「部屋の乱れは心の乱れ、と言いますが」
皆さんの部屋は、いつも綺麗な状態に保たれているだろうか。
我が家(と言っても一人暮らしだが)では、部屋を綺麗な状態に保つため、1カ月ほど前からロボット掃除機を導入した。
「クイックルワイパーで十分じゃないか。」
とお思いになる方もいらっしゃるだろう。実際、私も一人暮らしにロボット掃除機はいらないと考えてた。ただ、タイムセールで安くなっているのを見て衝動買い。結果は大満足だ。
※ちなみに購入したのは「Anker Eufy RoboVac G30 Edge」という機種である。
もし部屋の掃除に少しでも苦痛を感じていらっしゃるのならば、自分に合ったロボット掃除機のご購入を強くお勧めする。
さて、今回はそうした掃除の話も含めて、部屋が綺麗だと自分の心も整っていく、といった感じの話を書いていこうと思う。
カルピスが固形化した
私は元来、部屋の掃除が苦手な人間で、小学校の頃から
・読んだ本、漫画はそのまま出しっぱなし
・学校でもらってきたプリントが床と机の上に散乱している
・飲みかけのペットボトルがそこかしこにある
といったような生活を続けてきた。
中学生になった頃、引っ越しにより自分の部屋が与えられた。それにより、部屋の不潔化は更に進行。
けれど、そうした「汚部屋」状態が私にとっては心地良いものだった。
最小限の動きで、自分の取りたいものが取れる(主に漫画とジュースだが)。それは、中学生の頃の私にとって、部屋が綺麗なことよりも優先されべき状態だったからだ。
ただ、そうした状態の部屋での生活には、当然デメリットも存在する。
まず、単純に体調が優れないのだ。原因は臭いとホコリ、そしてカビだろう。モノが散乱した私の部屋は、掃除機一つかけることもできない状態だった。たまに母親が大掃除をしてくれて、畳が見えることもあったが、その状態も一週間と保てなかった。
また、畳にこぼした飲み物をそのままにしたり、1カ月前に飲んだジュースを放置してたりもしていた。自分でも驚いたのは、飲みかけのペットボトルを倒して「やばい」と思ったら、中身はあるのに何も出てこなかったときだ。恐る恐るペットボトルの中身を見てみると、中のカルピスが更に白くなると同時に、完全に固まっていた。
この話を「すごい発見だ」と言って友人に話してしまった、過去の自分を止めてあげたい。それは、自分で自分のことを不潔な部屋に住む不潔な人間だと言っているようなものだよ、と。
悪癖の影響は今もなお
部屋が汚いことが、自分だけに悪影響を与えていたのならば、まだよかったのかもしれない。けれど、「汚部屋」の悪影響は私の家族や友人にも及んでいた。
例えば、私は毎週配られる授業日程表を頻繁に無くしていた。どうしても見つからない場合は、友達に連絡して教えてもらう。しかし、無くして教えてもらった回数は一度や二度では済まず、友人には本当に迷惑をかけてしまったと反省している。
また私自身も、見栄っ張りな性格が原因して人にものを尋ねるのが苦手だった。そのため、連絡するたびに母親に泣きごとを言うくらいには苦しむこととなる。
けれど、毎日をその場の快楽に従って生きていた私は、「ものを無くしたら嫌な思いをするし、させる。だから部屋を片付けて、プリントを整理しよう。」なんて考えには至らなかった。
その場の快楽を優先し、先のことを考えない。
こうした中学生くらいの頃の私の性質と、それに伴う行動の悪影響は、就職した現在まで尾を引いている。
テスト勉強と掃除
私の人生の最悪期(と同時に部屋が最も汚かった時期)を中学時代とするならば、それを少しずつ変えていった高校時代は、私にとっての変革期にあたる。
この頃から、私は少しずつ部屋の掃除をするようになっていった。
そのきっかけはテスト勉強である。
テスト期間になると、無性に部屋の掃除をしたくなった経験はないでしょうか。
心理学でいうところの「先延ばし行動」と呼ばれるこの行為を、高校時代の私は定期テストごとに行ってきた。あまり良い意味で用いられることが少ない「先延ばし行動」であるが、汚部屋の主である私にとってはプラスに働くこととなる。
