細川忠興を星詠み
このブログはゲーム『刀剣乱舞』のお話を西洋占星術と絡めて考察する内容となります。
『刀剣乱舞』をご存知であるとより楽しめます。
歴史は好きですが、語れる程の知識は無いですが触れては行きます!
西洋占星術を自分なりの都合で解釈して書いています。
西洋占星術で考えているので複数の星座が出てきます。
占星術は10個の天体と12の星座(サイン)等を占星術図(チャート)で読んで……うんたらかんたら〜…………..とうんちくより、分かりやすくお届けしたいので独自の表現でお届けします。得意な人はご自身でチャートを読んで楽しんで下さいね!
刀剣乱舞とゆるく占いと歴史が好きな方向けです〜
それでは、はじめようか
刀剣乱舞はチュートリアルの際に五振りの刀から一振りの刀を選ぶところから始まります。その五振りは初期刀や最初の五振り等と呼ばれている刀で、プレイヤーは審神者(さにわ)として一番最初に手に入れる刀となります。
その初期刀ですが、私が選んだ一振りは『歌仙兼定』です。
その『歌仙兼定』のモデルとなった刀を愛刀としていたと言われる人物が『細川忠興』です。
今回はこの『細川忠興』の星詠みをしてどんな人物だったのかと、想いを馳せたいと思います。
細川忠興
永禄6年11月13日 (西暦1563年11月28日)
京都府生まれ
忠興さんは射手座の情熱の男です。
よくお聞きするエピソードでは烈火のような内容が多いですが、
そんなエピソードを幾つか拾って占星術的に人物の考察をして参ります。
忠興さんの生きる「戦国時代」は占星術で時代を見る大きな惑星、3つが柔軟宮にあります。そして「双子座」「射手座」「魚座」の星座(サイン)にそれぞれ入っています。
この柔軟宮の星座(サイン)の共通の特徴が字の如く柔軟性が高く、季節の移り変わりの時期の星座であり、物事の変化が多くなることも表します。
忠興さんの生きていた「戦国時代」は戦乱が多く、様々なことの移り変わりが激しい時代だったことが占星術からも感じ取ることができます。
忠興さん自身も柔軟宮である射手座の男として時代の移り変わりに対応しながら生きていきます。
お父さんは細川藤孝(幽斎)。武将でもあり、歌人でもある文化人です。忠興さんが生まれた時は室町幕府13代将軍 足利義輝に仕えて居ました。忠興さんは義輝の命令で奥州家・細川輝経の養子となりますが、その後もお父さんの藤孝さんと行動を共にします。
15歳の紀州征伐で初陣。その翌年に元服&細川ガラシャと結婚。
細川ガラシャは明智光秀の三女珠子。これは織田信長の主命婚とされています。
その後、織田信長と一緒に仕えていた明智光秀が本能寺の変を起こした後、光秀と袂を分かち、嫁である珠子さんを幽閉。
その後、羽柴秀吉に誼を通じます。
豊臣秀吉が亡くなった後、石田三成と対立する事となり、徳川家康に誼を通じます。
その石田三成ですが珠子さんを人質にしようとするも、珠子さんは人質を拒みます。珠子さんは介錯を選択、引き受けた家老が珠子さんの介錯を行い、遺体が残らぬように屋敷に爆薬を仕掛け火を放つとともに自刃します。
忠興さんはこの事件で、珠子さんの護衛であり生き残った稲富祐直を討伐しようをしますが家康の家来になってしまい断念。同じくこの事件絡みで嫡男の忠隆を廃嫡。
関ヶ原の合戦の際は石田三成の本体と戦闘となり、首級を136あげたとされます。
大坂夏の陣にも参加して、戦後は隠居。
享年は83歳
信長、秀吉、家康に仕える
キャリアチェンジが上手というか世渡り上手というか。
忠興さんには獅子座と山羊座に学習ポイントやチャンスポイントがあります。
獅子座も山羊座もそれぞれMy王国を築き上げる人々。
獅子座は「我が在ること」「民を照らす存在」であることで王国を築き、
山羊座は「揺るぎのない崇高な王国を築く為」に己を力を使います。
忠興さんは自分の「活きる場所」で生きていくうちに自然と権力を握る人物へのお仕え人としてキャリアチェンジになったと思います。
