと思うが、たとえ人見知りでもカウンターに座ればお客さん同士が自然と会話を始められるような爽やかな空気がある。「これ半分いかがですか?」「このお酒どうぞ……」私もいつの間にか、隣に座った上品なご夫婦のご相伴にあずからせてもらっていた。
マヨネーズ、バーニャカウダときて、続いては塩麹だ。ちょっとボリュームがあるお皿を隣席の方とシェアして、塩麹に漬けた「唐揚げ」そして「ズッキーニとベーコンの塩麹トマト炒め」をいただいた。
自家製の塩麹は柔らかく優しく、飽きがこない味わいだ。トマト炒めにはパルミジャンこそかかっているが、調味料としては塩麹しか使っていないという。夏にぴったりで、毎日でも食べたいおかずだと思った。
合わせる燗酒は、つけたろう酒店オリジナルの愛知県・澤田酒造の「豊醸」と、三重・河武醸造「鉾杉 樽酒」、そのあとに山梨の地酒「武の井」の純米酒。
武の井は、桑ちゃん、つけたろうともに山梨の中では一押しのお酒だということ。飲んでみると確かに良い。落ち着いた旨みがあって、毎日の晩酌酒に丁度いい食中酒という印象だ。唐揚げやベーコンの油も優しく流してくれた。
時間が深まってきて、店内の席が埋まってきた。甲府では有名人だと紹介されたデザイナーのお姉さんが厨房に入って手伝っているが、お客さんとよくしゃべり、その話が豪快でなかなか面白い。大量の酒を担いでアルプスに登り、頂上で飲み干すという。
彼女がデザインしたというかえるのより道8周年記念のかわいいステッカーもいただいた。
テーブル席に座っているグループの年齢層はおしなべて若く、大学生も含まれているようだ。
彼らは、大人の世界を覗きにきました!という堅い感じではなく、かといって内輪でただ騒ぎたいだけ、という風紀を乱す感じでもない。自然に食事とお酒とお喋りを楽しみにきました、という態度なのがとても立派にみえた。私の横のテーブル席の四人も、桑ちゃんやつけたろうとフランクに会話をしつつ、盛り上がっている。
ここで、本日のつけたろう渾身のペアリングが登場。「スルメイカの塩麹漬」+「田从 山廃純米」だ。
イカの塩辛はよく見るが、スルメの麹漬とは珍しい。メニューをみると鳥取の伝統料理ということ。食べてみると、塩辛よりも奥行きが深く旨みがある。量こそないが、しかし今まで注文してきた一品に比べると強烈に味が濃ゆく、ザ・酒の肴という風格がある。それに合わせる田从も、つけたろう曰く「醤油麴のようになった」熟成酒であり、強烈に癖が強かった。
口内は麹VS麹といった感じで、相当な癖の強さのぶつかり合いであるが、これが不思議と異常なほど相性がよく、箸と盃が止まらない。
結局、このスルメイカの塩麹漬を私はお代わりしてしまった。
いろいろ食べ物をお裾分けしてくれた隣のご夫婦は退店し、入れ替わるように、ご常連だという年配の男性が一人カウンター席に座り熱燗を注文する。
センセイと呼ばれ、尊敬されているようだ。
さまざまな年齢層、客層がみんなそれぞれ自由に楽しんでいて、かつ、お店とのコミュニケーションが成立している。
今日は熱燗のイベントとはいえ決められたコースやシナリオがあるわけではなかったし、また、料理一品に必ず熱燗一杯頼めなどといったルールもなく、思っていたよりずっとフリーな空間だった。
つけたろうも、まるで屋台を出しているテキ屋の兄ちゃんのようなスタイルで瓶をならべ、近寄ってきたお客さんに「何か飲むかい?」というフランクさで接している。徳利を出すときに多少の説明はするけれど、講釈ぶっているわけではないし「このつまみにはこれを飲め」と強要することもない。
ふと、この空間がまるで駄菓子屋みたいだ、と思った。「今日は駄菓子屋に熱燗のおっちゃん来てるよ」という感じだ。そうだ、ここは成人になったかえるたちが寄り道して、思い思いの発酵食品をちょっとずつつまんでいく、駄菓子屋である。
二皿目のするめいかでしょっぱくなった口を癒すため「黒豆のこぶ醤油漬け」を頼み、さらにつけたろう秘蔵だという「剣菱」の熟成酒(ものすごい山吹色をしていた)を味わったところで、脳みそがアルコールによって煮詰まりはじめてきたので、お開きとさせていただいた。
店内はまだ盛り上がっていて、ところどころに置かれているかえるの置物やオブジェもそれにつられて「ケロケーロ、ケロケーロ」と合唱しているようにみえる。天井からは、特注だというかえるのステンドグラス照明が色とりどりの優しい光を放っていた。
帰り際に、入り口付近に座っていた大学生グループと少し交流する。こんな若い頃からこんな良い日本酒を飲んで、こんな良い料理を食べて、羨ましい!と素直に言った気がする(あまり覚えていない)。彼らは、私の若い頃に比べてずいぶんとコミュニケーションに長けた大人にみえた。自分も二十代の頃にこんな素晴らしい居酒屋に出会ていればなあ、と嫉妬したのだった。
でも、出会えていれば、どうだったのだろう? 私の人生はいわゆるリア充に近付いたのか? もっと早くに成熟し、様々な挫折も味わわずに成功を収めたのだろうか? ……いや、過去のタラレバはよくない。
何歳になろうと未来を向いて進もうと思う。
発酵は時間がかかる。充分に味が熟すまでの、その時間は人それぞれだ。時間がかかった分だけ、旨みが増すかもしれないではないか。
帰りは、もう一周、横丁に明かりが灯った夜の甲府の街を廻ったあと、二軒目のワインバーへ向かった。