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解放されたいという言葉がこだまする【親と子の話】
何回か母のことを書いたことがあるが何故また書こうと思ったのか。もういい加減解放されたいというフレーズが頭から離れない。
姉が発した言葉が頭をこだまする。
年に2度ほど実家に帰省してくる以外は実家に近寄らない姉。帰省すら義務を果たす為にやってきているような気がしている。
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私たち姉妹ははごく普通の家庭で育ち、普通の町で一軒家に住んでいて小学生の頃は習い事をいくつかしていた。貧乏でも特別お金持ちでもない平凡な家庭だったと思う。
子どもの頃に不満を感じたことは無いし反抗期も無かったのに結婚してから母の存在がストレスで仕方なくて俗に言う過干渉だと気づいたのは三十路になる寸前くらい。
母は子ども依存の過干渉。人の話を最後まで聞けない人で自分のことを責められると激情する。(←姉とのやりとりを見て思った)対話ができない人。毎日メールしてくるし、何時に帰ってくるかとか、どこへ行くかとか全て把握したいタイプ。心配だからと休みの日も全て把握していたい人。(子をもつ親なら普通なのかも)
職場の人に言われて初めて気づく。同僚がもう○歳でしょ⁈お母さん口出ししすぎじゃない?と言ってくれて徐々にもっと自分の自由にして良いんだと気づいた。私の母って過干渉なんだと気づいた。過干渉な母の話は置いておいて、姉と母についてメインで書く。
やっぱり少しだけ書くけど
結婚してからも毎日LINEがくる日々。夜ご飯○○だけど食べにくる?と3日に1回はLINEが来ていた。仕事が忙しくて返信できないと鬼電がかかってくる始末。私結婚したんですけど?
今まで散々相手してあげてたじゃん?
まさか毎日実家に来てほしいのですか?
と新婚の頃に思っておりました。
今は改善されて良い距離感を構築中\(^o^)/
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客観的に説明すると、私は割と単純で鈍感な子どもだった。子離れできていない母にずっとペースを合わせて空気を読んで暮らしていた感じ。当時の自分は嫌じゃなかったしコレが普通だと思っていたのだ。結婚してからも縛られすぎて母に沸々とフラストレーションが溜まるのは秒です。笑笑
姉は高校生くらいの頃から嫌気がさしていたんじゃないかと思う。私と違い反抗期もすごくていつも対立していた。母が私にベッタリになったのも姉は早くから自立していたのが影響するのかも。
姉を見て母が怒らないように立ち回る術を学ぶから私が母と対立することは無かった。母にとって私は全て自分の思い通りだ。気に入らないことは言わない。否定もしてこない良い子どもだ。
私が姉から母をとってしまっていた可能性もある。
(大人になって気づいたこと)
とにかく母は私に依存していた。
(今だから分かること)
子どもが巣立ったら気軽に連絡することも許されないのだろうか。姉は母からの連絡すらストレスになっている。実家からは離れて暮らしているから物理的にほいほい自宅は来られたりする事は無い。それだけは姉にとって救い。
円満な家庭であれば連絡したり世間話をしたりくらいしてあげれば良いんじゃないかと思うがそれすら許されないのが私の母なのだ。
解放されたいと思っている姉
私にはどうすることもできないし仲介できる気もしない。それに姉が望んでいないのに大きなお世話だ。
もしかすると私が知らないだけで姉は嫌な思いをたくさんしてきたのかもしれない。解放されたいという言葉が出てきたあたり一切関係を断ちたいようにも感じる。
それでも年に2回は今のところ帰省してきてくれるのだからありがたいじゃないか。それ以上を親が求めるのは贅沢なんだろうか。夜ご飯を誘うのも許されないのだろうか。(母は定期的に姉の住んでいる土地に行きたがる)
私は高卒で姉は大卒。家計が1番苦しい時期になんの躊躇もなく大学へ行った姉。あたりまえだと今でも思っているんだろうな。私は大学へ行くとは言えずなんとなく空気を読んで就職した。ちなみに自分が決めた道だから後悔はしていない。
虐待もないし、食べさせてもらえるくらいにお金にも困っていない家庭で立派に大人に育ててもらい、それでも姉が母の存在が疎ましいのは心に傷が残っているのかもしれないと思うようになった。
私も一時期、母が重たすぎて仕事でいっぱいいっぱいなのに母の相手をするのがきつい時があった。本当にしばらくシャットアウトしようか悩むほど精神的にショートしていた。余裕がないのに追い打ちをかけるように母が子離れしない。(仕事・不妊治療・母をこなすキャパがなかった)
だけどちゃんと愛はあったと感じるし育ててもらった恩もあるから完全に切り捨てることはできなかった。
姉は大人になり自分の家庭をもったんだから良い加減に解放してくれと言う。
(私との会話の中で)
母が姉の言葉に耳を傾けていたら違ったのかもしれない。私は姉を見て育ち母と対立しない立ち回りだから言い争うことは無い。でも姉は違う。母に対してたくさん指摘していた。
(子どものころの曖昧な記憶)
姉が母に指摘すると必ずと言って良いほど逆上する母。ちゃんと話合わないのだ。受け身ができないのだ。そして必ず自分の非を認めない。
例えば姉が里帰り出産してきた時のこと。
こんなに無駄遣いしてくれなくて良いから自分たちの老後に備えてほしい。家にも仕送りとかしてくれなくて良いと姉が言う。母はこんなに姉のためにやっているのに何故文句言われなきゃいけないのかと激怒していた過去がある。母がキレて終了。
姉の言い方もあるのかもしれないが両者ともお互いを思ってのことなのにもったいない。
(私は後日バトったことを母と姉から別々に聞いた)
母はやってあげてるのに何で文句言われなきゃいけないんだというスタンス。でも姉は困っていないから買ってくれなくて良いよ。(むしろ物が多くて困るからモノを送らないでくれ)遠回しに要らないと伝えている。
いくら子どもでも意思はある。ちゃんと最後まで話を聞いてあげて受け止めれば良かったんじゃないかな。でも今となってはもう遅い。
私は理由なくして嫌われないという考えがあるため母の場合は因果応報なのだと思っている。家族としては少し寂しいけれど仕方ないよね。
親子なのにバラバラになっていくのかな。
だんだん集まらなくなっていくのかな。
親子だけど子どもは親の所有物じゃない。
大人になると考え方や生き方も違う。
価値観も真逆になることだってある。
子どもの頃は家に帰るしかない。か弱い小動物みたいなもので帰らなければ生きていけない。家庭が全てだからそこで生きていくしかなかった。
お姉ちゃんはずっと我慢していたのかな。
大人になるのを待ち望んでいたのかな。
小さい頃から母のことを疎んでいたのかな。
大人になったら親とは縁を切るのも至って普通のことなのかもしれないと思った今日この頃です。
家族のかたちって難しい。
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何となく姉の言葉がこだましていたので私の気持ちとか昔の回想を残しておきたくて書いてみました。