天下人の方がある意味、王国を納めるポジションではあると思うのですが忠興さんは文化人ですから、物事をよく知り詳しく、情報戦に長け、実務能力が高いこと、そしてその能力をフルで活かせる人は天下人でも足軽でもない、武将という中間管理職ポジションが活きる場所になるのだと思います。
天下人にお仕えする武将はとてもシビアだったと思います。
前線に出て指揮を取り勝たねばなりませんし、天下人を支え、天下人がそれに値する人物であるのか等、様々な選択を迫られる状況で命懸けだったと思います。
その為なら、身内や家族にも厳しさを強いていくことも当たり前。
それも、忠興さん本人からすると自分を含めた、家族や家系全体を守る為にしている思惑があってこそですが、厳しさを向けられる方からすると大変だったと思います。
この厳しさと合わせて語られるのが「気が短い」部分だと思います。
部下を手打ちにしたり、珠子さんが好き過ぎるが故に辛く当たる事等、エピソードは盛りだくさんです。
忠興さんは火星が牡羊座にあります。
火星は占星術では「火」「勝負事」「危険」「怒り」「情熱」「動く」等、行動する際に使われる力点ポイント。
牡羊座は「自分自身」「瞬間」「怒り」「勝負」「戦」「パワー」「賭け」「切る」「火」「炎上」「熱」「純粋」等を扱ったりします。火星は牡羊座が慣れ親しんだ場所になるので、その意味合いは濃くなります。
単純に「火」は灯火となり、暖がとれ、食べ物を食べやすくして、殺菌にもなります。そして、人が文明を持つきっかけにもなりました。
そう思うと、火を扱うことと「怒り」の扱い方は人間に成長をもたらしてくれます。
忠興さんは晩年は丸くなったみたいで、その力の使い方を上手くマスターしたのかもしれません。
それも長生きだった理由の一つになり得たと思います。
有名な珠子さん(細川ガラシャ)との夫婦仲
珠子さんは永禄6年(西暦1563年)生まれ。
月日は不明です。忠興さんと同い年。
これは、忠興さんの占星術を読んでみた私の推測です。
珠子さんは牡羊座、蠍座にご縁があった方なんじゃないかなぁと思っています。
珠子さんは忠興と同じく気位が高く激しい性格と言われていました。
キリストの教えを知ってからは謙虚で忍耐強く穏やかになったみたいですが、忠興さんに反対されてもやめなかった事や最後の亡くなり方を考えると根本の気位の高さは消えていません。むしろ、キリスト教の教えで心を落ち着かせた分、より崇高になったとも思えます。
忠興さんは家臣の手打ちをした際に刀に付いた血を珠子さんの着物で拭ったり、5人の側室をもつと言い出したりして辛く当たってくるのですが、こういうのに対して受けて立つ星座は牡羊座と蠍座かな?と思います。
個人的には受けて立つのがポイントです。
忠興さんの愛情は大変不器用ですが、それをそのまま真っ直ぐに受けるのは牡羊座だったり、毒をも制する蠍座だったりすると受けて立とうとします。
牡羊座は負けず嫌いな部分もあるし、蠍座の執念深さは12星座一。
忠興さんもそんな珠子さんであったからこそ、好きだったし、嫌がらせみたいな好意をけしかけてきたのだろうし、囲っておきたい存在になります。
忠興さんの占星術図(チャート)を見ると月のごく近くにジュノーという小惑星があります。ジュノーはパートナーや婚姻相手との構築の仕方の学びや影響ポイントだったりするのですが、それが奥方を表す月と重なる(程に近い)状態なので、本当に珠子さんとの縁が深くなると思いましたし、離れられない関係となるかもと思いました。
※月は出生時間が分からないと大幅にポジションが移動するのですがゆるくコンジャクションと見做します。ちょっと専門的ですみません。
文化人として
忠興さんは実はオタクだったのではないかなと思います。
推し活ポイントが蠍座の部屋にいます。
そして、射手座の情熱の男!!
