いつでも、流れている「現実」の世界。
お久しぶりの、記事更新です。
実は、
この夏〜秋にかけて
「まさか!」の出来事を体験しました。
50代で、経験できて良かったなと思うことと
現場の状況を「体感」してもどかしかったこと。
「私」の頭の中で、
勝手に展開してきたストーリーと
『現実』は、イコールではなくて
設定は「私の心次第」だと、見えてきたこと。
春から夏に一時的な不調があって、
それでもその都度、
「なんでもない」と
眠って回復したら、働き出していた。
食欲がないな、と暑さの中に
食べなくなって。
食欲が出てきたと
食べるようになって、1ヶ月。
『あれ?お通じがない・・・。』
さらに食べてみても、変わらない。
夏の終わりには
だんだん気力がなくなって
「医者に行って回復しても、
これ以上生きてる意味、あるんだろうか?」
重い思考ではなかったけど
医療費を負担してまで、
苦痛を味わってまで、
その後を楽しみにはできないようなモード。
これは「がん」由来の無気力だったと
後に判明。
「腸閉塞ですね。
すぐに総合病院へ行ってください。入院になると思います。」
ようやく足を運んだクリニックで
CTスキャンしてもらい、入院の支度。
まさか、
その後「秋の終わりまでの長期戦」になるとは思わず。
1週間程度の荷物だけを用意して
総合病院へ行ってみた。
初めての入院生活と、手術の体験。
そもそも、怖がりで。
”繊細さんな”私は
7週間の間に、
1度の精神的なパニックと
3度の不満爆発を、体験。
50代になった「いい大人」でも、
入院生活となれば
体調不良で思うように動けないことも
プライベートの空間がないこともあって。
他人に対して、あからさまに
感情を吐き出してしまう。
看護師さんたちの状況を見れば
なるべく協力的になろうと我慢して
それでも限界を感じて、
「もう我慢をやめよう」とも思えた。
長いこと単身生活。
入院時も「同居の家族はいない」と手続き。
幸い、
妹が実家の家族代表として
何かと連絡をとり、動いてくれた。
50代になれば、
両親は80代になっていて。
今のところ
自立した生活をしてくれているけど
本来ならこちらが「助ける」側。
そんな状況で、
単身生活を選択したことも
間違っていたんだろうか?と
何度かよぎってみたり。
それでも、
私なりにここまで
「できることは、やってきた。」
これで、
生活できないような体調不良は
12年前の十二指腸潰瘍から、2度目。
40代に反省をしてから
また私は再び
「自分を大切にしない生活」に
結局
戻ってしまっていた、ということ。
頑張ってみたけど。
これはもう、
「社会の仕組みのせい」にしておかないと
自分責めから抜け出せないな、と。
とりあえず思考は
この日本の世の中が、おかしいんだ。
そこにとどまらせておいて、
それでも「動けるようになること」を
最低限の「望むこと」「私にできること」に
設定し直した。
腸閉塞、と言っても
お腹の中の詳細が見えるわけじゃない。
”1週間で退院するつもり”が
1週間で「ようやく原因判明」。
受付終了後にすぐ
鼻から胃へ管を通されてしまい
普通には、動けない。
手術までは絶飲食で
点滴の管がつながっている。
さっきまで「普通の人」だったのに、
一転して
「重症入院患者」の姿へ。
様々な検査の繰り返しの間
内科なのか?外科なのか?
病院側も、特定できない状況に
2パターンの対応を用意してくれていた。
結果、外科の対応に決まる。
開腹手術が伴う、という話にも
苦しさの中
怖がっている場合じゃなくなる。
妊娠出産の経験があれば
覚悟も勇気も、あったのかな〜?
お腹に傷をつけたくないけど
もう他に「助かる」方法はない状況だった。
続く・・・・。
(気まぐれですが、手術入院体験記になります。)