映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」感想

 本邦の歴代SF作品すべてをならべてタイトルコンテストを行ったならば、ダントツの最下位は間違いなくこれだろう。中二病マックス、チラシの裏に書いておけ、発案者の正気を疑うレベルのダサさであり、この文字列が網膜に投射されるたび、これの音像が鼓膜をとらえるたび、我が全身は痙攣を抑えるように固くなり、正体の知れぬ恥ずかしさに身悶えを繰り返さねばならぬほどカッコ悪い。

 ちなみにタイトルコンテスト一位は「百億の昼と千億の夜」である。

 閑話休題。未見の諸氏は、「日本原作」みたいなキャッチコピーに愛国心を刺激されて小鼻をふくらませてはならぬ。21世紀にクレムリンを爆破することが最高にクールだと考えて、実際に主演映画で爆破してみせる(おそらくサイエントロジーからの啓示)ところの、ぼくたちの疾走するバカa.k.a.トム・クルーズによって、「日本原作」はミキサー大帝のするが如く粉々のミンチにされ、超人パワー=原作のトリックのみが分離して採用されているからだ。

 本作のトリックを、スペランカーからダークソウルにつながる系譜であるところの所謂「死に覚えゲー」と重ねて、ゲーム的リアリティの表現と読む向きもあるようだが、私はそれに賛成しない。このトリックの本質は時空ループという物語構造そのものであり、まどかマギカをまず言えばあまりに先人たちに失礼だろう、デザイアを代表とする本邦エロゲー業界の秘中の秘、一子相伝のタレなのである。幾度も同じグラフィックを使いまわすことに、初めて物語的な意味付けを与えたシナリオ構造が時空ループであり、低予算をしか持たないが長時間遊ばせないと評価につながらないという、当時のエロゲー業界特有の市場ニーズへ迎合していく中で生み出された、共有財産としての枠組みなのだ。個人的には特許取得可能なぐらいの大発明だと思う。

 なので、例の魔法少女ものに古参の業界人が複雑な視線を向けるのは、なんとなくわかる気がする。推察するに、閉じた業界の中小企業で共用していた製品の製法をある日突然、国外の大企業が特許申請して、結果莫大な利益を上げていくのを見る感じだろう。法的にはなんら反駁の余地はないが、「えッ、そんなのアリ?」みたいな道徳的義憤を禁じえず、困惑して互いに顔を見合わせているような、そんな空気を当時は感じたものである。

 話がそれた。この時空のループが長く日本の専売特許であったのは、やはり西洋との宗教観の違いが大きいように思う。仏教における輪廻転生とは、その最終的な段階で輪廻の束縛を離れ涅槃に至り、高次の存在へと解脱することを目的とする。繰り返しのうちに全てのストーリーラインを体験し、トゥルーエンドに至って物語が終焉を迎えるというループ構造は、こういった本邦の死生観ととても良く合致している。

 エロゲー発であることが大きな理由だろう、本邦においてこの物語類型がすべて少女への恋着を中心に回転していくのに対して、本作では世界の現状を改変することの方に軸足がある。指揮官として戻ってきた主人公による大反攻を予感させる、エンディングの底抜けな明るさがそれを象徴しているように感じた。

 すべての責任を男性が引受け、少女は死なないし、不幸にもならない。この違いは先の大戦においての現実に対する双方の姿勢を正確に写しとっており、時空ループという一つの物語類型を通じて、諸賢は二つの文化に関する深い洞察を得ることができるだろう。

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