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いつでも、流れている「現実」の世界:3


ほとんど、左脳をフル回転させて
20代始まりから働いてきた。

「人よりも動作が遅い。」
人目しか気にしていない学生だった頃

アルバイト先で店長に言われたことを
なんでかずっと、記憶している。

「妹さんはテキパキ動いているよ。」

今だから「個性」とか「得意不得意」が
妹とは違うとわかっているけど

当時はその比較が
何よりぐさっと突き刺さって

それでも若いからこそ
「なんとか周りに追いつこう」とも頑張れる。

20代後半には
フリーターで飲食店接客も得意になっていて。

いかに短時間に済ませるか?
動きも早くなっていて


30代以降は
若手にも効率良さを伝える側になっていた。

そして、
30代半ばになった頃にようやく、気が付く。

いくら「マナー講座」に
憧れる先生を見ながら所作を学んでも

『育ちが違う』

これが、明らかになって
なかなか身につかない。

人前では、そこそこ
それらしく振る舞えたとしても

焦りと落ち着きの無さが
どこかにある。

『そうか、そもそも
 母も父も、落ち着きが無かった。』

40代には
そこに気がついて

自分ばかりを責めることを
ほぼしなくなったし

そういう環境にも
「私の役割」につながるものが

あるんじゃないか?と
左脳さんの使い方を変えるようにしてきた。

母親嫌いは
20代後半からの10年くらい

以降、緩和されていったものの
母親への批判思考は

やっぱり素直に、今でも感じる。

もちろん
父からも、母からも

変な癖だけじゃなく
良い面も、受け継いでいるけど。


若い世代の
「親ガチャ」という言葉が出た時に


『だよね。』と、
その言葉には変に共感してしまった。


思考だけでは
『感謝』はできないものだ。

形から入る、もありだけど。

”内側から湧き出てくる”感謝には
前提として

『私自身を満たして大切に扱っている』
その至福感があるんだと、思う。


さて。

この手術入院体験記を
”いつでも、流れている「現実」の世界”にしたのは

左脳優位だった私が

『何もしなくていい』
『日々のことを感じるだけ』の入院生活で

やっと、気がつけたこと、
だったからだ。

過去の情報に基づいて、
「あの時、こうだったから、今回も、こうだろう。」

失敗を恐れるからこそ
無難でありたいと、左脳をフル回転。


それはいつしか
『警戒』や『疑い』に繋がってしまって。


かなり『人間嫌い』を盾にして
人間関係を広げられない要因だったと思う。


そして、
『本心』から遠ざかりすぎて

本当は、何がしたい?
何を感じている?

それが自分ごとなのに
わからなくなった背景じゃないかと思う。

『現実』の前に
見えないところで動いているのは

他の誰でもない『私自身の』
思考や感情、イメージだった。

誰かのせいじゃない。


いつも私自身が変化していて
感情も思考も、流れ続けている。


やがて、それは『現実』となる。


2025年は
去年よりもさらにわかりやすく

それを体験する人が増えるんだろう。

『現実』は、
私自身の内側の反映。

だったら、
幸せな思考と感情を味わいながら

この先を生きていけばいい。

もちろん
その前提には

『私を大切に扱う』ことがある。
(感謝が自動的に、湧いてくるほどに!)


団塊世代の父母が
子供の頃にどんなだったかは、わからないけど

娘として観察していて
少なくとも母については

貧しさと絡んで
自分自身に嘘ばかりをついてきたんだと、思う。

80代でたまに痴呆があって、
自宅生活はできているけど

ほぼ家事をしてくれる父に
感謝の言葉も、態度もない母。

『反面教師』という言葉が
この世の中に存在してくれていて

本当に良かったと、娘は思う。



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