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愛は、マシュマロと豆乳と、コーヒーの味がした

 今年30歳を迎える楓は、毎年、誕生日が近づいてくると、決まって思い出してしまう言葉がある。

 もうずっと昔、当時通っていた大学のゼミの先生は、気まぐれで、怖くて、自由で、優しい笑顔の人だった。先生は毎日、朝早くから実験圃場で植物の管理に没頭していて、必ず定時きっかりに帰って行く。自然と、学生たちが先生と話すのは、週に一度、研究手順の相談のみになっていた。だから、先生の退職祝いの席で初めて先生の隣に座ったときは、酷く緊張した。

「先生は、何になさいますか」

 注文を聞く以外に話題が見つからない私の顔を見て、先生は微笑んだ。

「君と同じものを」

 私と先生は、カルーアミルクで乾杯した。乾杯した時、先生ともう一度目が合った。そして言われた。

「この年になると、目を見ればその人の人生が少しばかり分かるようになる」と。

 先生は私に向かって続けた。

「君は、人を心から愛せる人だ。感謝もできるね。だからいつか、同じように、誰かに愛される人になれるといいね。」

 脳みそだけじゃなく、私の体の全ての内臓が激しく納得したのを覚えている。当時の私は、友達や彼氏に嫌われない努力だけは惜しまない人間だった。相手の好きなものを覚えて、自分なりに調べて、話題にする。相手が好きなもの、綺麗だと思うもの、面白いと思うもの、とにかく全てに共感しようと努めた。次第に、自分の好きなものを相手に伝えるタイミングが分からなくなっていった。与える「共感」と受け取る「共感」は、もう長いこと釣り合いが取れていなかった。私にとって「共感」とは搾取されるものだった。

「どうしたら、愛されるようになれますか。」

 極めて無意識に質問していた。正直な話、愛に飢えていた。先生は、少し考え込んで、カルーアミルクを一口飲んだ。そして、こう教えてくれた。

「例えばだね、愛されたくても、コーヒー豆は挽かなくていい。」

 私が意味が分からずにいると、微笑んで続けた。

「君はいつも、研究室でコーヒーは飲まないね。アールグレイの紅茶を飲んでいる。あの紅茶の香りは、私も好きだよ。」

  先生は、私のカルーアミルクを指差してさらに話を進めた。

「君の愛した人が、コーヒーをこよなく愛していたからといって、君はわざわざコーヒー豆を挽いて彼に渡すことは無いんだ。」

分かったような、分からなかったような。私も先生と一緒に、カルーアミルクを一口飲む。ブラックコーヒーは飲めないけれど、ミルクコーヒーは意外と好きだ。先生はまた私に微笑んだ。

「君は紅茶を淹れるときだけ、こだわれば良いんだよ。コーヒーはインスタントで構わない。ミルクとお砂糖も好きなだけ入れればいい。君が作ったインスタントのミルクコーヒーを、コーヒー好きの彼が『一口ちょうだい』と言ってきたとき、君はきっと愛されているのだと思うよ。」


カチッ。ポットのお湯が沸いたので立ち上がる。マグカップを二つ用意して、インスタントコーヒーにお湯を注ぐと、粉がぷくぷくと泡を出して溶けていく。コーヒーの香りが部屋にふわっと広がった。豆乳をたっぷり入れて、マシュマロを二つずつ入れる。最近のお気に入りの飲み方だ。

「コーヒー淹れたよ。」

明日で私は30歳。今も、愛を語れるほどじゃない。でも、あなたと飲むこのコーヒーは、甘くて優しくて、ずっと飲んでいたい味がする。

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