第1話 静岡県・富士市編|あつかんオン・ザ・ロード|DJ Yudetaro
日曜の夕方だというのに、富士駅の北口から続くアーケード商店街は店の大半がシャッターをおろしていて、人通りも少ない。化石のように残った昭和の古い建築や看板が延々と連なっている。
視線を少し上空へ移せば、間近に見える霊峰富士の大きさと迫力に驚く。シャッター通りと巨大な富士山、その光景はシュールで、SF漫画のなかの1コマに迷い込んだかのようだ。だが、この寂れた街並みには不穏な空気感のなかにも退廃的な美しさがあり、私は嫌いではない。
そんな商店街を進んでいった場末に、日本酒とおつまみの店「音連れ」はある。
音連れの店主葛西さんご夫妻とは3月にKAN-KAN FESでお会いしていた。ご主人の葛西良介さんは話してみると実に物腰が柔らかくて優しい方であるが、そのたたずまいにバンドマンのようなオーラがあって、お店の名前も音連れだから、私は勝手にミュージシャン(もしくは元ミュージシャン)だと決めつけてしまった。それもパンクやノイズといった尖ったジャンルに違いない。
さらに、いただいた名刺には「アングラ座」「過激にして愛嬌あり」「貴方ノ夜ノ憩イノ場」「ニホンシュネオ・モダン」「日本酒愛好怪奇倶楽部」といった物々しい単語が並んでいる。
私の脳内には、奥まった路地裏にあってマニアがひっそりと集う薄暗い秘密基地のような日本酒バーが浮かんでいた。
だが、その先入観は良い意味で裏切られた。
路地裏ではなく、二車線道路がある商店街のメイン通りに面した音連れの入り口は、想像以上に間口が広かった。店内も、カオティックで怪しい昭和レトロなオブジェに囲まれているものの適度に開放的な空間で、まだ開店して5分くらいしか経っていないのにご常連と思われる紳士・ご婦人方がカウンターで楽しそうに会話しながら、飲り始めている。
葛西さんご夫妻は事前連絡もなく突然遠方から来た私にびっくりしたようだったが、快く迎え入れてくれた。カウンターの端に陣地を構える。
何を頼もうかとメニューを開くと、まずでかでかと「頭蓋骨内部への衝撃 ニホンシュ ネオ・モダン」の文字。
そして次のページには「初めてご来店される方へ」という店主からの主張強めのメッセージが長々と掲載されていた。
内容は「こういう質問されても困ります」「こういう注文は受け付けません」「こういう態度をとる客は帰ってください」というマナー啓発系で、他所の店だと煩わしく感じてしまうケースも多いが、音連れの場合不思議なことに読んでも不快にならない。それどころか、かえって「よくぞ言ってくれた!」と感じたほどだった。
品書きは飲み物、フードともに豊富で、日本酒は山廃、熟成系が多いようだ。料理は「お腹がいっぱいなときもつまめる」「お腹が空いたときに食べられる」と分けてある。無国籍かつ凝った名前のものが多く、味を想像するだけでわくわくする。
料理を4品頼んで、1品ずつ日本酒のペアリングをお任せした。そして最後はカレーで〆ることにする。
ご主人の葛西さんは料理や酒を運ぶのにも、ただ何かを伝えにくるのにも、逐一カウンターから出てきて椅子のそばまで来て接客する。とても律儀で丁寧な方だ。
「うーん、冷奴に合うお酒が、いま冷蔵庫見たんですけど一本だけわずかに残ってて……」など、真剣にペアリングを選んでくださっている。そして服をみると、「田子の浦ロック」という黒いTシャツを着ている。やはりバンドマンじゃないか。そう確信を強めた。
一品目
「玄海漬け」+「小左衛門 山廃本醸造無濾過生原酒 」(燗)
かなりのレア珍味である。初めて食べるし、名前も知らなかった。調べると佐賀県唐津市でつくられ鯨の頭の軟骨を粕漬けにした伝統的な発酵食のようだ。粕漬けの味がかなり独特の甘味とコクを持っており、癖は強い。
燗酒として供されたのは、「小左衛門 山廃本醸造無濾過生原酒 」である。
あわせてみたら、最高だった。アルコール度数が高く、本来かなり濃ゆい味に違いない小左衛門だが、燗で膨らんだ優しい旨みが、濃厚な玄海漬けと口内でまろやかに溶け合い、絶妙なクリーミーさに昇華された。ゴツゴツの原木を彫刻刀で滑らかに彫り仕上がった丸い椅子の座り心地のよう、とでも形容すべきだろうか。
二品目
「パクチー醤油で食べる冷奴」+「天穏 イトナミ神楽 きもと五穀酒 二火(黒酒)」(冷)
普通の冷奴ではなくパクチーを加えるのが、この店独特の捻りと思われる。しかもここに日本酒をピンポイントでセレクトしようとしてくる。
どんなのが来るのだろうと待ち構えていると、黒に白抜き網目模様の、見たことない天穏が登場してきた。
「天穏 イトナミ神楽 きもと五穀酒 二火(黒酒)」、分類は「その他の醸造酒」で、原料は米、米麹 + 麦、アワ、ヒエ、大豆!
