映画「カンフーハッスル」感想

 いつ見ても、日本のサブカルの精髄が、他国民によって深く尊重され、みごとに換骨奪胎される様に、歯噛みをする思いになる。

 本邦の自称・映像作家たちになぜこれができないかと言えば、スクールカーストにおける位置づけが実社会でも保持されるからに違いない。おたくどもの手なぐさみを、リア充の俺がカッコよく昇華してやろうという勘違いが修正されず、名作の普遍性が個人の自己実現に卑小化される。

 閑話休題。この作品が真にすばらしいのは、アジア人の貧相なオッサンを底の知れない、不気味な達人として描いている点だ。西欧からの根深い人種的蔑視を取り除くには、この手法しかない。今こそ我々には、第二のショー・コスギが必要である。すなわち、「日本人はみな、ニンジャかサムライ」というステレオタイプを虚構の側から補強する映像作品だ。西欧の街並みを行けば、十戒の如く日本人の前に道ができる。それくらい徹底的にやって欲しい。

 「中間管理職の悲哀」がテーマみたいな、リアル貧相オッサンがターゲットの時代物はもうおなかいっぱいです。

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