続『男もフェミニズムに出会えば生きやすくなるんだろうか会議』を聞いて
前回、『男もフェミニズムに出会えば生きやすくなるんだろうか会議』を聞いて、の話を書いたのだけど、
昨日好きな子から(好きな子と書きながら最近夫になったのですが…。まだ全然言い慣れない)、
「あなたの参加した会は、当事者の男性を消費しているんじゃないの?」
というお言葉をいただいた。
うーんそうか、なるほど。
確かに当事者のフェミニストではない男性をステージに上げて、討論する場は見たことがない。
川の向こうからやいのやいの言っている感は否めないかもしれない。
それこそ、動物園みたいな。
そして、言われてぎくっとなったけど、確かに消費している感は私にはあった。
それは私が癖として、自分の絶対に正しいものを正義として振りかざすところがあるから。
何もしない、気付かない、気を遣わない男性を相手に、正論を掲げてバカにしているところがあったと思う。
少ししゅんとなる。それは私が気持ちよくなっているだけだ。
それとは別の視点でそういった男性に興味があるのはなぜかと考える。
例えば、仕事で出会った20代の若い女の子相手に「えっちしよ〜よ」と送る40代男性。
その心理がどこから来ているのか知りたい。
過去、どういうコミュニティに属していたのか?
思春期はどう過ごした?
家族関係は?
原因となる因子を見つけて納得したいのかもしれない。
納得して理解したいのかもしれない。
そうしないと、怖くて近づけないから。
ただただ攻撃する対象に見えてしまうから。
「そういうことだったのかぁ!」がわかれば、次のアプローチができる。
フェミニストではない人は、時代が変わって生きづらいかもしれないけど、
対等に生きることをこちらは望んでいる。
理解はできなくても、お互いの希望を知り合うところはできるかもしれない。
私と好きな子は2年間遠恋をして、どこで一緒に住むかを9ヶ月ほどかけて話し合ったけど、
「俺は今、こう思ってる」
「私はこう思ってる」
「オッケー、今はお互いそこね」
と今日は決着がつかないとわかると、それぞれの立ち位置を確認してその日の話し合いを終えていた。
それまで何十年とそれで生きてきたら、そう簡単には変わらないしわからない。
だけど一歩ずつ歩み寄って行けたら良い。
そのための、理解を深めたいんだなと思う。
わかってもらえなくて悔しいんだなぁ。
悔しくて、悲しくて、私もそれが怒りになっているんだ。
そして好きな子の話を聞いていくと、
「”男は”って主語が大きいのが嫌だ」
とのことだった。
そりゃそうだ、自分も巻き込まれてると思ったら良い気はしない。
これも主語が違うんだと思う。
杉田水脈氏のように、女性でも女性を卑下している人はいる。
”対等に関わりたい人”と”関わりたくない人”とか
”気遣いのできる人”と”できない人”とか、
性別関係なく分けるのはどうだろう?
この間、痴漢に対しての構図は、
「”アクティブバイスタンダー(善良な市民)”vs”性犯罪者”だ」
という文章を読んで目から鱗だったことと被る。
主語を正しく持ちたい。