ただ意外なほど口当たりもよく、スッキリした酒だった。たしかにパクチー冷奴にあう。そもそも、大豆が入っているこのお酒自体が冷奴のような味なのである。なるほど、同系統のハーモニーで合わせるペアリングということか。そしてこの同系統ペアリング、次で度肝を抜かれることになる。
三品目
「イワシの干物+アジョワン・オイル」+「此君 純米吟醸 無濾過生原酒」(燗)
メニューに「今日の干物」というコーナーがあり(この店では珍しく静岡らしいコンテンツだ)イワシにアジョワンオイルのトッピングを追加してオーダーした。焼きたてのイワシの干物は、みりん干しっぽい味がついており、それだけでもかなり美味だと思うが、アジョワンの香ばしさが加わることで更に酒の肴として完璧になっている。それに合わせて運ばれてきた徳利は、鳥取のお酒「此君 純米吟醸 無濾過生原酒」の熱燗。で、これを持ってきたときの葛西さんの説明に耳を疑った。
「これ熟成させてあるんですけど、なんかイワシの干物みたいな香りがするんですよ」
なんと、まさかの日本酒も干物!? しかしそんな香りのお酒あるのか? 飲んでみると、本当に魚の干物みたいな香りがする。
だからといって生臭い、魚臭いというわけではなく、ちゃんと米の旨み甘味もあるし、干物にパーフェクトにマッチする。干物+干物という、今までにない味覚の体験は本当に驚いた。
四品目
「海老のラッサム」+「発芽玄米酒 むすひ」(冷)
梅雨が近付き蒸し暑くなってきた陽気にぴったりのスープ、ラッサム。爽やかで美味しい。それにしてもこの店、香辛料の使い方がうますぎる。
まもなく、五人娘の醸造元、千葉の寺田本家が醸すド変態酒「発芽玄米酒 むすひ」が登場。これは過去に飲んだこともあり、個人的によく知っていた。
信じられないほど独特な、糠味噌の匂いがするような酒で、正直これを何の食べ物と合わせたらいいのだろうと疑問に思っていたのだったが、答えが見つかった。ラッサムである。
太古の製法で玄米を発酵させた、むすひ独特の酸味が、ラッサムの酸味とジャストフィットし、日本・ミーツ・インドの国際的なペアリング友好条約が生まれたのだ。仏教伝来を感じさせるロマンがある。
〆
「牛すじカレー」+「辰泉 純米山廃仕込」(燗)
〆に頼んだのはカレー。葛西さん自らスパイス調合などを研究して考えたらしい。牛すじがトロトロに煮込まれていて、牛肉特有の甘さが口の中いっぱいに広がる優しい味のカレーだった。もちろんこれにも熱燗を合わせてもらう。「うちの晩酌酒です」といって出てきたのが会津の酒「辰泉 純米山廃仕込」。カレーと共通する優しさとまろやかさが調和しながら、山廃のコクもしっかりあって、牛すじの油を程よく流してくれた。これは毎日の食卓のお供に幾らでも飲めるやつだ。うちでも常備しておきたい気にかられた。
以上で注文終了。
メニューに書いてあった「日本酒でカバーできないおつまみは・・ない」。まさにその通り!と言いたくなる。
意外な組み合わせのペアリングは想像を上回るほど意外な組み合わせで面白かったし、どれも美味しく、舌も好奇心も満たされた。
そして、料理のラインアップは字面こそ刺激的に感じるものの、実際は味わいがほっこり優しいものが多く、気取らず、かっこつけず、家庭的だ。燗酒も同様で、米の旨み、甘味がじんわりと滲み出て、優しく馥郁たる余韻があった。
「このお店の雰囲気そのままだな」と感じた。
音連れは、カルト的なコンセプトと意匠ではあるものの、決してトゲがなく嫌みもなく、初めて入っても寛げて癒される空間を作り上げている。それは店主夫妻の誠実なお人柄と、程よいユーモアが個性と同居して醸し出していることに気付く。
客に媚び、遜るのではなく、きちんと中指を立てるところは立てて自分たちのスタイルは打ち出しつつ、でも匙加減が絶妙で雰囲気は悪くならない。いわゆる「いい塩梅」というやつで、このバランスを保つのは難しいことだ。
さて、会計のとき、意を決して私は葛西さんに質問してみた。
「音楽やってらっしゃるんですか?」
すると葛西さんは謙遜するように「いえいえ、やってないです」といった。「(うそ・・・)!?」
私にとって今日味わったどのペアリングよりも、一番意表を突かれた瞬間だったかもしれない。
「その田子の浦ロックってTシャツ……」と聞くと、「これはお客さんにいただいて着てるだけで、このバンドも聴いたことないんです」と笑った。
偏見はいけない。でも、許してほしい。私はまだ葛西さんがミュージシャンであることを心のどこかで信じている。
「音連れなのに、音の人じゃなかったのか……」
だが、音=音楽というつまらない概念に拘ることは、よくないだろう。また先入観から肩透かしを食らわされたと思い、恥ずかしくなった。
また、音という漢字は耳から聞こえる音(いわゆるサウンド)にとどまらないニュアンスを持つ。たとえば、本音という単語もある。この店によく合う言葉かもしれない。音楽ではなく音。環境と空気を構成していく要素だ。
葛西さんご夫妻は、音なき音、声なき声、そういうものを拾って、空気感を演出されてこの素晴らしいお店を運営されていると思うと、なんとなく紐の結び目が解けていく気がした。そして愛想ではなく愛か。
日本酒愛、料理愛、レトロ愛……。愛に満ち溢れた空間で人は幸せになる。
店から出て、すっかり夜の帳が下りた商店街を歩いた。
心地よい酔いと美味しい料理の余韻が身体に残り、気分が良い。このシャッター通りがなんだか好きになる。
一人の客引きが素早く近寄ってきてキャバクラを勧めるのを、私は笑顔で断った。
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