「先延ばし行動」による掃除がもたらした良い効果の一つ目が、部屋を掃除することの達成感を実感できたことだ。いくら部屋が汚いと言っても、テスト勉強よりは、部屋の掃除の方が楽、かつ簡単である。そして、もとが汚かった分、綺麗になったときの感動はひとしおだった。この時の掃除の簡便さと、それによってもたらされた感動が、私を徐々に部屋を綺麗にする人間へと導いていくこととなる。
もう一つの良い効果が、やることがなくなって勉強し始めたことである。部屋を掃除することによって、すぐ手の届くところに漫画やゲームがなくなったし、漫画を取ろうにもせっかく整理した本棚がまたぐちゃぐちゃになると思うと、あまり手が伸びなかった。お菓子もジュースも自分の部屋から撤去したので、パソコンをするにも口寂しい気分だった。
その結果、当初の目的に立ち返り、勉強をするようになった。綺麗な机でする勉強は思っていたよりも楽しくて、この頃から私のテスト勉強と掃除はセットになっていった。
部屋の綺麗さ=自分の精神状態
高校生の頃から、綺麗な部屋が私にとっての基本となる。けれど、気が付くと部屋が汚くなっている時折あった。「なぜだろう?」と思い、自分の過去を思い返していると、部屋の綺麗さと自分の精神状態の良し悪しが連動していることに気が付いた。
例えば、部活の大会が近くなり落ち着かないときは、どうにか心を落ち着けようと娯楽に手を出す。一時的には緊張は忘れられるけれど、緊張の根本が解消したわけではないので、当然直ぐに心は落ち着かなくなる。そして、部屋を片付ける余裕もなく、ベッドの上で苦しみ続けるのだ。
そして朝起きると、いつの間にか部屋が散らかっていることに気が付く。なんだかしっくりこないと思いながらも、「逃避行動」である掃除にすら手が伸びず、そのまま…
といった感じで、余裕がないことと部屋が汚いことが、私にとっての悪循環を呼ぶのだ。実際、緊張の根本原因に片が付くと、直ぐに部屋の掃除がしたくなって、また綺麗な部屋に戻る。
つまり、過剰なストレスが私の心と部屋を乱すのである。
ただし、最近は自分のことを少しだけではあるが客観視できるようになってきた影響から、多少なりともストレスに対処できるようになってきている。例えば、「ああ、今部屋が汚くて心に悪影響与えているな」だったり、「○○のストレスで部屋が汚くなってきた」といったように、自分の部屋の状況を自分のキャパシティを測ることに用いれるようになったのだ。
自分だけの部屋
ここまでの部屋の話は、私が実家にいた頃のものであるが、現在の私は就職に伴って一人暮らしを始めている。実家にいた時は、時折両親が部屋に入ってくることがあったため、いつ見られても良いようにする見栄が働いていてた。なお、余談ではあるが、私は友人は少ない&部屋に入れない。そのため、友人に対する見栄は部屋の清潔さに限っては発動していないと思われる。
一人暮らしになると、見栄がなくなって部屋が汚くなってしまうのではないかと心配していた。けれど、そんなことは全くなく、むしろ自分で全部管理できるようになったことで、以前よりも掃除の頻度は増加したように感じる。
それは、自分自身に対する見栄が発揮されているからだと思う。社会人として立派な人間でありたい、そのために自己管理くらいできなくては、といった思考が私の中で無意識に働いているのだろう。
ここで、「でなくてはならない」「するべきだ」といった思考が良いか悪いかの判断はとりあえず保留としておく。なぜなら、現状の私にとってはこの思考が役に立っているのであり、その良し悪しの判断は悪影響が生じ始めてからでも遅くないと考えるからだ。
おわりに
部屋の乱れは心の乱れと言うが、この言葉は自分にとってあながち間違っていないのだと、過去の経験と日々の生活の中から感じている。当然、人によるとは思うが、もし気分が晴れないという方は、まずは部屋の掃除から始めてみてはいかがだろうか。
もし部屋の掃除を始める気にすらならない、という方がいらっしゃれば、それは過去の私のように、ストレスが自分のキャパシティを超過しているのかもしれない。そんな時は、時間が経つのを待つのも1つの手である。無理に全部を一気に片付けてしまおうとせず、そのストレスを何とか乗り切ってから行動を起こすのでも遅くないだろう。
部屋と心、どちらかの乱れを正し、皆さんが楽しく健康な毎日を送れますように。
以上、コトレでした。