『消費している』って?
圧倒的にアウトプットが足りない!!!!
と思ったので、ひっそりとnote.を始めることにしました。
日々思ったこと、感じたことをできるだけ言語化したい。
ニュースやtwitterをよくシェアRTするけど、
それをなぜ良いと思ったのか、深く言語化せずに流している。
身に付けたいことはあるけど、あれこれ手を出しては忘れていく。
車を運転しながら、あれもやってない、これもやりっぱなし…と思ったところで気がついた。
これがもしや”消費”では??
この間、”つわのホイスコーレ”(よかったら検索してね、note.もしてます!)に来てくれたゲストの子たちと話してた時に、一人の子から、
「”消費している”感覚が辛い」
という話が出た。
私はあまり消費しているという感覚はピンとこなくて、みんなで”消費している”というワードの解像度を上げていったんだけど、
その時の解釈は、『誠実ではないこと・暇潰し』という結論になった。
イメージは、
「なんかLGBTQとか大変そうだよね〜わかってあげたいけど〜、あッこのジェラート美味しい〜そういえばこないだ言ってた彼どうなった??」
みたいな。
(完全なるイメージなのですまん、実例はない)
話題のドラマやネイルや韓流アイドルや新発売のコンビニスイーツなんかと一緒で、その時一瞬楽しいだけ。
だけど、本当は、
それらを熱量込めて作っている人や、それらに心底気持ちを注いでいる人がいるんだよね。
それらを「消費するな!!」とは言わない。
だってそれでお金稼いでるんだから!むしろ消費しないとその人たちは生きていけない。
そうじゃなくて、文化やセクシャリティに関するものについては、ただただ消費するだけにしてはいけないなぁって思った。
想いを馳せるとか、知識として深めるとか、
軽々しく扱わないように…って書いている今が軽いなぁ。
向き合うってどうしていったら正解なんだろうね?
日々修行です。