いつでも、流れている「現実」の世界:10
(続き)
実家の部屋は、
昭和の50年を迎える木造住宅で。
居心地良かった
アパートの環境では
「寒くなかった」し
「駅近で便利だった」けど。
夜にはシャッターを下ろしていたし
外出を控えていたこともあって
空を眺める時は、
日中の自転車時間だけ、だった。
療養の期間中、
部屋にいる時間は長いけど。
外出をしない日でも
窓から空を眺められることは
何より嬉しいこと。
夜中に目が覚めて
お手洗いへ行く時にも
月明かりで
夜が晴れて星が見えることも
10年ぶりの体験。
急ぐことがない日々に
風がなくても
ゆっくりゆっくり進む
空の雲たちを眺めていたら、
ああ、そうか。
私の体内の働きも、
(今回は腸の手術だったこともあって)
ゆっくり、ゆっくり
でも確実に
変化しているんだな、と。
早く元に戻りたい、というような
回復を急がないでもいい
「お任せモード」になった。
内側にあるものは
目では、確認できない。
不調や痛みとして感知できて
ようやく知ることができる。
左脳さんは、つい
「もう3ヶ月経過したのに」と
考えがちだけど。
私の身体、
日々見えないところで回復に専念してる❤️
そういう
生命の不思議の体験を、味わっている現在。
考え方次第、なんだな〜と
急がないからこそ、
左脳さんの選択肢に出会うことができる。
今になって、脱毛がひどい・・・。
これを身体の仕組みの
経過として捉えれば、それだけで
なんでか、ここまでの私は
「悲劇のストーリー」を
瞬時に
左脳に展開する習慣があった。
『大変なことになった!』
『この先の私は、どうなってしまうんだろう?』
入院する羽目になった時には
もちろん「未経験」の展開に
同じく不安にもなったものだけど。
体験をしてみたら
「不幸」ばかりでもなかった、と気がついて。
入院している人、
病院通いしている人、全ての人を
勝手に「不幸」なんだと、
私自身が「思い込んでいただけ」の話だった。
もちろん、医者いらずな方がいいし
健康的に生活できることは、素敵だ。
でも、病気によって
気がつかされることも
知らされることも、
人生の見方を変えることにも、つながる。
たまたま、私は
気がつけなかったし、
知らされなかったし
人生の見方を変えられなかった、だけのことだった。
大切な身体を
大変な目に遭わせてでも、
この50代に知っておくべきことは
結構、短期間で知り得たと自負している。
『魂』というものの
影なる仕業だとすれば、
さすが「鬼」だよね、と思うけど。
他の誰かとか、何かの存在ではなく
『私自身』が ”鬼そのもの” で
特別な何かしらの才能がなくても
ちゃんと人生を全うできるように
神さま的、本能と共に
バランスをとりながら
この地上で、なんだかんだ
生きていけるんじゃないのかな?と
50代なりの程よい脱力をしている。
(^^)さて❤️
noteへの投稿も10回を迎えたので♫
この先はあと12回ほどで
長期入院時に気がつけたことを
シェアしていきたい。
ここまでにも
掲載した内容と重複するかも知れないけど
「なんとなく」感じていたことを
文字起こししておきたい。
完了する頃には
宇宙元旦にでもなっているのかな?
(続く)