漫画「ダイヤモンドの功罪(7巻まで)」感想
「巨人・大鵬・卵焼き」世代の父親は、息子が小学校にあがると、"とりあえず"近所の少年野球団やリトルリーグへ入れるものです。当時の土曜日は半ドンで授業があったものですから、その少年は毎週の貴重な日曜日を野球の練習に費やすハメになります。入団初期の歓待の季節が終わり、様々なポジションをたらい回しにされるうち、周囲の失望がつのっていくのを肌で感じながら、辞めるという選択肢はあらかじめ封じられています。そうして、「親の好きなものを子は嫌いになり、親の嫌いなものを子は好きになる」の法則どおり、野球を心の底から憎む人間の"いっちょあがり"ーーいやだなあ、ぜんぶ一般論ですよ!ーーとなるのです。野球をめぐる今昔の印象を述べておくと、ダラダラとゴールデンタイムを2時間も3時間も占有していた野球中継が地上波から消滅したのは人類の叡智を証明するものですが、オータニ・ハラスメントなる言葉を生むほど加熱したMLB報道はメディアの不明と変化できなさを如実に表していると感じています。ともあれ、昭和時代に幼少期を過ごしただれかは、野球なる遊戯に対してなんらかの態度を表明せねばならず、ほがらかな無関心でいることは、けっしてゆるされなかったのです。そんなわけで、きょうはウッカリ読んでしまった「ダイヤモンドの功罪」について、旗色を鮮明にしなくてはなりません。ちなみに、野球漫画の体験の更新としては、キャプテン以来となります(タッチは恋愛漫画なので、ノーカン)。
温泉とサウナと漫画喫茶が複合したような施設でこのタイトルを見かけ、以前にエスエヌエスで1話が話題になっていたのを思いだしたことと、トラウマのカサブタをはがして血がにじむのを見たいという被虐の欲望から、1巻を手にとったのが運の尽きでした。帰宅後、すぐさま既刊全巻を一括購入して読破した結論から言えば、本作はまぎれもない"ホンモノ"であり、過去の古傷からの大量出血であやうく死んでしまうところでした。フィクションの筋書きが出つくして飽和状態をむかえている現在、まだこんな鉱脈が残されていたのかと、感心することしきりです。ダイヤモンドの功罪を低級なほうの虚構で例えれば、「大人がしっかり描けていて、不幸が予定調和的ではない、タコピーの原罪」であり、高級なほうの虚構で例えれば、「今西良が持つ人を狂わせる妖艶な魅力を、野球の才能へと置換した、真夜中の天使」とでもなるでしょうか。本作に描かれる様々な感情は、どれもじつにヤオイ小説的であり、かつて小説道場で栗本薫を狂喜させた"おすもうJUNE"ーー関取どうしの男色モノで、セックスの2回戦を「2番もあるんだぜ」と表現ーーがなぜか脳裏をよぎりました。けっして上手な漫画とは言えず、人物の描きわけも髪型と髪色と虹彩だけなのでたいそう混乱するし、構成やコマ割りにとくだん目を引くものがあるわけでもありません。ただ、才能の魔性に魅了されて狂っていく大人たちと、その熱病にあてられて関係性を壊されていく子どもたちの心理描写が、おそろしいほど真に迫っているのです。
特に、U-12日本代表のセレクションへ無断で動画を送りつけた少年野球の監督との車中におけるやり取りは、いまだおのれの魅力に気づかぬ無垢なる少年と、狡猾な野獣と化した大人との間にある淫靡な力関係が濡れ濡れと匂いたっていて、あまりのエロティックさに背筋へ電流が走りました。それに続く、元プロ野球選手のコーチが圧倒的な才能を前に我が子への興味を失い、息子に野球の才能が無いのは「不倫の托卵」だからではないかと妻に言い放つのを、本人が部屋で聞いてしまう場面は、かつてヤオイ小説と呼ばれたボーイズラブに描かれていた、文学的深淵と同じ領域にまで達しています。本作に遭遇してしまったことで、「野球の才能を見限られ、両親の関心が他のきょうだいに移った瞬間」や「野球の得意な友人と自分の父親が、楽しそうにキャッチボールをする光景」が記憶の底から数十年ぶりによみがえり、おのれのうちにまだ残されていた「かわいそうな子ども」を発見して、嗚咽をともなうほどの大泣きをしてしまいました。この作者はたぶん女性で、「野球狂いの父親の影響を直接には受けず、兄か弟の野球遍歴を客観的に見つめることができた」というバックグラウンドを持っているような気がします。本編もそうですが、単行本のオマケ漫画のワチャワチャした感じが、男性作家では表現できない読み味になっているからです。社会通念に由来する読者からの根づよい偏見を避けるため、「つるまいかだ」や「平井大橋」などのジェンダーレスなペンネームを使いながら、かつてはBLや少女漫画がオハコとしていた細密な心理描写を少年誌や一般誌で再現するーーメダリストに続き本作にふれて、少女漫画は衰退したのではなく、新たな大地に種をまいて、新たな生命を芽ぶかせ、その歴史的な役割を終えたのだなと強く感じました。
今後のストーリーですが、デビュー作や読み切りで描かれた未来の時間軸へ合流していくと仮定するならば、「綾瀬川が野球を辞める区切りと決めた試合において、大和くんがことごとく彼からホームランを打ち、野球を続けざるをえなくなる」という展開になるのでしょうか(さらに時間が進めば、ネタバレを避けて言うなら、フィールド・オブ・ドリームスになる)。いずれにせよ、作者はおそらく女性であり、心理描写が少女漫画の文法に沿っていて、突発の男性的な衝動によって物語や主人公を壊される(シンエヴァ!)心配がないのは、大きな安心材料だと言えるでしょう。ダイヤモンドの功罪の作者が、例えば新井英樹ではなくて、本当によかったですね! もしそうなら、タコピーのハイパー・アッパー・バージョンな「予定調和の不幸」で綾瀬川の野球の才能を、彼の人生ごとグッチャグチャにしたでしょうから(RINを想起)! あと、関西弁が関西人から見ても自然なのは好印象で、アニメ化のさいはキチンとネイティブ・オオサカン、あるいは子役をゼロからオーディションしてキンキィ・キッズーーやだなあ、「近畿地方の子どもたち」って意味ですよ!ーーをそろえてほしいと思いました。