好きなことを情熱的に深掘りしてとことん浸かりたい、いや、溺れたい。
私もオタクなのでわかります…
忠興さんは茶道オタク。
千利休に師事して、利休さんからもお気に入りとされていた人です。
同じく利休さんの弟子である古田織部さんも茶道で有名な人ですが、織部さんはクリエーターになった人で、忠興さんは推し活の人。
織部さんは利休の教えを自分なりにアレンジをして新しい価値を発展させていきました。忠興さんはどちらかというと掘り下げ方で研究をしていくタイプだったのではないでしょうか?ものすごく調べ上げたことを丁寧に再現して行くイメージ。
射手座は深い学びを司る星座ですので正にですし、やればやるほど忠興さんご本人も楽しい学びだったと思います。
当時は和歌、能楽、海外、茶道などを学ぶことが武士の嗜みで、これらを嗜む場こそが情報収集の場でもあり、その当時の情勢を知る機会だったので、一流であったこの二人の武将は情報通でもあったと思います。
(なんとなくですが、織部さんからは天秤座や水瓶座の風味がします。元々あるものをより良くしたいorチェンジUPしたいタイプ)
オタクであると推しについて色々知りたくなる時があります。
そうすると、本来の推しから外れてそうなことでも情報収集したり、色々集めたりしたくなります。そうしていく事が、更にいろんな学びを得て極めていき、文化人と呼ばれるレベルになったりするのだと思います。
忠興さんは何気に健康オタクの面もあり、家康の調剤させた漢方薬を作り方付きで入手してはかかりつけ医に作ってもらったり、息子に偏食は良くないとか、同じものばかり食べるなとか注意したりしてます。より良い生活を考える山羊座と乙女座のご縁を感じます。健康こそ手堅く活きる方法ですし、山羊座、乙女座には健康オタクが割と存在していると思う。
風流を愛する
たくさんの合戦に従軍していた忠興さんは武具にもこだわりがありました。
甲冑も有名ですが、やはりここで取り上げたいものは打刀の拵です。
肥後拵は忠興さんが修めていた刀法に適するように工夫されており、刀身と柄を短めに仕立て、片手での「抜き打ち」を志向をしている実用性があります。鞘や金具の装飾に茶道の侘び寂びの感覚を取り入れたデザインが特徴です。
剣術においての「抜き打ち」とは刀を抜くと同時に斬りつけることですが、それを片手で行う=最短動作で切り掛かるということなのかな?と思うと火星牡羊座っぽい感じがします。瞬間で勝負を決めたい牡羊座。
それに合わせて、実用的、使い勝手が良いように作り上げることは山羊座の得意分野でもあります。もちろん山羊座にチャンスポイントを持っている忠興さんなら実用的であることは外せません。
また、大好きな茶道から侘び寂びの感覚を取り入れることは茶道オタクであればこそです。
侘び寂びを調べると「侘び」は飾らない、あるがままの状態を楽しむ事。
「寂び」は時間の経過とともに変化が織りなす様子の美しさ。
故に、経年劣化で古くなっていく事などを悲観的に捉えるのではなく、楽しむ心を持ってその時々のあるがままの様子を愛でなさい〜ってことと理解しているのですが、
これって、それなりに心の余裕と文化的教養がないと楽しめないと思うのです。
忠興さんは射手座の情熱的な男と最初からお伝えしていますが、射手座にはそういう部分があると思います。
射手座は野生と知性を兼ね備えていて、野生の部分としては鬼のように攻めていくこともあるし、気が乗らない状態であれば何もしないこともあります。知性の部分では知りたいことを素直に追求してとことん楽しんでいきます。そうして赴くままに過ごしていくうちに広い意味で生き方について学んでいきますし、それを他者に教え広める事となります。
気性が荒く気が短いと言われる忠興さんですが、それは常に気を張った状態でいなくてはならなかったからだと推測します。
仕えていた人が同僚の謀反によって亡くなったり、戦で勝ちを得なくてはいけなかったり、誰にお仕えする事が得策なのかを考えたり、周辺の人間関係を把握したり、本当は奥さんと仲良くしたかったり、そんな奥さんは壮絶な状態で先立たれたり……
そんな状態だけど、武将として生きて行かないといけなし、まぁ〜、常にイライラすると思います。私はなるよ….そこに刀があったら振り回したくもなるよ….
晩年、隠居をした後は穏やかな生活を過ごされたそうです。そんな中だったら本当に意味での「侘び寂び」を楽しめ、文化的なことを心ゆくまで堪能できたと思います。
三男の忠利さんと手紙のやりとりを沢山しているみたいなのですが、その内容見ると隠居後が結構楽しそうで何よりだと思いました。お茶目でやんちゃなおじいちゃん。
まぁ、射手座だもんね。
本当は気の向くままに、大好きな侘び寂びとか数奇の道を追求して楽しみたいよね。
今日は何して過ごすんだい?
エピソードにパンチがあるものが多いですが、話を盛って今に伝えられることは武将のステータスだと思います。
そのエピソードからもわかるように気が短く怒りん坊な忠興さんですが、占星術の視点で考察してみると非常に人間らしい感情表現が豊かな人という印象です。
本音と建前を使い分けないといけないけど感情が追いつかない事って、まぁまぁあるよね…と、自分の事の様に感じる部分もありました。
かなり、オタク的に長く語りましたが如何だったでしょうか?
最後に私のおすすめの細川忠興さんのほっこり逸話を楽しめるまとめを勝手に紹介させていただきます。
忠興さんを身近(?)に感じて下さい。
多分、私のこのブログより忠興さんがわかると思います。