巡る、流れる。
目が覚めて窓を開けて、最初に朝の空気を吸い込んだ時に胸の奥から広がる焦燥感と不安感がないこと。
(早起きした日の朝の空気はダンナ君の病院受診と検査結果への怖れにリンクしていた。)
そしてそれに対する罪悪感がないこと。
蛙の声や虫の声や、窓から入ってくる夏の匂いをただ純粋に愛おしく思うこと。
鳥達の寝静まった真っ暗な部屋で横になり、満月を見上げながら夜風に吹かれてウトウトするのを楽しむこと。
この季節になると滲み出すように聞こえてくるジーーっという虫の声に耳を澄ますこと。
クビキリギリスというらしいですね。
この虫の声は抗がん剤でやられたダンナ君の耳には届かなくなり、それに気づいた時はとても悲しそうな顔をしたので、それ以降は触れないようにしていた。
色んな事が自分の中で本来の色を取り戻すのと同時に、時間は螺旋状で「去年のこの時期は、、」とふと横を見るような感覚で思い出す。
もうすぐ最後の手術の日だったな。。
その一方で自分の止まっていた流れが動き出したのか、世の中の流れと相まってか、最近「初めまして」の人と出会う機会が急速に増えた。
大半は今後もつながるか分からないようなライトな出会いだけど、医療関係者以外では随分長い間なかったなと思う。
今日こんな人と会って、と話す相手がいないのは相変わらず寂しいんだけど。。
ダンナ君のいた時までと、いなくなってから先の新しい今と。
その明確な境界が淋しくもあり、まだ自分のこれからが続いていく事への有り難さも感じる。
今年は一人で素麺を食べ、スイカを食べ、モスシェイクを買ってきて、高校野球を観る。
…うん、それはそれでよしとしよう。
いいなと思ったら応援しよう!
お読み頂きありがとうございます!