2月3日
節分ですね。残念ながら今年は恵方巻も食べず、特になにもせず終わりそうです。
鬼といえば、桃太郎の物語。桃太郎は、村人に悪さをする鬼をこてんぱんにやっつけて英雄となる。しかし、これは完全に人間目線の物語だ。
鬼目線で物語があったとするなら、そこにはまた違うドラマがあったはず。鬼が完全に悪であり、人間が善であることなんて、誰に判断できようか。
自分や自分の周りの人を守るために、誰かを悪に置いてしまうことはよくある。もちろん、全てを受け入れて全ての味方でいることはできない。立場や判断によって自分が善だと感じる側にいなくてはいけない。
しかし、聖書にはこんな言葉もある。
「汝の敵を愛せよ」
片方の頬を打たれたら、もう片方も差し出しなさい…と。私はそれなりに怒りのパワーを内に秘めていて、誰かに攻撃されたらそんな風に黙って頬を差し出すことなんてできないかもしれない。掴み合いの大喧嘩でもしてしまうかも。
しかし、愛を忘れずにはいたいと思う。それは、私の敵にも人生があること。そして、私が私の味方を愛するように、その人を愛する味方の人も存在するということを忘れないということだ。
愛するということは、優しくすることとも少し違う。優しくしすぎると自分が崩壊するので、十分に注意しなければならないけれど、愛することで自分は崩壊しない。愛は必ず自分に良い形で返ってくる。行動としてなにも、行うことができなかったとしても、敵を憎まずに罪を憎もう。どうしようもない怒りから自由になろう。敵の存在を認めることが、私自身の存在を認めることにつながる時が必ず来るのである。
敵を憎んで、貶めて、後悔することはあっても、愛することで後悔することはないと思う。今のところ、そう信じて生きてきて間違えていたと思ったことはない。
そんな2月3日。
エチカ