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ひねくれ脳との付き合い方

# 描ける壁と繋がりたい

これは一時期、気に入ってSNSで使っていたハッシュタグ。自分はひねくれ者なので『〇〇と繋がりたい』というハッシュタグを見ると心の中でケッと思ってしまう。
ケッ とはなかなかシンプルに心情を表している。別に繋がらなくても良い、ただ好きな人に見てもらえたらば嬉しいな、と思う。
それで何かを感じてコメントなど、わざわざ知らない自分宛に残してくれるのもとても嬉しい。知らない誰かからの言葉に励まされる。ひねくれてはいるが交流を拒絶してるわけではない。

壁面アート制作風景

繋がるだけ繋がっておいて特に興味もなさそうならば別に繋がらなくてもいいんだよぅ〜となんだか惨めな気持ちになる。飲み会でノリで連絡先やラインを交換してその後一切連絡しない間柄に似ている。
ただ、現実だとその後ばったり遭遇したりするし、何かのきっかけで交流が生まれることがなくもない。そんな気持ちで聞かれたら連絡先を教えてしまう。
スマホの電話帳にはよく知らない顔も思い出せない名前が並んでいる。数年ぶりに連絡が来ることも稀にあるので基本整理などはしない。
何かあるかも…と思うが大抵は何もないのが現実なのだが心配性なので…あと勢いよく消した後に連絡が来てしまい(…誰!?)と困惑するのもとても嫌。

我ながら自分がめんどくさい。
ひねくれてるので友達も少ない、が長年接客業で鍛えた愛嬌で飲み会でさほど絡んでない人と連絡先を交換してしまう。知り合いはそれなりにいるが今は腹割って話せる信頼できる友人が数人そばにいてくれたらそれで良い気がしている。
こんな性格なのでむやみやたらと繋がりたがる『〇〇と繋がりたい』に唾を吐くような気分だったのだが『アートが好きな人と繋がりたい』みたいな人に限定しなければいいことに気づいた。
私が繋がりたいのは人じゃない、描く対象の方だ。
いや、実際は『描ける壁(を所有してる人)と繋がりたい』ということなのですが。壁さんは自ら私に描いていいよ〜!と出向いてはくれない。
どこまでひねくれてるのだろうか…と頭の上でもうひとりの自分があきれている。
これからも自分のひねくれに付き合っていかなきゃいけないと思うと、もう少し素直になれよ!とも感じる。

そんな私に朗報である。
久々に描ける壁(を所有してる人)と繋がった。まだ実現するか怪しいがうまくいけばとてもよいかたちでまとまりそうなのでウキウキしている。

ウキウキワクワクルンルン。
ウキワクル〜ン!

今までSNSに自分の作品や趣味の絵を投稿してきた。知らない方々の温かいコメントに折れそうな気持ちがなんとかポッキリせずに持ち堪えたことも多い。
最近はあまりないが少し前は海外の方から『あなたの作品は最高だ!』みたいな内容を英文でもらうこともあり(あぁ、言葉なんて要らなくて絵で伝えられることが少しでも私にもできたのか)と、いちいち感動していた。
ひねくれてるが人の言葉はすぐに真にうける性分である。でも、自分が嬉しいことはまた別な誰かにお返ししていきたいのでSNSなどでは勇気を出して知らない人に話しかけることもある。
人見知りだけど話しかけてもらえるととても喜ぶ。
常々、人は矛盾してる生き物だなぁと思う。

自分に何ができるかは考えてもあまり意味がない。やって出して人に見てもらうことに意味がある。
結果が良くても悪くても、やったことは無駄にならない。それに自分が知らない誰かが必ず見てくれてる。評価はいちばん良いタイミングで訪れると信じている。

誠実であれ。
酒ばっかり飲もうとするなよ自分!

今、何かにくすぶってるだれかに。ちゃんと見てくれてる人が必ずいるよ!と伝えたい。
自分の何かを晒し出すことはなかなか勇気がいるが、自分が差し出したものに見合う『なにか』は必ず訪れる。
信じてるだけではダメだけどタイミングもあるから動けない時は無理しなくていいよ、動ける時はめちゃくちゃに頑張れ!自分!と思っている。そして勝ち取っていければそれで良い。

世代ごとにSNSの使い方って違うのだろうけど数を増やしてライトな交流を楽しむことがそもそもちょっと苦手だなぁと思う。
X(Twitter)もインスタもやってはいるが、長文を書くのを勝手にためらっている。長文書いてるとうざっ!って空気感があるのかなぁと流石に鈍感な自分も気づいてきた。
そんなこんなでnoteにアレコレを綴る気持ちになったのだけど、これが案外自分に合ってるようだ。

拙い文ですが今回も読んでくれてありがとうございました!

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