アニメ「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」感想

 最近は、FF11のオトモにタイムラインで名前を見かけたアニメを流してる。きょうは、アンバスやさと艦これイベント海域とウマ娘を並行してプレイしながら、女子高生をひろってからヒゲをそる(タイトル間違ってない?)アニメを見たんですけど、(激情にブルブル震えながら)こ、こいつはすごいですよ! オジサン、ひさしぶりにコウフンしちゃったナ! たしかに表面だけを追えば、作画と演出がいちいち性的な上、男主人公の言動がことごとく気持ち悪く、女上司のする説教は井之頭五郎みたい(「女子高生っていうのはね、なんていうか特別なんだ。ひとり静かで豊かで……」)だし、かつて善良な市民が定義した通りの、まさに完全無欠なレイプファンタジーです。

 しかし、この作品はもっと理解の抽象度を高めて、近代オタクにとっての神話として読まれるべきでしょう。障害を抱えた者が特別な存在と崇められ、人間社会から隔絶されたシャーマンとなり、彼/彼女が没薬の夢に神々を幻視した末の世界理解、その口伝が原初の神話だったと言えましょう。そして現代におけるシャーマンとは、ブラック企業の社畜童貞男性であり、彼はストロングゼロという名の没薬を使って純粋な社会との隔絶(会社と自宅の往復)から語るうち、意図せず神話の類型を削り出してしまったのです。すなわち、年上の処女と年下の非処女との三角関係、マクロスに端を発したオタクの神話体系が、オレンジロードを経由してからいったん忘却の彼方へ消えたのち、ハーレクインロマンスの対角線上に位置する男性側の欲望の物語として、この令和の御代に再び語られているという事実に、深い感動を覚えました。このアニメは、世界各地の創世神話に類似点が見出されるように、強いアルコールによる深夜のトリップで男性オタクたちの無意識にまで潜航した結果、願望の雛型を再び現代へよみがえらせた物語であると指摘できるでしょう。

 まー、酔っぱらいながら半ば本気、半ば冗談でしゃべってますが、この作品、FGOで言うところの願望機に欲望がマンマンに注がれた状態で、ほんとリアル聖杯みたいなもんですよ。オジサンもう、なりなりてなりあまれるところがギンギンになっちゃったナ! キミのなりなりてなりあわぬところをさしふさぎたいヨ、ナンチャッテ!

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