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七夕と未来の話
もうすぐ七夕。
年一日しか逢うことができない悲運な男女がいて、その一日すらも毎年天気に阻まれて危ういのに、皆の願い事まで聞き届けなくてはいけないのは何故なんだろうか。
それ相応の理由があるんだろうけど調べるほどのガッツはない。。
去年の7月7日は、ダンナ君が最後にして最大の開頭手術に挑んだ日。
朝の渋滞を舐めていたせいで手術室への見送りの時間にギリギリになってしまい、苛立ちと焦りに冷や汗をかきながら運転した。
12時間近くかかった手術の後、GICUで術後のダンナ君の様子を見て、術後説明のショックもあり帰り道は泣き続けた。
…そういえば七夕のお願い事の飾り付けとか、目に入ったはずなのに去年は一切記憶がないな、と思ったついでに気づいた事がある。
大した話でもないけど、自分の考え方の癖について。
ダンナ君の病気が発覚したのは入籍から半年、式を挙げて5ヶ月程度しか経っていない頃だった。
新婚旅行にも行っていないし、古くて安くて狭いアパートに住み、片足はまだ実家に突っ込んだままのような状態のダンナ君とまだまだオママゴトのような新婚生活が始まったばかりで、それでもこれから先の長い未来にキラキラした希望と期待を持っていた時だった。
ところがあの日を境に未来は絶望と不安で真っ黒に塗りつぶされ、薄氷の上を歩くような毎日に一変した。
未来への不安に押しつぶされそうになった私は、今までの考え方を改める事にした。
遠い先のことではなくて、少しだけ先の楽しみやウキウキを見つけよう。
明日や明後日に出来ること。
抗癌剤のダメージから体力が回復してきて、次の投与の入院までの2週間の間に出来ること。
さらにもっと先の事を考えるのはいつも怖かった。
いつどうなるか判らない未来なんかアテにできない。
期待を持ったあげく裏切られた時のダメージが怖い。
だからこそ「病気が治ったら」の話をするダンナ君には助けられていたりもした。。
もちろんポジティブでいつづける事を第一にはしていたけど、心の底ではそんな感じだった。
そしてそのまま今でも、未来に期待しない思考パターンのままになっている事に気付いた。
未来は「今」の積み重ねで、今が大事。
それはそうなんだけど、もう少し長いスパンで先の未来に希望とか期待を持ってみてもいいのかもしれない。
今年の七夕はお願い事をしてみようか。
…と思ったけど最初の話に戻って、二人に何か申し訳ないのでやめとこう。。
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